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タグ: TV番組

蕎麦の味

内田百閒翁が帰り道 ひとつ六銭の蕎麦を食おうか市電に乗ろうかと さんざん悩んだあげく蕎麦を食べて 片道1時間の道を歩いて帰ったと随筆にあります 盛り蕎麦十銭が普通の時代でした
六銭の蕎麦はたいそう量が少なく 「六銭の盛り一つでは、味がよく解らないくらいうまかった」と書いています そんな旨さがあります 時々の気持ちのありようで 美味かったり不味かったりする 美味でない旨さというのもあります

知人で蕎麦好きを自認する人がいました 火事で焼けた神田の蕎麦屋が改築したときに 物好きに食べに行ったそうです 昼時だったので大変な行列でした そうとう待たされるなと覚悟していたのですが 案外に早く順番が来ました
運ばれてきた蕎麦を見て納得しました 簀子が見えるほどの量の蕎麦を食べ終わるのに5分とかかりません
客回転で商売する店は古今東西たくさんあります いわゆるファストフードですね 夜鳴き蕎麦だけでなく店を構えた二八蕎麦もそんなものだったのか 駅前の立ち食い蕎麦屋が昔日の姿を留めていましたが もう見かけません

立ち食いステーキなる奇天烈な店ができ あっという間に廃れました 食べたことがある人に聞いたところ 非常に不味いものだそうです 手軽なファストフードだった二八蕎麦が 高級店になったと思えば 値が張る時間がかかるステーキが立ち食いになる
上述の蕎麦屋だったか 近くの別の店だったかがTV中継されていたことがあります やはり昼時で随分の混みようなのに 1人でテーブルに陣取って酒を飲む客がいます まともな常連ならそんな事はしないはずなので たぶんTV局の演出(やらせ)でしょう[01] … Continue reading

私はあまり外食が好きでなく食べ歩きもしない やむを得ず外で食べることはありますが 混んでる店で旨いと思える所はないですね 昼はカップ麺で済ますこともあります(出不精なもんで食べに出かけるのが億劫) 旨かったのが和歌山ラーメンです ずい分前のことでメーカーは覚えていません[02] … Continue reading
百閒翁は昼食を盛蕎麦と決めていた時期がありました 味に関してさして煩いことは言わず 近所の蕎麦屋からの出前でした でも毎日決まった時刻に届けねばなりません これも蕎麦屋さんにとっては迷惑な客です

小学校・中学校と同級だった男に これまた蕎麦好きがいます 蕎麦を食べるとなると他のものは注文しません 天麩羅なぞ頼まず酒も飲まない ただ蕎麦だけをつゆにつけて食う 薬味の刻み葱やワサビなども 最後に蕎麦湯を飲む時に入れるそうです
人さまざまです 私が好きな蕎麦の食べ方は 蕎麦をいただきながら冷えた大吟醸酒を飲む 蕎麦肴でしょうか やや甘めのつゆに蕎麦をどっぷりとつけます 蕎麦そのものを酒菜にするのです 金平牛蒡はあっていいが 天麩羅は無用です[03] … Continue reading

註釈

註釈
01 以前は知人と蕎麦屋で 衣が分厚くて茶色い天ぷらで(あらかじめ揚げてあるヤツです) 昼酒を飲んだりしたこともありましたが 2時過ぎに行くよう心がけました
02 いまのカップ麺はとんでもなく不味い(味付けが濃すぎる)ので とても食べられません 子供の頃食べたチキンラーメンは油で揚げた味付け麺でした 追随した他社が差別化のためか 乾燥麺に粉末スープの小袋を付けるようになってから 薬臭い人工的な味になったように思います 即席ラーメンには独自の持ち味があり 店の味に近づける必要はない
03 TV番組で最初の一口はつゆをつけないで食べるとか 甚だしいのは水で蕎麦を食べさせる店を紹介しています 蕎麦屋の良し悪しはつゆの味で決まると思いますけどね 浅草の元テキ屋の爺さんから聞いた話では 自分らが行く蕎麦屋の汁は濃い味なもんで どっぷりつけたら塩っ辛くて とても食えたもんじゃなかった と言ってました 蕎麦の先にちょっと汁を付けるのは 別に粋がってやってるわけじゃないのです
その店の蕎麦に似合ったツユがある ことに大切なのが返しではないでしょうか 醤油と味醂の素性が味の決め手です 味醂はもともと飲用でした 三河あたりで昔ながらの味醂を作っています 柳陰で飲むにはいいが調味には向かないですね 菊姫酒造の柳社長が味醂を作りました これは料理用指向で かなり甘味が強い(菊姫らしい濃醇さ) 蕎麦ツユには最適かと思います 調べてみたら江戸時代すでに調味用の味醂が作られていたようです 柳社長に報告しました
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馴染めない言い方(随感)

「妻」のことを「嫁」という
「肴」を「アテ」という
酒を飲んだあと「シメ」といって飯や麺を食う

これらは私にはしっくりこない言い方です 嫁とかアテは関西から来たと思います 吉本興業が東京に進出する前は そんな言葉を聞いたことがない[01] … Continue reading TV番組で吉本の芸人が広めたのではないか
居酒屋なんどで酒を飲んだあとは 家に帰って 冷や飯を茶漬けで食うことはありました 銀座で飲む時は 屋台の磯辺焼きを摘んだものです すき焼きを食べた後はおじやです この作り方はなかなか難しく ベテランの仲居さんが担当します[02] … Continue reading
席を設けた酒宴では 最後にご飯物が出ます 懇親会等だと ここで締めの挨拶と称することをやるようです いわゆる中締めですか その辺から来たんでしょうね

知人が吉兆なる店に行ったことがあります もう40年も前の話しです 小さな器にいろんな料理が盛られて出てきたそうです やたらと皿数は多いんだが一つひとつの量が少なく それぞれ一口半で終わってしまいます 美味か不味かよく分からなかったと言ってました 大阪の新参の料理屋で器が自慢だったと聞きます
ところで知人が驚いたことがもう一つあって 店に行くと「お帰りなさい」と挨拶され 帰りには「行ってらっしゃい」と送り出されたのです この挨拶はいかにも態とらしく ひどく違和感を覚えたとのことです 私はそういった店に全く縁がないのですが[03] … Continue reading そんな言い方はやはり馴染めないだろうなと思います

言い方とは関係ないのですが だし巻き卵があまり好きでなく馴染めません 卵焼きはお江戸風の ちょいと甘くて焦げ目のついた厚焼き玉子が良い こいつで温燗をやるのはなかなかです[04] … Continue reading そんな卵焼きを出す店が少なくなり 今やだし巻き卵ばかりとなりました
そういえば一時 居酒屋で頼んでもいないお通しの料金を取るのはおかしい と言う声がありました 多くはローカルルールを弁えない外国人観光客だったかと
昔の江戸料理屋は 部屋に通す前に別室に案内しました[05] … Continue reading ここで小さめの握り寿司や軽い菓子を出します ウエイティングルームのお凌ぎですね これがお通しの由来です
伝統を引き継いでいるのであって チップ制に代わるサービス料でもある 日本特有かもしれないが 無粋なことを言うもんじゃないと思います

これも言い方ではなく 酒の注ぎ方です 以前にちょっと書きましたが 最近居酒屋などでコップを小さな升や受け皿に入れ わざと溢して注ぐのが見られます 吉田類あたりがカウンターにコップを置いたまま口をつけて飲む 実に見苦しい図です
なんの真似なんだろう 私がよく行く居酒屋や料理店であんなことをやる所はない とても馴染めません 酒を注ぐときは八分目にするもので なみなみと注いではいけません 相手が粗相をするかもしれないからです 曾祖叔父に言われたことです[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 吉本のラジオ番組「お父さんはお人好し」で花菱アチャコは浪花千栄子をお母ちゃんと呼んでますね TVの影響ならば 刑事コロンボの「家のカミさん」はなかなかいい 名訳です カミさんは山の神からか女将さんからか どちらにしろ尊称です
02 茅場町鳥徳で鳥鍋を食べて 最後におじやを作る時は 必ずベテランの中居さんがやる 若い中居さんたちがみな集まってきて 襖の影から見学していました 焦げる直前に溶き卵を入れる その技を伝えるのですね
團伊玖磨が料亭の酒席で料理を食べ終わったあと 料理がちまちまとしすぎて腹が減ったといい 親子丼を作らせた挙げ句 上品すぎて旨くなかった と随筆に書いていました 一体どういうつもりなのか甚だ行儀の悪い客です
03 仕事の関係で東京吉兆の前を通りかかったことがあります 店の前に黒塗りの車が停まってい ちょうど中曽根康弘が店を出る所に出会しました あの辺を歩くとよく政治家に出会ったものです 料亭政治が盛んな頃でした 聞くところによると江戸料亭の双璧といわれた 平清や八百善なんかでも嫌味な店との逸話がたくさんあります 高級店を名乗る所はそんなものなのでしょう
04 昔は酒は燗をするのが普通でした ちゃんとした店ではお燗番専門の人がいたそうです 燗酒の温度管理はさほどに難しいものです 酒造会社の会長が実験した話を以前書きました 私も真似してみました 専門家しか分からない差だと思っていたのですが 本当に素人に分かるほど舌触り喉越しが違います
05 カウンターに客を座らせ 料理するところを見せながら供するスタイルの店は 関西(京都)から始まりました 客の目の前で調理するといっても仕上げや盛り付けのみで 奥に広い厨房がありほとんどを作っています
06 曾祖叔父は詩集を何冊か出していて 詩人を名乗っていました もちろん詩で喰えるわけはなく 生業はさるテキ屋さんの親分でした テキ屋稼業の経験はなく 縁あって先代親分に見込まれ 跡目を継いだそうです
テキ屋さんは稼業がら仕来りに詳しいのです 曾祖叔父の家で玄関番(書生)をしていた時は すでに引退してましたので お控えなすっての客人は来ません 座敷にマルクス・レーニンの肖像画を掲げていました 大正デモクラシーの人です
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無嗜みで焼物の価値が理解できない

中国や朝鮮の陶磁器はたしかに優品です しかし吾が国のものに比べ 技巧に走り生命を感じさせません 時の権力者の命に従って 欠点のないものを作ることに腐心している 造り手のゆとりがない精緻な細工物です 朝鮮の両班たちは陶工の作った最上のものは納めず 次善作を中国の皇帝に献上したといいます 同じものを作れと言われた時のためです 歴史からくる強かな生き方です[01] … Continue reading

なにかの雑誌で骨董とは茶道具のことと書いてありました たしか武者小路千家の方だったと思います 茶は剣・禅とともに武家の嗜みでありました[02] … Continue reading 江戸時代まで名物といわれる茶器は 諸大名が所有するものでした
明治維新で版籍奉還があり大名の台所事情が怪しくなります そこで手元にあった茶道具などを売りに出します 秘蔵品が俄かづくりの華族や政商・成金の手に渡りました
さらに昭和大戦敗戦の後 GHQによって華族が廃止され財閥が解体されたことにより 骨董品が一般に出回り市場が形成されたのだそうです 書画骨董といいますように美術品と骨董は異なります 古物愛好の骨董は趣味であって文化芸術とはいえない

古い工芸品を骨董と言ったのは明治になってからのようです しかし武家の嗜みから離れた骨董は 茶の湯からも遠ざかり 単に希少な器物 年代物の古道具(アンティーク)と同列に扱われます
TV番組で中島誠之助氏が海揚がりの器に数十万円の値をつけていました その上でもしこれに箱書きがあったら数百万円になるだろうというのです 難破船から引き揚げた輸出品ですから 同じものが幾つかあります
値の差は箱書き(箱代?)なのです 器物そのものの価値じゃない 名高い名物は袋の上に袋を重ね 箱をさらに大きな箱に入れています それぞれに由来があるそうで 付加価値が積み重なっていくのです

利休の数寄執心は 殊更で素直さがないものです 心得のない者の目には捻くれているとしか見えません ことに楽焼などは作為が嫌味です さらに下って柳宗悦の民藝など 高みから教え諭すかのような態度は不快です[03] … Continue reading 青山二郎の系統に至っては半可通の集まりでないですか[04] … Continue reading 北大路魯山人の趣向は品下った衒いしか感じられない[05] … Continue reading 陶器の世界は無粋な私など さっぱり分からないことだらけです

註釈

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01 中国では油滴天目が尊ばれ 日本においては窯変天目が喜ばれます 窯変は文字通り人の手になるものではありません たぶん油滴の出来損ないなのです 日本人が価値を見出した失敗作を 高値で売りつけた?
小林東五翁が窯変の一種カイラギ生成の理を発見しました 李朝高麗陶磁を作る際高台の削りと仕上げを急いだことにより偶然できたようです 陶工たちは同じ規格のものを大量に作ることを要求されていました その中の優品を中国に納めていたのです 井戸の辺りに放置されていた不良品?に 千利休が美を見出し価値が生まれました
02 茶室の始まりは慈照寺(銀閣寺)東求堂内にある〈同仁斎〉といわれます 足利義政が村田珠光に習って作ったものです 鎌倉以来の武家は武具以外の文化を持つことができなかった 侘だの寂だのという言葉は見栄なのかも知れません 太閤秀吉が開いた北野大茶湯の顛末は興味深い 秀吉は武家ではなかったのです
禅はインド出身の達磨大師が中国で広めました 老荘思想と仏教が一緒になったもので 個人の内面を重視します 実力主義の武家に好まれました
徳川の世になると公的秩序である儒教(朱子学)が取り入れられます 桃山文化は統率を嫌う大阪庶民の間に残されることになります
03 柳宗悦の民藝運動は 李朝工芸品の雑器を持ち上げたところから始まります 利休の真似をしたのかどうかは分かりません やがてバーナード・リーチと知り合い 日本国内の雑器をイギリス人も認めたと褒めることで 好事家が高値で求めるようになります 骨董とは違う市場が形成されたのです
04 私は貧乏人ゆえ茶には縁がなく 骨董のことは知りません だから良さが全くわからない しかし小林秀雄の文を読めば もっともらしく書いていても修辞に満ちた いい加減な内容です 他の者も推して知るべしであろうと思っています
禅問答もさっぱりわかりません 高校生の時に人に勧められ 鈴木大拙を読みましたが さして感銘を受けなかった ま「BUSHIDO The Soul of Japan」よりはマシですが 柳宗悦なんかと同類の様です 禅林の枯山水もいいと思いませんね 足立美術館の庭のほうがずっと素直です
05 「美味しんぼ」の海原雄山は北大路魯山人がモデルですね 魯山人はやはりセルフプロデュース力に優れています 雁屋哲氏の漫画の方も食に関して大変な影響力がありました しかし自らの見識で書いているのではなく あちこちの書籍などから拾ってきた 無責任な受け売りばかりです とくに日本酒への悪質なデマ拡散は目に余るものがあります
借り物の内容を検証もしないで 海原雄山に語らせる 魯山人は豊かで繊細な感受性の持ち主であって 傲慢さはその裏返しなのだと 愛弟子辻義一氏は言っておられたそうです 優れた味覚を持っていたにもかかわらず アサヒビールを愛飲していたとか 当時は大吟醸がなかったので仕方ないか
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