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カテゴリー: マーケティング戦略論

チョコレートとビスケット

赤い箱の「ロッテ ガーナ ミルクチョコレート」が 意外と安い値段で売っていました 懐かしかったので買って帰りました 家でパッケージ裏を見ると内容量50グラムと書いてあります ずいぶん軽いなと思って開けたら 一つひとつのブロックが小さく おまけに中央が大きく凹んでいます 昔の容量は覚えていませんが 形状はずいぶん変わっています
まぁ これは他のメーカーも同じことで 原材料の価格高騰が原因でしょう といっても外国製の板チョコは 同じパッケージサイズで100グラムですから(物によるが味はガーナチョコレートの方が良い 品質と内容量のバランスを考えればやむを得ないか)
ロッテがガーナミルクチョコレートを売り出す前は 森永と明治の板チョコしかなかったように記憶します かなり高価な菓子で滅多に買ってもらえません 板チョコというように ブロックではなく薄い板状でした 分厚いブロック状のチョコは グリコ アーモンドチョコレートあたりからでしょうか

たまたまスーパーで見かけた「プチラック ビスケット」というものを買いました 大袋入りで安い 見掛けから駄菓子の類と思いきや これが意外にうまい 今までビスケットは「森永マリー」に限ると思っていました 食べてみて こちらの方が好みですね
値段そのままにリッチな味ではなく 素朴でシンプルそのものです[01] … Continue reading それだけに小麦粉の風味が生き あとを引く飽きない味なのです パリッとした食感に一口サイズもいい
「ギンビス アスパラガス」なんかもそうですが 個包装で数量をごまかさない姿勢が好もしい いまやほとんどの菓子類は軒並み数量と大きさを減らしています 森永のビスケットも例外ではありません[02] … Continue reading

夏目漱石が官費でイギリス留学中 食事が口に合わず ビスケットとジャムで飢えを凌いでいたといいます そんな味なのかも知れません[03]夏目漱石の末弟子だった内田百閒は師の真似をして 果物を一顆とビスケット(ABCビスケット)に牛乳一杯を朝食としていたことがありました
漱石は帰国してからも ジャムとビスケットを欠かすことがありませんでした 「猫」にジャムの缶詰を買い置きしておく件があったと思います(いやビスケットじゃなく 砂糖がけのピーナッツだったか これは胃に悪そうです)

ビスケットは保存のため二度焼いたという意味だそうです(もともとは日本の焼きお握りの如く 行軍食や旅の当座の食料です) 乾パンや乾飯と同様ですが 軽食として小腹を満たす嗜好品でもあったのでしょう(寿司は小腹を満たす嗜好品でした 笹巻けぬきずしが その形をとどめています)[04] … Continue reading
ショートブレッドも好きでした これはブレッドといっても菓子ですね たしか森永が作っていたかと思います ウォーカーとか他のメーカーのものも試しましたが この森永のが一番でした(いまはもう製造してないみたいです)

註釈

註釈
01 ミスターイトウのかーさんケットという 素朴さを売りにしたビスケットがあります 私の口には不味い イトウ製菓のビスケットを美味いと思ったことがありません
02 昔柏崎駅のすぐ隣に北日本食品の本社工場がありました 貨物列車の引込線が工場にまで敷設されています 柏崎駅に降り立つとビスケットの甘い香りが漂います いま考えれば 小麦粉の香ばしさでなく甘味料と香料でした 高級志向の菓子でも駄菓子でもない中級品 香料と甘味を効かせた味はブルボンに引き継がれています
北日本食品の創業者は最上屋の息子さんだったらしいですね 最上屋は今でもありますが 明治まんじゅうや黒羊羹などパクリ商品が多い なにか商法が似ている気がします 亀田製菓もパクリが得意の会社です そんなところが業績を伸ばします
03 夏目漱石の末弟子だった内田百閒は師の真似をして 果物を一顆とビスケット(ABCビスケット)に牛乳一杯を朝食としていたことがありました
04 ドン・キホーテに随行したサンチョ・パンサは しっかりと食料を用意して遍歴の旅に出かけます チーズと堅いパンと革袋に入れたワインです とくに旅のため用意したわけでなく 普段の食事をそのまま持っていった感じです 同じくサンチョが どこかの野外宴会で 煮込み料理を掻っ払う話があります 鍋で煮込んだ温かい料理は 庶民にはあまり縁がない たいそう上等な食事でした
その頃スペインに初めて風車が作られました キホーテが巨人と思い込むのも無理ない もの珍しい風景だったのです 各家庭から持ち寄られた小麦を風車で挽きます できた小麦粉を今度はパンに焼くのですが 村の共同カマド(パン焼小屋)が設置されていて そこでパン焼職人がまとめて焼きます 普通の家庭では1週間に一度くらいなので 水分の少ない堅いパンを焼きます
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たれ スープ ECO

納豆のタレ

スーパーで売ってる スチロール・パック入りの納豆に タレと称する小袋が付くようになったのは いつ頃からでしょう

コロナ禍でテイクアウトが多くなり 今まで出前もやらなかった寿司屋さんが 持ち帰りを販売するようになりました そんな中ある寿司屋さんで買ったパックの中に 醤油が入ってなかったと文句を言ってる投稿がありました 醤油の小袋を入れるのは常識だろうという書き方です してみると醤油を常備している家庭が少ないのかもしれない[01] … Continue reading

納豆のパックには 辛子の小袋を付けたのが始まりです その後タレの小袋も付くようになりました 以前は納豆に生醤油をかけて混ぜるだけでした 薬味といえば刻みネギです 辛子を使った記憶はありません[02] … Continue reading

納豆のタレなるものは醤油ベースのようです 妙に甘ったるくて人工的なダシ味が馴染めず使いません 納豆に鰹ダシ風味という発想がそもそも理解できない[03] … Continue reading 取っといても使いみちはないので結局捨てることになります

ラーメンスープ

カップヌードルの残ったツユを固める粉ができた⁈ 固めて容器と一緒に捨てるのだそうです カップヌードルはその名の通り ヌードルスープとして開発され コンソメスープがメインで麺は具の扱いだったはずです

ラーメンでもスープが命と言ってたはず 街の中華屋さんでチャーハンを頼むと ついてくるのは 白髪ネギを入れたラーメンスープでした 味の素をこれでもか というほど入れてました 今はどうなんでしょう[04] … Continue reading
なんとか系ラーメンの真似か 今のカップ麺はなべて 下卑たドギツイ味が主流です[05] … Continue reading 辛うじて麺は食べられるが とてもスープを飲み干すなんてできない 残す捨てるのが前提の味付けです

ずいぶん昔のこと 歌手のみなみらんぼうさんが 山登りしてコッヘルで作るインスタントラーメンが美味いとラジオ番組で言ってたことがあります その後なんかの投書でらんぼうさんを非難する人がいました
エコロジストを気取っているが 山にラーメンのスープを捨てるのは自然破壊だ といった内容です この人はラーメンスープは捨てるのが当たり前なのです 自分だけでなく全ての人がそうすると思い込んでいる[06] … Continue reading

エコロジー?

あまり見かけなくなりましたが ひところ天ぷらなどに使った後の油を 捨てるための商品がいくつかありました 固めて捨てるだの浸み込ませて捨てるというものです 各家庭で出る大量の油を川に流したら海が汚れる 最もです そんなことをしてはいけません
一度使っただけの油を捨てるなんて バカげたことをするようになったのは 気取った天ぷら屋が 油を一度しか使わないと吹聴するのを TVで盛んにもてはやした影響からです
家庭では 精進揚げに使い 魚介天ぷらに使い フライに使い 竜田揚げに使い 最後は炒め物で使い切るのが普通のことでした 土井勝先生の頃ですね 油を多用する中華料理も油を使い回していました 油漉しは必需品だったのです

スーパーでレジ袋を渡さくなって 海はきれいになったのでしょうか 地域によりますが家庭ではレジ袋をゴミ袋として使っていました 海のプラスチックごみに占めるレジ袋は どの位の割合なのか 日本近海の場合中国漁船が捨てる網やブイが多い気がします 検証することもできないでしょうね
以前はスーパーの袋といえば紙袋でした この袋もゴミ袋として使っていたのですが 生ゴミを入れると濡れて破れてしまいます プラスチック製レジ袋になったのは製造原価と丈夫さからです ゴミ袋としても便利に使えました いまやゴミ袋(レジ袋)は買わなければなりません スーパーでレジ袋を使わなくなっても 同様のものを買ってゴミ袋にしています スーパーで買うと5円ほどです まとめて売ってるのはそれ以上の価格です 余計な出費と不便になっただけ[07] … Continue reading

いったい何の意味があるのでしょう エコでもなんでもない それよりも大量の食品廃棄をなんとかする方が先決です 食べ残しや飲み残しを平気でゴミとして捨てる 全然品質に問題がない食品を 賞味期限切で返品したり捨てるのはエコなんですか[08] … Continue reading

4月30日追記=中国で「反食品浪費法」なる法が施行されるそうです 食べ残しに罰金を課すというのです なんと言ってよいのか 見習うべきだろうか もともと中国は食べ切れないほど料理を出すのが慣習です そして料理を食い散らかし残すのが礼儀なのです
日本のように自然の恵みを感謝して 残さず頂くなんて発想はありません なにしろ酒池肉林が称賛される国です 昔は残飯を下賤のものに与えたようですが 人民共和国の今はゴミとして捨てます それを糺すのに法をもってするのも中華思想といえそうです)

2022年8月18日追記=スーパーのレジといえば 最近セルフレジが増えています 最初の頃スーパーではレジ打ちの人の隣にサッカー係がいました レジに打ち込んだ商品を手早く紙袋に入れます やがてサッカー係はいなくなり 客は自分で袋詰するようになりました 人件費節減のためですね それがついに客にレジ打ちをさせるようになりました(バーコードを読み取らせるのですが) 今までパートの人に給料を払ってやっていた作業を 客にやらせるまでになったのです 対価としてレジ袋を無料にするのなら分かりますけど ヨークマートなんか有人のレジは一つだけです 店の都合だけなのがあからさまです いかにもセブンイレブン系列ですね)

註釈

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01 どんな寿司でも醤油を付けるというのも ちょっと違和感があります アナゴやコハダ以外の握り寿司ならそれでいいのですが 海苔巻きとか稲荷寿司にまで醤油の小袋が付いています それとワサビの小袋もですね(機械がシャリを握って それに魚の切り身を乗せるだけ サビを入れる工程がない) 海苔巻きや稲荷寿司をワサビ醤油で食べるのだろうか
02 納豆に辛子を添えること自体は 昔から行われていたようです 太子食品工業によれば アンモニア臭をごまかすためらしい ですから現在は特に必要ないものですね 私が子供の頃は冷蔵庫こそ普及してなかったが 朝納豆売りから買うもので アンモニア臭なんてありえない
03 越後小千谷は山崎醸造の3年味噌漬けを細かく切って 納豆に混ぜ込むのが好きでした おそろしく塩っぱいので醤油は入れません 夏場に醤油でなく塩を混ぜ入れる納豆もいいもんです 越後小出の大力納豆が作っていた 麹入りの塩納豆は大好きでした 完成された味なのでそのまま食べます 余計なものを入れる必要はない
04 ラーメンにレンゲをつけるのはいつから始まったのでしょう 記憶では札幌ラーメン(味噌ラーメン)が全国に進出した頃のような気がします 私はレンゲは使わないので邪魔でしょうがない ラーメンなんて上品ぶって食うもんじゃない 昔の煮干し醤油味に比べ品のない味付けになったように思います
05 私の世代は化学調味料の味に慣らされたかもしれません 次世代の人は蛋白加水分解物の味が標準です その子である人たちがハッキリした味を好むのは自然な流れでしょう 日本人の味覚が壊れたとまでは言いませんが(アメリカ人の味覚は壊れています)
このごろ鍋のタレと称する奇妙なものがあります 鍋はツユとかタレではなく下地です そのうちおでんのタレなんて言い出すことになりそうです 天丼もタレとか言ってます 天ぷらは天つゆで天丼は丼つゆだったが
06 ラーメンのスープを残すのは 塩分が体に悪いといった健康情報が広まって以来です 油分も健康的でないとかいって肉の脂身を残したり 極端なヘルシー料理評論家みたいなのが 天ぷらは衣を剥がして食べると言ってたことがあります ただの馬鹿ですね
07 この頃はスターバックスやマクドナルドが プラスチック製ストローの使用を取りやめています これらの企業は今まで使用済みのストローを選り分けて わざわざ海に捨てていたのでしょうか 蓋はプラスチックのままでいいのか
スターバックスなんかはもともと立ち飲みなんで 紙コップに蓋をしてストローで飲んでいたのでしょう 私はコーヒーをストローで飲む趣味はない 子供のころカルピスのキャラクターの真似をして ストローを使った記憶はあります
08 昔は街角にコンクリート製のゴミ箱が置いてあり そこに家庭ゴミを捨てました 東京オリンピックが開催されるとき 見た目が悪いということで撤去されたのです 代わりに積水の青いポリペール缶を各家庭が買わされました
それもなくなり 家庭ゴミは袋のまま捨てるようになりました とくに食品が小分けにされ 使い捨てのプラスチックのトレーに入れて販売するようになり ゴミの量は増えています 感覚的には生ゴミだけだったら十分の一の量だと思います
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車寅次郎 渥美清 田所康雄

俳句

お遍路が一列に行く虹の中 風天

じつに美しい しかも壮大なこの句の作者は 車寅次郎 草むらの端に四角い顔が見えます 「わたくし 生まれも育ちも東京葛飾柴又です 帝釈天で産湯を使い 姓は車名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します ♫〜」
句会では渥美清と言ってたようですが 吟じたのは寅さんです 日本人のほとんどがフーテンの寅の顔を知っています でも渥美清こと田所康雄の素顔は誰も知らない 自宅とは別に仕事部屋を持っていたそうで 家族には渥美清の顔を見せない
「夢であいましょう」「若い季節」の頃は たしかに渥美清という役者がいました しかし「男はつらいよ」以来 晩年は車寅次郎として生きました 公の場に出るときは常にあの恰好だったそうです

カラー版新日本大歳時記の例句にあります 高浜虚子の句と並んでいるのですが 春の季語「遍路」の項に入っています 虹は夏の季語です つまり季重なりということになります 季重なりがダメということはなく もちろんこの句は秀句です[01] … Continue reading
なんて偉そうなことを書きましたが 季重なりという言葉は TV番組プレバトで知りました 梅沢富美男さんと夏井いつき先生が俳句を盛り上げてくれました 俳句をやっていた知人に聞いたところ 句会とくに宗匠のいない互選では 互いに貶し合う 結構いやらしい世界なのだそうです プレバト梅沢・夏井ご両人のやりとりは その辺を戯画化したのでしょうか

俳諧の諧は諧謔の諧です 俳味とはシニカルなユーモアを交えた表情でしょう そういえば芭蕉庵では 漢籍その他の古典とくに西行の知識がないと まるで相手にもされないという雰囲気だったようです 蕉風を否定した正岡子規も 結局は相手に対してケチを付けているわけです
風天の句の背後には 寂しい風景が広がります 師を求めず独学で俳句を学びました 見つめていたのは自分の心 旅から旅の渡世人が内に抱える孤独 生国に戻れば人情味あふれる人たちが温かく迎えてくれます でも自分の居場所はなく また旅に出るしかない「そこが渡世人の辛ぇとこよ」[02] … Continue reading

渡世人

願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ  西行法師

西行法師として伝わる数々の逸話は 脚色されたものが多い[03] … Continue reading 芭蕉の知識も文献から得たものです 陸奥への旅もそんなところから思い付いたのではないでしょうか 西行の足跡を訪ねた芭蕉「奥の細道」は 同行した曾良の記録によれば 各地の富裕な弟子の家に招かれ歓待された旅でした 近年でも乞食僧のなりをして 放浪しながら作句した俳人がいます 句友の家に行き酒をせびるという 托鉢の形を追っただけにしか見えません[04] … Continue reading

渥美清は自らのことを多くは語りませんでしたが 若いころ浅草でテキ屋さんの手伝いをしたことがあるようです テキ屋さんは露天商という歴とした稼業人 博徒なんかの遊び人(ヤクザ)とは別です
親分を持たずカバンひとつで各地の祭礼を巡る旅人はいました[05] … Continue reading カバンの中は財布など嵩張らず軽くて値の高い商品です 「手前儀 生国は関東葛飾柴又でござんす 故あって親一家持ちません 姓は車名は寅次郎と発します しがない者にござんす」

冒頭の句は定形に収まっていますが 風天の他の句はじつに自由です 定形に対する自由律だの破調といった 狭い世界とは無縁の自由なのです 俳句のリズムを借りていても むろん素人で俳人ではない[06] … Continue reading
お遍路は疎外された人たちといいます お接待に頼る同行二人 決して孤独ではない 渡世人は自ら社会の枠組みから離れた自由な身です 自由は自律自助 一宿一飯の孤独な旅です 車寅次郎はお遍路を見ているが 列に加わることはありません

註釈

註釈
01 風天の句は無季であったり 季語が3つも入っていたり でもそんな事は気にしない 字余り字足らずも頓着しません 上手い句を作る気なんかないし 技巧には拘らないけれども 言葉に対する独自の感覚を持つ 確かな俳句なのです
02 旧知の永六輔に誘われたのが俳句を始めるきっかけ 風天の俳号は自分で名乗ったんじゃなく 話の特集句会で皆に付けられました 車寅次郎の顔の下に渥美清の顔があり 田所康雄の素顔は見えない 同じ顔なのに場面によって変わってくる
03 西行は決して漂泊の身の上であったわけでなく いわば高等遊民みたいなものです 私は同じく武家を捨て 法然の弟子となった 熊谷次郎直実が好きですね 不器用で一直線 なにか可愛気があるというか 憎めないところが 寅さんに共通するような気がします
04 風天自身は 種田山頭火の句を色紙に書いたり 尾崎放哉の役をやりたいと言っていたそうです 早坂暁脚本の山頭火を描いたNHKドラマの主人公にも決まっていました どのような理由か出演を辞退し フランキー堺が演じました
05 旅人(渡世人)にはテキ屋さん博徒の他 渡り職人もいました 菓子職人とか「♪包丁一本サラシに巻いてェ」の料理人なんかです その昔の傀儡師や「伊豆の踊子」に描かれる旅回りの芸人一座もそうです
巡礼にご報謝 巡礼は花山法皇の三十三箇所巡りからと聞きます お遍路と同じく遊行僧の形を真似ただけ もともと宗教的意味は薄く 一種の物見遊山・観光です 渡世人とは全く違います
06 話の特集句会の頃は 皆とビールを飲んで楽しんでいたそうです アエラ句会では披講の後の歓談(二次会)には加わらなかった 病気が進行していたためですが 山頭火のドラマを断り(渥美清に戻ることを諦めた) 渡世人・車寅次郎として生きると決めた時にほぼ重なります
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