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カテゴリー: 日本の伝統・本流

王道・覇道、正道・邪道

道理

「王道」とは王たるものの執り行なうべき道のことであります 徳政を言います 対極にあるのが「覇道」 すなわち力による圧政です 道すなわち道理であります
「学問に王道なし」と唱えたのは古代ギリシャの賢人といわれます この「王道」は 王様だけが特権として使える 近道・早道・抜け道のことをいいます 筋の立たぬ無理です

道理にかなわぬ無理は「覇道」であり「邪道」です
正邪というように「邪道」の対義語は「正道」であります また「大道」ともいい 人の踏むべき正しい道筋のことであります 王道とは言いません

筋道

昭和の中頃まで 通りの真ん中は歩かない筋者(侠客)がおりました 律儀に道の端(家の軒下と電柱の間 犬走り)を拾うのです まだ渡世人の矜恃が残っていました[01] … Continue reading
その昔 博徒等は表を歩くとき 手拭また袖で顔を被っていたと聞きます お天道様に顔向けできない身の上との自覚でありましょう 切られ与三の姿です

渡世人には稼業人と遊び人がありました 稼業人はいわゆる的屋さん(露天商)のことです 遊び人は博徒ですね どちらも市井で暮らす生業(渡世)を持ちます 侠客といわれる人たちは他にもあって 中間や町火消また沖仲仕などです[02] … Continue reading

昭和大戦の後で蔓延した暴力団・愚連隊等は 侠客・渡世人とは全く異なる連中です 江戸でいえば 町奴を束ねた幡随院長兵衛と対立した 旗本奴の水野十郎左衛門のような ならず者・ごろつきです 道に外れた外道と呼びます[03] … Continue reading
第三国人が多くを占めていた この者どもは裏街道や道端どころか 徒党を組んで往来の真ん中を我物顔に押し通ります 占領軍の不良兵から横流しの品物を闇市で売ってましたから 戦勝国の者だと肩で風切って歩く与太者でした

江戸では堅気の人も 往来を歩く時は羽織の袖に手先を隠したようです これは落語の所作に残っています 商人は前垂れの下に両手を入れておりました 武家は袖で大刀の柄を覆って歩きます 懐手をしているのは浪人でしょうか
大通りを大手を振って歩くのは 端ないこと半端者のすることであったのです

註釈

註釈
01 有名な侠客としては 江戸開城で勝海舟に協力した 鳶(町火消し)の親方 新門辰五郎 会津藩中間頭だった会津小鉄は 不逞浪士の情報提供などで新選組に協力しています 共に市井の人々が内乱に巻き込まれることを防いだ 義侠に生きる人物です
02 フーテンの寅さんが冠婚葬祭で仕切ろうとするシーンがあります あれはお節介ではなくテキヤさんの仕事なのです テキヤさんは縁日の境内で商売します 社寺を疎かにしては成り立たちません 稼業の允可は聖徳太子からいただいたと言い 礼節を通すため古来からの仕来りや作法を伝えています 今でも盃事の媒酌人はテキヤさんです
03 飯岡助五郎と笹川繁蔵の大利根河原大出入りで 死んだのは平手造酒のモデルだった浪人一人のみだそうです 博徒同士の揉め事があっても 最終的には顔役というか所の長老格が取り持って 盃を交わし手打ちするのが決まりでした 暴力団の抗争とは違います
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則天去私

智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい

我執を捨て無私になるとき「おのずからなるもの」が現れる
おのずからなるもの すなわち自然である 「則天去私」あるがままが見えてくる

我執とは知であり 情であり 意である 知とは欲である 情も意も欲である
欲は無限に肥大し 宇宙をも覆い尽くす ついに支配しようとする

そのとき身は調和を失い 自己破壊に向かう 我だけでは 人の世に住むわけにいかなくなるだろう

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元気

元気を出そう 楽しく生きよう 溌溂として生きよう
じめじめしていないで 活き活きした生活を営もう
望みを失うまい 力を落とすまい いつも愉快でいよう
活気が充ち満ちていれば いつも明るく楽しい
花が咲いて楽しくないなら 元気がないのだ
雪が降って嬉しくないなら 活気が足りないのだ
失敗して起き上がらないのは 勇気がないからだ
風の吹くのが気にかかったり 雨の降るのを厭ったり 曇った空が恨めしかったり 晴れた日が面白くないのは みんな元気が欠けているのだ
希望を失うまい 元気を落とすまい いつもニコニコしていよう

(野口晴哉語録より抜粋)

病は気からと申します 健康も元気からです 酒の古語は「き」だったそうです 「さ」は神威を表す接頭語 御神酒を神前に供えお下がりを戴くのは 神から元気を頂くこと

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