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カテゴリー: 日本の伝統・本流

音による伝達

ラジオだったかでコーランの朗唱を聞いたことがあります モスクのドームは音響効果に優れていて イマームの唱える言葉は神秘的で 美しい音楽となっていました(御詠歌とは比べ物にならない音楽性の高さです)
キリスト教の教会はドームでなく高い尖塔を持ちます 光は天井から降りそそぎ 壁画や彫刻ステンドグラスを荘厳に彩ります パイプオルガンは建物自体が楽器です あたかも天空からの音楽のように鳴り響きます
日本の寺社(宗教)と音楽はあまり結びつかない気がします 読経も祝詞もリズムや抑揚はあるものの 音楽とは言い難い 鉦や太鼓を打ち鳴らしても調子を取るだけです 建物も音響効果は考えていません[01] … Continue reading

この違いはどこから来るのでしょう もしかしたら風土の違いかもしれません 日本の寺社は威容を誇るというより 風景に溶け込むよう建てられているのではないか そもそも神は自然そのものでした 美しい風景がそのまま八百万の神なのです 建物は社(屋代)というように拝み所(神籬)を示す柱でした
一神教の育った風土は人間の営みを拒むかのような厳しい自然環境です 建物が拝殿であることは共通しています 神の御加護を象徴するように 巨大で堅固に信徒を包み込みます 過酷な自然から守るシェルターなのです エデンの園の再現なのかもしれない

神はシナイ山に光として現れるものの 姿は見えず限られた預言者・救世主に啓示を与え導きます 神意が音楽なのでしょう
遠い親戚にクリスチャンの家が何軒かあります 一つの家はプロテスタントです おばあちゃん(私の大叔母)が入信したのがきっかけですが その理由が讃美歌の美しさだったそうです 音楽の力ですね

日本の仏教にも声明がありますし 琵琶法師などもいました これは吟遊詩人みたいなものですね さほど宗教と結びついていません
十字軍が編成された時 ワルター・サン・ドゥヴァールは シンボルマークの旗と楽隊による聖歌を背景に神がかり的な説法で 年端のいかない子供まで十字軍に駆り立てました ヒトラーの演説とヒトラーユーゲントに重なります ハーメルンの笛吹き男ですね[02] … Continue reading
称名念仏を始めたのは法然さんです それまで学問として捉えられていた仏教を庶民に広めました[03] … Continue reading 禅宗も実践を重んずるところは近いが権威主義で敷居が高い 出家者が独占していた仏教を広めた 浄土宗の割り切った教えは 凡夫にわかりやすかった 分かりやすさはポピュリズムにつながり過激化していき 踊念仏や一向一揆にまで行き着くことになります

註釈

註釈
01 浄土真宗の葬儀ではオルガンの伴奏があると聞いたことはあります その場に出くわしたことはないので 何を歌うのかわかりません いずれにしても近年のことでしょうけれど
02 十字軍はイスラム教徒との戦いであるばかりでなく ユダヤ教徒排斥にも結びついていました 当時流行していた騎士物語に影響された面もあります 聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団をはじめとして 皆がドン・キホーテのように自らを騎士に擬えていたのです(セルバンテスは十字軍のカリカチュアとして ドンキホーテを書いたのかも知れない)
03 法然上人の歌 月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む 月影は静寂そのもの この歌に音は全く聴こえない 日本仏教のあり方を示すようです
月の光を阿弥陀如来の慈悲に例えているのは誰しも解ります 知恩院ホームページに 歌を聞いた子供が「影になるところは光は照らしていないのでは」と問うたと書かれていました 影と陰は異なります 英語で陰はshade影はshadowと言えば分かりやすいでしょうか 陰は光の射さぬところ 影は光によって表れる形です
この歌は真如の月であります 真如とは絶対無差別の真理のこと 衆生すべて平等が仏教の根本義です 月影は月光に見ゆる里の姿を表します 明月が闇夜を照らすように 真如の理は遍く衆生に届いている 人は影である里を見ていて心に届く月明を見ない 阿弥陀様の慈悲は 無明を照らしていることに気づかねばなりません
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馴染めない言い方(随感)

「妻」のことを「嫁」という
「肴」を「アテ」という
酒を飲んだあと「シメ」といって飯や麺を食う

これらは私にはしっくりこない言い方です 嫁とかアテは関西から来たと思います 吉本興業が東京に進出する前は そんな言葉を聞いたことがない[01] … Continue reading TV番組で吉本の芸人が広めたのではないか
居酒屋なんどで酒を飲んだあとは 家に帰って 冷や飯を茶漬けで食うことはありました 銀座で飲む時は 屋台の磯辺焼きを摘んだものです すき焼きを食べた後はおじやです この作り方はなかなか難しく ベテランの仲居さんが担当します[02] … Continue reading
席を設けた酒宴では 最後にご飯物が出ます 懇親会等だと ここで締めの挨拶と称することをやるようです いわゆる中締めですか その辺から来たんでしょうね

知人が吉兆なる店に行ったことがあります もう40年も前の話しです 小さな器にいろんな料理が盛られて出てきたそうです やたらと皿数は多いんだが一つひとつの量が少なく それぞれ一口半で終わってしまいます 美味か不味かよく分からなかったと言ってました 大阪の新参の料理屋で器が自慢だったと聞きます
ところで知人が驚いたことがもう一つあって 店に行くと「お帰りなさい」と挨拶され 帰りには「行ってらっしゃい」と送り出されたのです この挨拶はいかにも態とらしく ひどく違和感を覚えたとのことです 私はそういった店に全く縁がないのですが[03] … Continue reading そんな言い方はやはり馴染めないだろうなと思います

言い方とは関係ないのですが だし巻き卵があまり好きでなく馴染めません 卵焼きはお江戸風の ちょいと甘くて焦げ目のついた厚焼き玉子が良い こいつで温燗をやるのはなかなかです[04] … Continue reading そんな卵焼きを出す店が少なくなり 今やだし巻き卵ばかりとなりました
そういえば一時 居酒屋で頼んでもいないお通しの料金を取るのはおかしい と言う声がありました 多くはローカルルールを弁えない外国人観光客だったかと
昔の江戸料理屋は 部屋に通す前に別室に案内しました[05] … Continue reading ここで小さめの握り寿司や軽い菓子を出します ウエイティングルームのお凌ぎですね これがお通しの由来です
伝統を引き継いでいるのであって チップ制に代わるサービス料でもある 日本特有かもしれないが 無粋なことを言うもんじゃないと思います

これも言い方ではなく 酒の注ぎ方です 以前にちょっと書きましたが 最近居酒屋などでコップを小さな升や受け皿に入れ わざと溢して注ぐのが見られます 吉田類あたりがカウンターにコップを置いたまま口をつけて飲む 実に見苦しい図です
なんの真似なんだろう 私がよく行く居酒屋や料理店であんなことをやる所はない とても馴染めません 酒を注ぐときは八分目にするもので なみなみと注いではいけません 相手が粗相をするかもしれないからです 曾祖叔父に言われたことです[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 吉本のラジオ番組「お父さんはお人好し」で花菱アチャコは浪花千栄子をお母ちゃんと呼んでますね TVの影響ならば 刑事コロンボの「家のカミさん」はなかなかいい 名訳です カミさんは山の神からか女将さんからか どちらにしろ尊称です
02 茅場町鳥徳で鳥鍋を食べて 最後におじやを作る時は 必ずベテランの中居さんがやる 若い中居さんたちがみな集まってきて 襖の影から見学していました 焦げる直前に溶き卵を入れる その技を伝えるのですね
團伊玖磨が料亭の酒席で料理を食べ終わったあと 料理がちまちまとしすぎて腹が減ったといい 親子丼を作らせた挙げ句 上品すぎて旨くなかった と随筆に書いていました 一体どういうつもりなのか甚だ行儀の悪い客です
03 仕事の関係で東京吉兆の前を通りかかったことがあります 店の前に黒塗りの車が停まってい ちょうど中曽根康弘が店を出る所に出会しました あの辺を歩くとよく政治家に出会ったものです 料亭政治が盛んな頃でした 聞くところによると江戸料亭の双璧といわれた 平清や八百善なんかでも嫌味な店との逸話がたくさんあります 高級店を名乗る所はそんなものなのでしょう
04 昔は酒は燗をするのが普通でした ちゃんとした店ではお燗番専門の人がいたそうです 燗酒の温度管理はさほどに難しいものです 酒造会社の会長が実験した話を以前書きました 私も真似してみました 専門家しか分からない差だと思っていたのですが 本当に素人に分かるほど舌触り喉越しが違います
05 カウンターに客を座らせ 料理するところを見せながら供するスタイルの店は 関西(京都)から始まりました 客の目の前で調理するといっても仕上げや盛り付けのみで 奥に広い厨房がありほとんどを作っています
06 曾祖叔父は詩集を何冊か出していて 詩人を名乗っていました もちろん詩で喰えるわけはなく 生業はさるテキ屋さんの親分でした テキ屋稼業の経験はなく 縁あって先代親分に見込まれ 跡目を継いだそうです
テキ屋さんは稼業がら仕来りに詳しいのです 曾祖叔父の家で玄関番(書生)をしていた時は すでに引退してましたので お控えなすっての客人は来ません 座敷にマルクス・レーニンの肖像画を掲げていました 大正デモクラシーの人です
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ニッポン スゴイデスネェ

ブルーノ・タウトは桂離宮を誉めるため 日光を貶して見せた 東照宮の彩色を嫌う日本人はいるから媚びたのであろう とくに侘び寂びなどといっている者たちに 実際のところタウト以前から 桂離宮(の庭)を称賛する茶人は多かったようだ[01] … Continue reading
しかしながら 桂離宮を皇室芸術と呼び東照宮を将軍芸術と称し 京の帝に対して江戸の将軍を覇王と見るのは 中国と日本を一緒くたにする 西洋人の浅薄な思い込みである

桂離宮と東照宮ともに江戸時代初期に造られた建築である 桂離宮は王朝風に近世の意匠を取り入れている 数寄屋風もあり庭には茶室が配される 数寄屋は茶室を示す通り 利休の影響が顕著に表れた建築様式だ[02] … Continue reading
東照宮はなんと言うべきだろう 唐様から脱した権現造の過剰な装飾にまったく嫌味がない 権力と財力に飽かせて華美を誇った 大陸の覇王とは別次元なのだ 私には縄文から伝わる情熱のほとばしりに見える[03] … Continue reading

ニッポン・スゴイデスネェ 外国人に褒めてもらって喜ぶ者は いまだに数多くいる 典型的なのは世界遺産登録とやらである 沖ノ島(沖津宮)は日本民族だけの 神話・伝承・太古の記憶である 他国や異教徒の者共を入れてはならない 観光地化するなど冒涜の振る舞い 神域は世俗が入れないから尊いのである
ほぼ同時期のマヤをはじめとする南米文明を継承する人たちは いまや600万人に減少した(ほとんどの人たちは父方にヨーロッパ人のDNAを持ち マヤの血筋は母方のミトコンドリアに留めるばかり) ひとつの文化文明を維持するのに必要な 最低限の人口である[04] … Continue reading スペイン人による蛮行と その後の内乱のため 今でも南米は国情が安定していない
そもそもユネスコあたりが 世界各地固有の歴史伝統を一律に評価する権限は持たないはず なにを思い上がっているのか

メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の4大文明?[05] … Continue reading 人の住むところ世界どこにも文明の歴史はある だが滅び朽ち果てた廃墟を自慢しても始まらない まぁ確かに廃墟・遺跡だから遺産なんだろうが
日本に廃墟はない 縄文からの伝統が今に息づいている 途絶えることなく一万年続く 沖ノ島に神が宿るのではない 島が神なのである 人格神は後付けにすぎない 木の社などは朽ちたら建て替える 形あるものは永遠でなく 生まれ変わることで伝えられる それが日本文化・文明の姿である

エジプト考古学者の吉村作治が中心となった運動により 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群の名称で ユネスコに登録されたそうだ 余計な事をしてくれた エジプトの遺跡などたかだか4000年の歴史しかない 日本の神社は縄文時代より1万年以上の歴史を持つ
しかし木の文化ゆえ 石のように遺跡として残るものではない 様式・作法・慣わしとして伝承されるのが 吾が国の習いである 掟と言っていいかも知れない ねぷた・なまはげ・塞の神なども縄文から伝わる
エジプトやギリシャの失われた文明遺跡と同一視し 縄文の昔から今に生きる伝統を遺産とは何事か

註釈

註釈
01 桃山文化は海外(西洋)文明に触発されたものだが そのまま取り入れてはいない 利休好みは侘び寂びと言っても 数寄屋風に禅宗(大陸)味は強い 豊太閤が好んだは土俗の趣が深い気がする 東照宮もまた然り古来の情念である
02 侘び寂びなどと言いながら 数奇とは唐物数奇であって 舶来の珍しい物を飾り立てた 数寄屋風の建物は一見質素なようでいて 珍奇・希少な材を使った贅沢なものとなっていく 村田珠光の茶を正しく受け継いだのは 丿貫であったかもしれない
03 日光東照宮は門も加えると55棟もの社殿が 日光全山に配置されている 景観を損なうことなく人工と調和させるのは 古来から日本人の美意識である 建物は自然と対峙するのではない 神社のみならず仏教寺院も山号を持ち 山寺として風景に一体化する だから懐かしいのである
04 アステカの精緻な石組の技術を伝える石工が 近年までいたとの話を聞いたことがある このままでは早晩南米の文明は失われる 今ギリシャに純粋な古代ギリシャ人の末裔はほとんど居なくなった エジプトも然り古代の文化文明を伝える者はなく どちらも半ば崩れた遺構が虚しく残るのみ
05 4大文明と称する所はいずれも大河の周辺である 河川は内陸と海を結ぶ重要な交通路で これらの文明圏はそれぞれ独立していたのでなく 互いに交易していたわけである 大河のない南米の文明圏は孤立していたように見える
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