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タグ: ヨーロッパ

セルフ・ブランディング

個人の場合

蛭子能収さんはギャグ漫画を描く人でしょうか むしろ人柄自体がギャグのように見えます(失礼) 漫画を描くより自ら体現していると言った方がいい
実際蛭子さんの描くキャラは 蛭子さんそのものですし 客観的に他のキャラを描くことはできないんじゃないかと思います いわば私小説的ギャグ漫画のようなものです
他人を描くことはできないから 他人を揶揄することもない また自分を戯画化しているのでもない おそらく敵はいないでしょう
ライフワークは路線バスの旅のようです あるがままに生きているのだろうが それにしてもキャラが立ち過ぎてます

存在そのものがブランドの人は マツコデラックスさんでしょうか この方のキャラも際だっていますが ビジュアルが9割方を占めていそうです
見た目のインパクトに比べ 内実はあんがい常識的と思われます 毒舌を吐くようでいて計算した発言ですし
特異な性癖を持って生まれたことで苦労されたのでしょう なにを持ってノーマルというか 基準なんてありませんから 誰しも自分のポジションを作っていかなければならない

セルフ・プロデュースとか言いますが セルフ・ブランディングの方がふさわしい気がします レッテルや肩書きではもちろんありません その際ビジュアルは非常に重要な要素です だからキャラ造りともいえます まぁ蛭子さんは意識して作ってはいないでしょうが
人格がある場合キャラ造りはけっこうやりやすい 企業等の団体なんかは顔づくりが難しい 簡単なのは創業者のキャラをそのまま投影することです 法人とは法律上の人格 この人格に自然人をシンクロさせる 1対1対応ですね[01] … Continue reading

企業・団体の場合

企業のイメージづくり すなわちブランディングもキャラ造りに他なりません(ゆるキャラではありません念のため) ブランディングはビジュアルが大切です 代表的なのがロゴ・マーク それをデザイン(設計)というなら確かにそうですね
さらに顕著なのはパッケージデザインでしょうか プロダクトデザインもそうなのですが パッケージは商品のキャラ造りそのものです とくに不定形の商品ではパッケージが顔づくりになります

パッケージだけ孤立していてはマーケティングにならない パッケージは商品の特質のみならず背景・ストーリーまで語る必要があります
企業のブランディングも同じことで 会社イメージのパッケージ化ともいえます なにしろ商品以上に形が定まらないのが企業イメージです
ロゴ・マークは形作り(ビジュアル・デザイン)の第一歩なのですから まず自らを見つめ直すことから始めます コンペで募集するなんて人任せがいかに愚劣なことか

ミツカンのマークはとてもユニークで秀逸です 創業家の家紋「丸に算木」を商標登録しようとしたところ すでに登録されていたので丸と三の大きさ位置を変えて作りました 家紋によく使う「丸」を易学で使う筮筒(筮竹を入れる筒)に見立てたそうです
要素の大きさ・色・比率・配置を変えることが すなわちデザイン(設計)の作業であって これも優れたデザインです
三と環のマークつまりミツカンはブランドネームとなり ついには社名にまでなりました ビジュアルを核にしたブランディングですね 素晴らしい

オリンピックの場合

コンペ関連でいいますと 東京オリンピックのエンブレムにケチがついたのは オリンピック開催の必然性がないためだと考えます 東京オリンピック亀倉雄策さんのポスターが優れていたのは 敗戦からようやく立ち直り経済復興を目指そうという 国民全体の共感を得られる時代背景あってのことです だから日の丸だったのです 日の丸の復活という側面があったかもしれない[02] … Continue reading
5月3日追記=朝日新聞がこのポスターのことを 赤い円形に金色の五輪と書いていました 日の丸は使っていけない言葉? 書き換えの内規があるのでしょうか 編集ソフトで「ひのまる」と入力すれば 独自の幼児用語辞典が「赤い円形」へ変換するのかも)

石原慎太郎が盛んにオリンピックと騒いでいた時は それでもまだ金のかからない五輪を提唱していました
このたびは 森喜朗を頂点として利権と金儲けの思惑だけでやろうとしている いまだ被災地の方が仮設住宅に住んでいるのに オリンピックで浮かれてる場合じゃないだろう 経済波及効果とかいうんなら 福島で開催してみたらどうか
森喜朗の外見は確かにゆるキャラに近いかも知れないが性根が腐っています 精神がないから形に表れないのです
5月11日追記=此奴等の正体がバレました オリンピック招致に2億円ぐらい賄賂を使っても 懐にはその何十倍もの儲けが入ります これが日本の「お・も・て・な・し」の心でした)
10月20日追記=なんか妙な雲行きになってきました まさかの福島開催・仮設住宅を選手村に! 奇手奇策に出てきたが森の腹芸か 一種のブラフなんだろうな IOCとは利権で一致する 経済波及効果なんてありませんからね 長野オリンピック後の惨状を見れば明白です)
10月22日追記=唐突にIOC会長を連れてきたと思ったら 名誉博士号の授与だという この辺までは茶番で済ませていいが 天皇陛下・皇后陛下に拝謁とはいくら何でもやり過ぎじゃないか 先に高齢なので公務は控えたいと仰せになられた陛下を こんなゴタゴタに引っ張りだすのは不敬の極みである)

2022年9月3日追記=ようやく東京地検特捜部が動き始めました 森喜朗の息の根を止めることができるか 注目したいと思います 国賊共を蔓延らせてはいけません)

エンブレムのこと

ロゴやエンブレム等のデザインに著作権はありません アートではないのだから とくに重要なのは一般性です 誰が見ても分かる丸・三角・四角で単純化します 商業美術は個人の才能や技術で生まれるものじゃない
意匠登録されたものとかぶってはいけませんが オリジナリティとか創造性なんかいらない 佐野研二郎氏を非難するのは見当違いだと思いますが

エンブレムはもともと盾に描いた紋章のことで 旗印・袖印・兜の前立に近いものです 近代の国民軍による戦争は制服を着ていますが ヨーロッパ中世や日本の戦国時代は思い思いのフルアーマーで身を鎧います 敵味方の区別がつきにくいため目立つ印(徽章)をつけたのです

また恩賞・報労が目的で戦いますから 誰が手柄を立てたか敵の誰の首を取ったかの目印にもなるわけです オリンピックにそのようなものを持ち込む理由がよくわからない
以前には五輪エンブレムとかキャラクターなんてなかったですね 使用料を取るのが目的でしょう 全く金儲けの道具です

註釈

註釈
01 地形とマップの関係に似ています 現実そのものを認識することはできません 地図と見比べて理解するのです 物語を現実と同期させる これがイメージ戦略の基本といえます
02 日の丸復活といっても 1964年オリンピックのポスターはおそらく幟旗をイメージしているでしょう 日章旗じゃありません 日の丸の幟旗は朝廷から下賜されるものです
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「雪国」夜の底 国境

トンネルの闇と雪国の夜の底

川端康成の「雪国」冒頭は誰でも知っています 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 なぜ県境ではなく国境と書いたのか 雪国とそうでない地域の境を描いただけではなさそうです

その後に続く「夜の底が白くなった」 これは雪国育ちでないと分からないかもしれない 川端康成の取材の確かさと描写力です 主人公の島村は夜汽車に乗っているのです
冬の夜汽車の車窓は真っ暗です ことに鄙びた温泉地ならなおのこと でも線路際には客車の明かりが届いて そこが白く浮き上がるのです
トンネルも暗闇ですから 抜けても窓外の景色に変わりはない ただ窓際の席にいる者の目にだけ夜の底が見えます[01] … Continue reading

すべてが島村の視点なんですね 「島村の前のガラス窓を落した」「雪の冷気が流れこんだ」「雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた」 旅情も雪景色も全然描いていない トンネルを抜けたら一面の銀世界が広がってるわけじゃないのです[02] … Continue reading

ただこの後には夕景という言葉が出てきます すると冬の夜の情景を描写したのではなかったのか 時間が錯綜しています
トンネルを抜けた向こうの雪国は 島村の目から見た時間も場所も定かでない 異国ということなのでしょうか[03] … Continue reading

雪の夜

小説中に湯沢町はおろか 群馬県も新潟県も出てきません 清水トンネルは県境にあるが 島村の見る雪国は国境のトンネルの向こうです
上野国と越後国の境ではなく 雪国への境目なのです 国境の読み方は考えてなかったのじゃないか 雪国との境なら〈くにざかい〉と読むべきでしょうが どちらでも構わないと思いますね 望見の小説ですから 声に出して朗読するものではない[04] … Continue reading
駒子も葉子も実在と想念の境目が曖昧です この辺が小説作りの妙となります 葉子の目が夜汽車の窓に映る 島村は駒子の顔が鏡の向こうに浮かぶと見る[05] … Continue reading

角巻き姿の駒子だったか葉子だったかが 雪をこざいてやってくる場面がありました これもたしか夜のシーンです 仕舞い込んでしまって手元に本がないのでうろ覚えなのですが[06] … Continue reading
そして後段に描かれる凍てつく夜の天の川は 冒頭の夜の底と対をなしています 雪国の夜は異世界です 凍みた雪原に月の光が射すと 無数の氷の粒が煌めきとても人境とは思えない 雪積もる国の夜は 現実が物語の比喩表現です 島村の見る現は幻と重なり幻は現と化します[07] … Continue reading

読み方と意味

同じ文字に幾つもの読み方があるのは おそらく日本語だけの特質です 漢字の読み方に正誤はないのです 和歌はもともと口誦の文芸で 5音や7音のリズムが重視されました
漢字かな交じりの文章で書き表すようになってからは 掛詞や縁語などの言葉遊びともいえる表現が見られます 技法として押韻[08] … Continue readingはまずありません(長歌・旋頭歌・今様はよく分かりませんが)

漢字がもたらす字形のイメージ 意味からの連想といったものが 日本文学に多彩な表現力を与えました 一方で視覚に頼る表現になってしまいます いまや和歌の朗詠は宮中に残るばかりとなった感があります 紙の本に特別な意味を見出すのも 仮名遣いの問題も日本語特有なのかなと思います[09] … Continue reading

日本語と英語

サイデンステッカーさんの英訳決定稿では 最初は入っていた border が省かれています そして「夜の底が白くなった」に力点をおいています 雪国の国と国境の国は対応していますが このあたりを英語では表現しきれないのです
ヨーロッパの人達が読んだら 汽車でborderを越えるとき 国境警備隊の検問を想像してしまうかもしれません(映画007に列車内で国境警備隊が 乗客のパスポートを点検するシーンがありました これも確か凍てつく冬でした)

ノーベル賞選考は英語版によるかと思います 英語版では国境の語句自体が書かれていないのです 長いトンネルを抜けて現れる 夜空と白い雪面の対比が重要な意味を持ちます サイデンステッカーさんの最終判断は 「雪国」という小説のテーマを正しく伝える名訳となりました

註釈

註釈
01 「夜の底」を隠喩とする解釈が多いようです トンネルが異国への入り口という意味では 隠喩なので構わないのですが 私はあまり深読みせず素直に読み取るのが よいと思っています 学校の授業などで一字一句を取り上げてグダグダいうのが好きでなかった
02 清水トンネルは新潟と群馬の県境三国峠にあります 峠ですから入り口の群馬側にも 少ないものの雪が積もっていて 抜けて初めて雪景色となるわけじゃない 大切なのはトンネルを抜けて夜の底が現れることです
03 2018年1月15日追記=センター入試試験で「ムーミン谷」が どの国にあるかとの問題が出たそうです ムーミン谷はムーミン谷であって作品中にしか存在しないのです 同じように川端康成が 越後湯沢温泉の高半旅館で小説を書いたからといって そこが舞台とはいえません 県境とは書かなかった理由がわかります 新潟県湯沢町の話ではないから 県境でなく国境なのです
私事ですが この時の高半旅館の次男であった 高橋有恒氏と面識があります 医師であり文学青年でもあった方です
04 「こっきょう」は音読み「くにざかい」は訓読み(小学校で習いました)どちらで読んでもかまわないのです ただし意味合いはやや違ってきます
音読み訓読みといえば 重箱読み・湯桶読みがあります 〈ゆとう〉と読めば 蕎麦屋で出てくる柄の付いた四角の容器 〈ゆおけ〉なら風呂場で使う手桶のことです
書き言葉・話し言葉も教科書にあった言葉かもしれない 同じ文字なのに読み方で意味が変わる 日本語は不思議です
05 長編小説には単行本書き下ろしと あちこちの雑誌に書いた短編をまとめる二つの書き方がありました 書き下ろしはいわゆる構想何年というやつですね これは出版しない限り収入に結びつかない(菊池寛は前払いしたそうです) なので雑誌に短編の形で書いて稿料を稼ぐ方法を取ったのです
06 高半旅館は越後湯沢の町を見下ろす小高い丘の上です 坂道を雪をこざいて登ってくるシーンは やはり夜空と雪面の対比がイメージされます 新雪の積もった坂道を登るには 藁沓とカンジキが欠かせません
07 雪が降りしきる深夜 一人こたつに当たっていると 雪の積もる音が微かに聞こえます 粉雪の音はサラサラ 牡丹雪の音はホタホタ 底冷えがして背中が寒い こんな晩に雪女が表れるのです
08 いつだったか五言絶句か七言律詩 中国語の朗読を聞いたことがあります リズミカルで耳に心地よい 中国の詩も読み上げるものだそうですが 微妙な発音の違いを生かす押韻は欠かせないと感じました しかし日本語の読み下しでは全く意味がありません
09 いつも何か探しているようだナひばり(風天) この句のナがじつに効果的です ここがカタカナでないと成立しません しかしカタカナでもひらがなでも同じ音ですから 文字にしなければ意味をなさない 俳句はリズムの文学ですが それは声に出さない文字のリズムでしょう 漢字仮名交じりの日本語でしかできない表現です
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商店街

海外と日本のショッピングストリート
ヨーロッパのショッピングストリートは 中央広場(プラザ)へ向かう放射状の通りに形成されている 中央広場には必ず教会があり 教会の尖塔は街並の重要な点景となる ヨーロッパの都市部には 景観を維持・保存する目的で高さ制限があるため スカイラインの上に常に尖塔が浮かび上がる 教会を目指せば町の中心に行き着く ランドマークだ

日本の商店街でも門前町から始まったものはあるが 多くの寺社は町の中心ではなく外れに立地する 修行の場や悪鬼を塞ぐ鎮め石等が祀られた場であるから 街道筋あるいは川筋に建てられるものだ(五重塔はやはりランドマークである[01] … Continue reading) ヨーロッパでは 生活すべての中心にキリスト教がある したがって町の中心も教会になる

ショッピングストリートのモール化
ドイツのショッピングストリートには ラウベンと呼ばれるアーケード(通り全体を覆うアーケード街ではなく歩道に屋根がある形)が設置されている そして街路は曲がりくねっていて 囲まれた空間を形成する

これがおそらくモールの始まりだろう さらに歩行者と車の分離 スピードの制限による共存などの施策が モールに必要となる
日本のほとんどの商店街は 街道筋に形成されている 生活と密着した商店街 トランジットモール(抜けられます)だ 雪国の雁木はラウベンと同じ機構を持つが 町並みの構造上モールはできにくい

ヨーロッパ都市の道路は 馬車の通る車道と人が歩く歩道に分離されていた(理由は事故だけでなく 馬糞の問題だったようだ) 日本の街道は徒歩通行のためだった 乗用に牛車はあっても 馬車が使われることはなかった 物流は船が担っていた[02] … Continue reading
そのため 旧街道では歩行者と車の分離が難しい 車を閉め出しても活性化に通じることはない 共存でなければならない 商品の搬入などの物流を阻害してはいけない 歩行者天国ではだめなのだ

ショッピングセンター
日本のショッピングセンターに○○プラザの名が多いのは ヨーロッパ等の教会を中核とする広場から発生した市場に由来する ただし名前を拝借しただけでコンセプトは曖昧だ もちろんセンターといっても中央広場にあるわけでない
中核店(大型店)のないスペシャリティセンターには テーマに基づくテナントミックスが必要 明確なコンセプトによって 街並のアイデンティティが生まれる

ダイエーの倒産に象徴される ビッグストアの終焉 量から質 衆から個への転換が始まって久しいが 自覚している商業施設は少なく 有効な施策もみられない
昭和60年代に策定された再開発(この施策自体に疑問がある)で ビッグストアを誘致する計画は ことごとく破綻している ダイエー そごう 西武 長崎屋 十字屋が主な中核店だった この顔ぶれを見れば失敗する理由がわかるだろう

再開発で衰退する商業
不動産投資型の大型再開発が行き詰まると 今度はソフトだの文化などという 取って付けたような惹句を持ち出してくる その究極の姿が ゆるキャラなのだろうか いくらなんでもお粗末すぎるが
日本の再開発やショッピングセンターは すべてコンセプトは後付け まず容れ物を作る 次にテナントを誘致する そして適当な名称のイベントで集客する テナントミックスや街のアイデンティティは考慮されないままに

しかし 人が集まれば物が売れるわけじゃない とくに行政主導のイベントは予算を消化するのが目的で 利益を出す必要はない 経済波及効果という詭弁で数字合わせすれば仕事をしたことになる
結局終わってみれば 潤ったのは行政の隠れ蓑である第3セクターと その周辺の利権に群がる 様々な業者・政治家ということだ

路地裏・横丁・小路
かつて街道筋にあった繁華街は 地方自治体主導の再開発によって駅前に移り 次に民間デベロッパーによる大型ショッピングセンターが郊外に建設された
そして地方都市のショッピングストリートは 単に車が通過するだけの道路になり 買い物客(歩行者)の姿は消え去った

カオスと卑近な猥雑さが 路地裏・横丁の特徴であり 活況の源だった メインストリートに交差する形か並行する形で路地裏・横丁があった
メインストリートと横丁・路地裏が形成するコミュニティに裏町文化が生まれる まずコミュニティができて そこから文化が発生するのである 机上のプランニングで作るもんじゃない ゆるキャラは文化でも賑わいでもないのだ

註釈

註釈
01 ヘッダーの写真は横浜三渓園です 原三渓は絹糸の輸出で財を成しました 絹糸は群馬県で生産され 八高線で八王子に集荷し さらに根岸線で横浜まで運ばれました
戦国時代から江戸時代 絹糸・絹布は中国から輸入される高級品でした 日本から海外に輸出されるようになったのは 機械紡績が始まってからのことです
02 農耕に使ったり荷馬車や 騎乗することはあったが なぜか日本に乗用の馬車はなかった ヨーロッパの馬車は馬の代わりにエンジンを積んで自動車になり(エンジンの出力をホースパワーhpというのはその名残) アメリカの駅馬車は大陸横断鉄道になります もしかしたら乗用馬車はギリシャ・ローマ時代の戦車から来ているのかも知れない 日本では地形から戦車は使いにくく 流鏑馬止まりです
これも地形から来たものですが 日本の物流は船でした 海岸沿いの北前船は誰でも知っています 港に下ろした荷は今度は川船で内陸に運ばれます 明治時代に鉄道が敷設されました これは船の代わりに物流を担うためでした そのため線路は川沿いに敷かれ 駅は元船着き場があった場所です ですから鉄道の駅はだいたい町外れにあります
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