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タグ: 八岐大蛇

古代びとの信仰

自然神信仰

吾が国において 畏敬・崇拝の対象になったのは 美しい風土ときに厳しい自然そのものではなかったか 自然とは無常です 移ろい行くものです 繰り返すから永遠
お釈迦さまの説いた仏教は 穢土(此の世)を逃れ 浄土(理想郷)を目指すものでした しかし吾が国人は 美しい国土に浄土を観ました 現世を美しく思う浄土現前
花鳥風月 虫の声まで愛でるのが 日本人の心です 今ここにある たわい無いものが 尊く美しい[01] … Continue reading 現実逃避したり 我欲にとらわれないのが 和の習いなのです

仏教がいう穢土とはカースト制のことです 生まれながらに階級が定められるので 死をもってしか自由・平等は得られません[02] … Continue reading 一神教が生まれたのは過酷な砂漠です 限られた緑と水を部族間で争奪する世界 互いに闘い現実を克服するのが生きることです[03] … Continue reading
仏教は現実逃避であり一神教は戦う宗教と言えます 縄文時代の暮らしぶりは分かりません 日本の気候風土は比較的おだやかです そこに住む人たちは あるがままに穏やかな生活を送ってい 互いが争うことは少なかったでしょう

惟神の道とは 四季の巡りに委ねることかと思います あらゆる作物も漁撈も狩猟も すべて自然の恵みです 自然によって生かされていたのです 自然からの恵みに感謝し自然の災いを慰撫する 祈りと祭りが吾が国の人々の信仰でした
これが変化したのは水田でしょう 水稲米は陸稲に比べ収穫量が多いものの 治水のため大規模な土木工事が必要になります 米作りそのものも集団作業です 統べる者が現れ 水利を囲って諍いが起き ついに武装するに至ります[04] … Continue reading

人格神信仰

八岐大蛇を退治た素戔嗚尊は 川の流れを制し奇稲田姫を得ます 米作りの神です にもかかわらず高天原で田圃を壊したりしています 米作りの神は風雨を司る天候の神でもあります 雨風は稲作に欠かせないが過ぎれば暴風雨なのです 地上に追放されて 大宜都比売命から食物を分け与えられますが これを斬り殺してしまいます 食べることは穢きこと 生きることは命をいただくことです
縄文時代の動植物を象った生贄が次第に土偶の姿となり 大宜都比売命・保食神の人格神と繋がります 土偶は動植物から人格への過渡的形態です すなわち記紀で描かれるのは 自然神から動植物神そして人格神に変わったことの象徴と見ます 芽生えは生であり収穫は死です 大気都比売神は斬られ土偶は欠かれます 命は奪われて伝えられ繰り返されるのです

和国大乱を鎮める日女御子は縄文への回帰であったのか 私には「なよ竹のかぐや姫」と重なって見えるのですが 御門をも袖にする月の世界の人 月の光は武装した者を無力化します 最後に天の羽衣が登場します 衣・食・住といいます 衣が人の帰趨を決定するのです(旧約聖書・創世記では食が最初でしたか)[05] … Continue reading
羽衣伝説は海辺や川縁が舞台です また地上に留まった天女は豊受大神とされることが多い 竹取物語はいろいろな伝承が入り混じっていて とくに後段は阿弥陀三尊の御来迎に影響されているかもしれません とすると かぐや姫は穢土から浄土へと向かったことになります 月の世界は不老不死で四苦はない その代わり喜怒哀楽も情愛もない世界です 清浄であるが豊かとはいえません[06] … Continue reading

縄文と弥生の信仰

満月を愛でるのは実りの秋です 竹籠に盛って供えるのは芋と栗と豆です 三方に団子は江戸時代に入ってからのこと 竹取物語には月を見るは忌むことという件があります 稲作の神である太陽神と 他の作物や漁業の神である月の神との葛藤が伺えます[07] … Continue reading
あらゆる祭礼の本祭は宵祭の神楽です そして神の遷座があります 天の羽衣に着替え月に帰るかぐや姫の乗る御輿(車と書いてありますが 宇宙船でしょうね)は宙に浮かびます 祭礼の神輿は決して地面に置くことはありません

正月15日は小正月です すなわち新年最初の満月の日 古人は冬が明けて春を迎える火祭りを執り行いました どんど焼き・塞の神は縄文からの習いでありましょう 小正月・女正月といいますが(大正月という言葉はない?)新年の祝いは十五日正月でした[08] … Continue reading  縄文と弥生は八百万の神として 時には争いながらも 一万年以上の時を共に栄えてきたのです

おそらく縄文の昔からであろう 吾が国古来の信仰は現在でも民間行事の形で受け継がれています 雑煮・塞神・小正月・月見などなど 記紀が編纂され天津神と国神が系統づけられても 外来の仏教が取り入れられても 儒学が採用されても キリシタンの布教があっても 揺らぐことなく大和心として国人の裡に生き続けます

註釈

註釈
01 10世紀初めに遣唐使を廃したことにより 中国の影響を脱した 和の優美な王朝・宮廷文化が形成されました 源氏物語・枕草子・和泉式部歌集を頂点とする 雅な国風です 日本文化の担い手は女性でありました
鎖国政策によりキリシタン文化を排し 江戸時代に上質で多彩な庶民文化が花開きました このサブカルチャーは営々と受け継がれ 今日の漫画・アニメーション文化となっています
02 インドで仏教が普及しなかったのは根強いカースト制のためです(女性はカーストの枠外なので不可触賤民と同等とされます) 仏教は命あるものすべてが平等と説きます 釈迦と同時代の孔子が説いた儒教は 長幼の序・男尊女卑など 人は生まれながらに優劣があるとします この差別主義を敷衍すれば 中国人の選民思想・中華思想に繋がります
あらゆる衆生を救うとする仏教は インドのみならず中国でも受け入れ難かった 日本は階級・身分のない社会です だから仏教が受け入れられ繁栄したのです 日本が取り入れた大乗仏教は差別なく衆生を救うのを旨とします 女人禁制は儒教の影響を受けて後代(おそらく江戸時代)に言い始めたことです 尼寺・比丘尼は珍しくもなく 女性住職の寺もあちこちにあります 中国の男女差別は徹底していて 宋代の記録を見ると女性は ほとんど物扱いです
03 一神教では 人間は他の動物より優れた特別の存在 そして神を信ずる者同士だけが平等です これも選民意識です 洗礼が最も大事な儀式とされるのは 水が貴重だったから 旧約聖書で神が洪水で人類を滅ぼしたのは どう解釈したらいいのでしょう 神の嫌味?
04 狩猟・漁撈の世界でも指導者の元で共同作業です また入会権という形で漁場・狩場は決まっていました しかしそれは利用権であって占有権ではありません 山野・海川の恵みを利用するのと違い 水田の構築は人為的なものです したがって作った者・集団に所有権があります 農地に適した土地は限られます とくに水田は水利が重要です どうしても土地争い水争いが生じてしまうのです
05 天照大神が天の岩戸に隠れたきっかけは 素戔嗚尊に機織りを邪魔されたからです 天の羽衣を織っていたのでしょうか 食の要である田圃を壊したりの乱暴狼藉は許したが(自然災害です) これには堪忍袋の緒がブチ切れました
オリュンポスの神々は半裸体で描かれることが多い気がします ヒンズー教の神々もそうです 仏像でも粗末な衣装ですね 糞掃衣というそうです お布施は文字を見ればわかるように 布を施したのが始まりです 〝仏像の服装の意味〟たいへん参考になります
一神教に食べ物・飲み物の戒律があるのはなぜなんでしょう 食糧事情が安定しない風土であることは確かです 仏教の教えにも戒律はありますが 食べ物に関しては特に煩いことを言わない 生臭ものを食べないのは修行の妨げになるからで強要はしません 禅宗は不許葷酒入山門とか言ってながら 般若湯と称して酒も飲みます 日蓮聖人は大の酒好きだったと伝わります
06 地上の穢きものを食べたかぐや姫は 月の世界へ帰るために薬を飲みます この薬は地上でのことを全て忘れてしまう まさに六根清浄ですね 仏教が関係している 人間が飲むと不老不死になるというから 中国の神仙思想の影響もありそうです 御門がこれを富士山で焼き捨てるのは 吾が国の伝統に習った正しい判断です 不老不死は生きることではない 不変は決して永遠を表さないのです 外来の仏教(中国経由のため老荘思想などの影響があります)もそのままではなく 日本流に換骨奪胎しアレンジしてしまいます
07 日女子は生涯独身でした かぐや姫も求婚を断り続けます 日女子と接するのは一人の男だけだったといいます 竹取翁に比定できるかな かぐや姫は月の世界の人でしたが 日女子は天照大神に仕えたと思われます
鬼道(奇道)がよく分からない 争いを治めたのだから 武装を無力化する月光を操るのかもしれない 今でも大嘗祭は夜に行われますし 日没や夜明けに月と太陽が同時に見えることがあります 必ずしも対立しているわけではないでしょう
08 1月1日 3月3日 5月5日 7月7日 9月9日といった数字合わせの いわゆる節句は 大陸から伝わったと思われます(なぜか江戸時代には1月7日を人日と称し五節句としました) いま年中行事とされているものには 宮中から民間に広がった唐様が紛れ込んでいます 新年に日の出を拝むのは近年のことです 昔より伝わる民俗行事の方が大切です 月を愛でる十五日正月が古来(おそらく縄文)よりの正月祝いです
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祭り(祀り)の意義

鎮守の森

日本人は森の民でありました 熊野本宮大社はもと川の中洲にあった森を祀った神社です 現在の主神である(けつみみこのおおかみ)は樹・森の神です まさに鎮守の森の原型といえましょう なお中洲は(おおゆのはら)といい 大斎原と書きます
熊の字は〈ゆう〉とも読みます これは漢音でも呉音でもなく 慣用的な音です 古語と思われますが語源・意味とも不明です 大斎原の斎は〈いむ〉のほか 斎木〈ゆき〉などの読みがあります 〈ゆ〉の音に斎の字を当てただけでしょう

してみると熊野は〈くまの〉ではなく 〈ゆうや〉〈ゆや〉あるいは〈ゆの〉であったかもしれません 熊の字を当てた理由は森の主が熊だから? しかし神武東征で熊の化身が現れたというものの 熊祭りが行われていたという伝承はないようです
宮沢賢治の童話「狼森と笊森、盗森」は 森と人との関わり信仰を描いています 狼森は〈おいのもり〉と読みます 〈おおかみ〉は大神からの呼び名でしょう 森の主は狼であったのです (おいの)は東北地方の言葉ですが方言は古語が残ったものです これも語源はよく分からない
古代は山や島・川・湖など自然そのものを祀りました 森もそうだったのでしょう 動物が表象また使いとされることがあります 白蛇や狼・白鹿など でも熊はアイヌのイヨマンテ以外は知りません

南方熊楠大人が明治政府の行った神社合祀に対して大反対を唱えました 数々の理由を述べていますが 森林が失われることに危惧を抱いたのが 最大の理由です 博物学者らしい動機ではあります[01] … Continue reading
八百万の国神は土地から切り離され 所縁のない神社へ合祀されました 神社に複数の神が祀られこととなったのです[02] … Continue reading 神社合祀により数多の鎮守の森が失われたのは事実です(実態は神木を切り倒して用材として売り 統廃合の費用に当てようとしました でもほとんど値が付かなかった)
狼森が失われたため狼(大神)は姿を消し 里山が荒廃して日本の風土は一変しました もはや我々は森の民などと名乗れません この始まりは薩長明治政府の神社合祀だったのです

廻りと繰り返しが永遠

四大文明と言われるところは 平野を大河が流れています 雨期の泥水が土地を肥沃にし その水を用水池に貯めておき乾期の灌漑に使います 日本はほぼ温帯湿潤気候なので雨は降りますが 山国のため急流が多い 水を溜めておくことが難しいのです 治水は照葉樹林(里山)の保水力を頼る段々畑や棚田となります 山田は巨大な溜池とも言えるのです[03]水稲米の拡がり(北上)は伝播というのが正しい 中国からもたらされた  … Continue reading
治水はある程度可能とはいえ 天候を人智で左右することはできません 日照りに対しては祈るしかないのです 荒ぶる神(風雨の神)であった素戔嗚尊が 太陽神天照大神に服属するのは自然な姿です 月読尊は標の神 豊穣の実りを示すとともに 海洋神・漁業神でもあります[04] … Continue reading

この三柱の神々を祀ること(祭り)が 米作りで成り立つ瑞穂の国の姿です すべての祭りは農事祭です 日ごとに日の出を迎え 月は廻り 四季が一巡すれば実りが齎されます 日本の風土・自然と共に生きること すなわち祈りと祀り(祭り)が古代神道そのものです[05] … Continue reading
もっとも重要で縄文時代から行われていたのが 夏至の水祭りと冬至の火祭りです 田植えの時には早苗饗(さなぶり) 穂がつき結実すれば夏越の祓え 各地の秋祭りは収穫祭です 正月はもと新年初めの満月を祝うものでした 十五日正月といわれます[06] … Continue reading

天照大神 月読尊 素戔嗚尊は天津神三兄弟 それぞれ太陽神と月の神 ならば素戔嗚はなんの神か 自然現象を神格化したのは間違いない 行動を見ると天候の神でしょうか[07] … Continue reading 稲作関連ならば水に関係する 気候(四季)を表すのなら 年の神となります
日の神・月の神・年の神で三神 太陽と月の周りは農事に そして四季(特に降雨)は稲作と深く関わります 三種の神器はそのまま三柱の神を表し 形代なのです
八咫鏡は太陽を表します 八岐大蛇の尻尾から出た剣を 素戔嗚尊は天照大神に献上しています 天叢雲は文字通り雨雲を表し 刀身は稲光[08] … Continue readingの象徴です ゼウスの武器が稲妻であったように鋭利な剣です 月を読むとは農事暦ですから 八尺瓊勾玉は月日を数える標でありましょうか[09] … Continue reading

註釈

註釈
01 神社合祀は市町村制と深く結びついています 廃藩置県の次に全国の村落を統廃合して 新しい行政区域をつくりました 村々が統廃合されると ひとつの村に複数の産土の神が存在することになります
農業ことに稲作は神道と切り離すことができません 米作りと祭りは共に集団作業で不即不離のものなのです 集落は土地の氏神を中心としていました 一つの集落に一つの鎮守様があったのです
規模の大きい神社で複数の神を祀ることは 明治以前からありました これは主に吉田神道などの影響です 箔をつけるためでしょうか色んな神を勧請したのです また一つの神が二つ以上の名を持つとされることもあります
02 明治政府の国家神道(神社神道)は もともと対等であった八百万の神々(鎮守様)を 伊勢神宮(天照大神)を頂点とする階層構造に組み入れました 中央集権の政治体制を正当化するため 神社も統合したのです
このような序列・系統立ては延喜式の昔から行われましたが 明治政府は廃仏毀釈といいながら 一方では摂社をも廃しました そのため各地に伝わる民間伝承も 次第に失われることになったのです
03 水稲米の拡がり(北上)は伝播というのが正しい 中国からもたらされた  などということはありません 日本人が風土に合わせて品種改良した結果 少しづつ耕作地が広がり 熱帯ジャポニカ・温帯ジャポニカができました 中国大陸では長江を境に 南は水稲米が主でしたが 北進することはありません 冷涼な気候に加え乾燥地帯だからです 主な穀類は粟・稗・高粱でした 後の時代に小麦・大麦が栽培されます
04 蟻の熊野参りという言葉があります 熊野は古くから信仰されていました 紀伊半島は稲作に適さない土地柄で 漁業および海上交易が盛んであり 熊野水軍と呼ばれる勢力が 大阪湾から瀬戸内海を支配するようになります
魚付きの森というように森はまた海とも深い縁があります 熊野と月読命は関係ありそうですが 記紀の編纂から吉田神道そして神社合祀と 各地の神社の言い伝えは改竄され失われてきました 古の姿はわからなくなっています
05 祭りには御神楽が奉納され御神酒が供えられます 酒は米の精華であって神聖なものでした 原初の酒は生米を使った水酛づくりだったと言われます
水稲米が作られる以前にも酒は醸されていました 長野県の井戸尻遺跡(5000年前)からは 果実の種や皮が付着した有孔土器をはじめ さまざまな酒器が発掘され 秋田県の池内遺跡や青森県の三内丸山遺跡でも ニワトコの実を醸造したと思しき痕跡が出土しています 縄文のワインです
縄文時代で既に酒造りに土器が使われています 米を使った日本酒(の原型)でも甕で発酵させていたでしょう 酒母は炊いて糖化させた飯です 沖縄で神に供える酒は炊飯ではなく 口で噛んで糖化させ醸したものだったそうです 火を使わないのはおそらく宗教的な理由からと思われます 延喜式に蒸米を使った種麹の記述が見られますから 平安時代中期には現在に近い酒造りが確立されていたのです
06 ナマハゲなどの行事は古代神道の姿を伝えます 柳田國男の「遠野物語」に見える オシラサマは 正月十五日に白粉を塗って祭るとあります 歳神様は中国からやってきました 七福神もほとんど外来の神です 現在行われている正月行事は 古来(縄文)からのものと中国由来の節会とが混合しています
07 素戔嗚尊は時に泣き叫んだり 水田を壊したりと手のつけられない神です これらの行動は暴風雨を表すとみていいでしょう 半面で稲作の神とされていて 木を植えたりもしています 八岐大蛇を退治て(治水)奇稲田姫を娶るは 水稲米を栽培することです
08 雷が多いと豊作と古来いわれてきました 放電が大気中の窒素分を水に溶け込ませるというのです ゆえに稲妻です 天叢雲剣が稲妻・稲光を表すとしたら 七枝刀の形がふさわしいのですが 誰も見たことがないので なんとも言えません
09 数珠もロザリオも数取りに用います 八尺は大きさか長さを表していて 勾玉の数は四季を表すなら4個です 新月から満月の月齢だと12個になります そして管玉が間に30個ずつなら 全体で一年を表します 月読命は縄文の主神であったかもしれません
天岩戸隠れは日蝕ではなく 春を迎える冬至祭りでしょう 日蝕はそう度々起こることでないし 稲作に影響があるわけでもない 賢木を根こそぎ抜いて飾り立てるのは クリスマスツリーを思わせ 天宇受売尊が足音を立てて踊るのは 鳥追いを偲ばせます
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俯仰天地に愧じず

“俯仰天地に愧じず“ 1953年に出光佐三が日章丸[01] … Continue readingをイランに派遣した時の言葉です 原典の孟子は「仰いで天に愧じず 俯して人に愧じざるは・・・」 君子の三楽の二番目にあります 同じく孟子に “自反而縮雖千萬人吾往矣“ があります
1952年にはサンフランシスコ講和条約が発効され 名目上は独立国になったにもかかわらず 連合国占領軍の顔色を窺い腰の定まらぬ政府・役人の心根は 縮こまりねじ曲がっていました 元寇以来の国難に何ら対応できなかったのです[02] … Continue reading
自ら顧みるとは 天の意を汲み地の声を聞くことです 出光佐三の言わんとする所は ただただ国のため庶民のために 無責任な為政者の言動に惑わされず 己の信念を天命と心得て 人の道を行くことかと思います

出光佐三は生まれ故郷にある宗像大社を深く崇敬していました 宗像大社は大神神社や熊野大社また諏訪大社などと同様 有史以前に創建されました[03] … Continue reading これらの神社は おそらく縄文時代からの歴史があるでしょう
日章丸の船長室には 小杉放菴描くところの 天宇受売命の絵が掲げられていました 小杉放菴の絵は清明にして温和 天宇受売命は大らかな笑みで踊っています 直ぐなる心は内に勇武を秘め 正しき道を進みます

出光興産社史によれば 出光佐三の死に際し 昭和天皇から “国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ” の御製を賜りました
敗戦で右往左往するばかり 保身と責任逃れに汲々とし 決断しない政治家・役人に替わり 御自らGHQに赴き戦後処理を為された昭和天皇です 孤高の出光佐三の心意気と働きを心強く思されたのでしょう

註釈

註釈
01 その名も日章丸 この時は第Ⅱ世でした 日章は日昇の意も持っていたのではないかと想像します すなわち聖徳太子の国書に見られる言葉 日出処の船です 日の丸は外国に行くとき国籍を表す船印であり 対外的に吾国の意気を示す表象であります
02 「愧」の字は「慚愧の至り」等で用いられます 慚は自らに愧は他に対し恥じること 愧じずは行いが恥ずかしくないの意です
昭和大戦敗戦の責任を取らず 魂を敵国に売り渡すのは 我欲にとらわれた恥知らずです 今も政界・官界に末裔が蔓延っています 日本の領海・領土を奪い また窺っている ロシア・中国・韓国に媚びる者どもです
二階俊博が中国に媚を売り 習近平を国賓として招くなどと唱えています そのうえ此奴はパンデミックの中 役人と共にGoToキャンペーンとやらをゴリ押しし ために日本は第三次のコロナ禍に襲われました まさに国賊です
GoToトラベルの予算1.3兆円はコロナ対策費の倍に当たります しかも大手代理店や国鉄関連の社団法人等が差配し 中小零細の業者が救済されることはありません
03 古来より山や海そして川などが神そのものでした たとえば八岐大蛇は山と川を神格化したものです 大和朝廷により人格神が祭神に定められ 大蛇は素戔嗚尊に退治られ(成り代わり)ます
そんな中 宗像大社は沖ノ島自体が御神体 大神神社は三輪山が御神体と 古式を伝えています 諏訪大社の祭神は諏訪湖であったか
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