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タグ: 流通

敵に塩を送る

何でも中国から朝鮮経由で伝わったと思い込んでいる学者が 朝鮮半島で塩田の跡を探したそうです もちろん見つかるはずがありません 騎馬民族の蒙古料理を見れば味付けは岩塩です 大陸の人たちは岩塩を利用していました 前提そのものが間違っているのです ちょっと考えりゃ子供でも分かることです
そもそも世界の食塩は70%が岩塩だそうです 掘るだけですから手間がかからない 日本で岩塩はとれません それで大変な労力をかけて海水から製塩していたのです 日本は島国で砂浜が広がり陽光が降り注ぐ風土です 塩もまた海からの恵みなのです

塩といえば上杉謙信公の逸話があります 今川が武田へ経済制裁したことを義に悖るとしたのです 塩が戦略物資に使われたのは 調味料としての需要でなく 食品の加工・貯蔵に重要だったからです 食品の保存・流通のためには乾物か塩漬が全てでした[01] … Continue reading 発酵食品にも塩は不可欠です ヨーロッパでもかつて塩は戦略物資でした ザルツブルクは塩の城という意味です 岩塩の産地であり塩の通関料を徴収していた名残りです[02] … Continue reading

今の日本は塩田がほとんどありません しかし製塩はしています 中国などから岩塩を輸入し水に溶かして イオン交換膜で精製します なぜ自然塩でなくそんな手間を掛けるかというと 7割以上が工業用の需要(ナトリウム製造の原料)だからです
専売公社の取引先は日本曹達などのナトリウム製造会社です 食塩として使われるのは3割以下 しかも加工食品に使われる方が多い そのうえ加工食品にはナトリウム化合物が大量に使われます 代表的なのがグルタミン酸ソーダ(味の素)ですね
添加物でなくとも加工食品製造工程に〇〇ソーダが欠かせません 塩分摂り過ぎの害といわれるのは 実は加工食品に使われるナトリウム障害です(製品化の前に中和したり取り除くことにはなっています)
いつの頃からでしょう減塩がいわれるようになり 塩蔵品の全てに保存料が使用されています 味を補うために化学調味料も多用されます 塩が健康に悪いという減塩キャンペーンは プロパガンダだったのではないか? 家庭用食塩が売れなくなっても専売公社の売上に影響はなかったのです[03] … Continue reading

現状で塩は戦略物資ではないでしょうが 多くを中国に頼っているのはどうなんでしょう ナトリウムはあらゆる化学工業で使われるそうです 広範な需要があるということは産業に欠かせない基幹物資です レアでないとはいえ重要なことに変わりありません
確実な需要があるため専売公社が塩を独占していました 海水から作る日本の塩は製造コストがかかります そのため安い中国産岩塩等を輸入するようになりました ただ金儲けのためだけです 国家戦略でもなんでもない 日本の製塩はおかげで消滅してしまいました
現在のニガリ入り食塩は 専売公社から塩化ナトリウムを買って 海水からとった苦汁を混入したり 外国産の天日塩を日本沿岸から採取した海水に溶かし 再結晶させた製品です 加工食塩であって自然塩ではありません[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 別に分ける必要ないのですが 遊牧民=乾物(風干し前に塩漬けします) 農耕民=塩蔵(漬物)というイメージがあります 移動するには軽いほうがいいですし 放牧地は乾燥地帯です 農業に水は欠かせないし 農耕は定着しなければなりません
02 ビーフィーターという名前のジンがあります ラベルにはロンドン塔の衛兵が描かれています 衛兵の俗称がBeefeaterでした 彼らの給金が牛肉だったからと言われます 日本の武家も扶持米が支払われていました 米は貯蔵可能で兵糧に適しています
この牛肉も保存用の塩漬・干し肉だったのではないでしょうか 塩漬け肉にはミネラルたっぷりの岩塩が使われます さらに硝石を加えることもあります 精製しない岩塩は肉の臭みを抑え保存性を高めるのです
03 減塩なのに〈保存料不使用〉と書いてある加工食品があります しかし発酵調味料・発酵風味料と記載されていれば それは保存のために使っています ソルビン酸等を使ってないというだけのことです
〈化学調味料不使用〉の加工食品は 蛋白加水分解物を使っています これはクズ肉を原料としていますから 有機食品と表示されます 最近は酵母エキスが主流みたいですね ビール醸造などの搾りカスが原料です 以前は飼料に使用していました
04 料理人に聞いたところ焼き魚に振る塩は ミネラル過剰の加工食塩より むしろ専売公社の精製塩の方が旨く焼き上がるそうです 今はない(店主が亡くなった)焼き鳥屋さんの手羽塩焼きは やはり普通の塩を使うと言ってました ごまかさない鶏肉の味がする美味いものでした 素材の味を引き立てる日本料理には雑味のない塩なのです 魚料理には天日塩 肉料理には岩塩といった使い分けになりますか
カンスイは中華麺製造に ニガリは豆腐の製造に使われるくらい こんにゃく製造工程の消石灰と同じく 調味料としては使われません 旨味ではなく雑味ですからね 砂浜に撒き天日の下で濃度を上げた海水を 煮詰めて塩の結晶を得ます 塩をとった残りが苦汁です 中華麺に使われるカンスイは塩湖(鹹水湖)から採取するものでした 天日塩の副産物であるニガリとは異なります
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海洋民族の環日本海文明

Youtubeで誰かが 2万年前は日本列島と半島・大陸は地続きだったから 縄文人は徒歩でやってきたと話していました この人は石器時代からカヌーが使われたことを知らないのです 縄文時代に陸路があったとでも思っているのか[01] … Continue reading
人々の移動は主に食糧を求めて 生活圏が広がったり移行することから起きます 遊牧民でも一定の地域から出る事はありません 4世紀フン族の大移動も遠征ではなく版図の拡大です[02] … Continue reading 縄文時代に最果ての地を目指し 陸路長途の旅をしたとは考えられない[03] … Continue reading

日本海が中心だった

当時は最終氷河期の終わりですから 海面が低下し樺太と大陸・北海道が地続き あるいは常時結氷していたかもしれません しかし極寒の氷の上を徒歩で移動するのは 雪原を歩いてみればどれだけ困難か分かります
対馬海峡は塞がっていなかったでしょう 巨大な内海と化した日本海を介して 交易が行われていたと考えるのが自然です 内陸には川を遡って行けます わざわざ道なき陸を大荷物担いで歩く必要はない
文明とは経済活動です 経済活動の基本は交易・物流です 人も荷も流通は水運が担っていました これは鉄道が敷設される近年まで続いていたことです[04] … Continue reading

人々は何かの都合や目的を持って大挙 短期間に大陸から日本に押し寄せたのではない 旧石器時代以前から時間をかけ 海や川伝いに漁場や狩場を探し 適地に定着して農耕も始め 集落を築いたのです 石器時代はすでに あちこちの集落同士で交易がありました
縄文早期に重なる新石器時代には カヌーの原型である丸木舟が登場しています 皮張りカヤックや葦船のような筏は それ以前からあったはずです カヌーは双胴にしたりアウトリガーを取り付ければ 外洋航海も可能な船です 何らかの帆も使っていたことでしょう[05] … Continue reading

北前船は江戸時代になって突然現れたわけじゃありません 日本海側沿岸伝いに樺太から北陸に至る航路は 石器時代・縄文時代からあったのです 朝鮮半島東岸から渤海まで回航していたでしょう 縄文時代すでに木樵や船大工の専従者がいたかもしれません
そうしてみれば縄文時代から環日本海文明があったと 仮定してもおかしくないことです むろん中国の文献には書かれていません 有史以前のことですし 中国にとって辺境の地にさしたる関心はない
伝聞を記載し しかも殊更に卑しめた文字を当てはめる中国の文献より 発掘した資料やご先祖からの言い伝えを拠り所にした 想像力と常識の方が大切です

日本海以外は

オホーツク海を中心とした カムチャッカ半島・千島列島・蝦夷地と関連はありそうです ここの人達は太平洋側沿岸を行き来していたのではないでしょうか[06] … Continue reading オホーツク経済圏と言っていいかもしれない この経済圏の中心を担っていただろうアイヌの人は 丸木舟を竜骨代わりにし側面に板を張り付けた イタオマプチ舟を操っていました[07] … Continue reading
九州から朝鮮半島西岸 黄海・東シナ海で交易はどうなんでしょう 台湾・琉球諸島をもって環〇〇文明圏とは言い難い 後代にいわゆる倭寇が活動するくらいなものです

戦国時代アユタヤに侵攻しようとしたスペイン船を撃退したのは 倭寇と呼ばれた人達でした なにか大東亜戦争を彷彿させます 渤海も後年の満州と地域が重なりますし 歴史は繰り返されるということかもしれません
そういえばヨーロッパでも古代 ゲルマン民族はギリシャ・ローマから蛮族扱いでした バイキングは倭寇のようなものだったのでしょう

このように日本人は海洋民族でしたが 中国人(漢民族)にとって海の向こうは異界です シルクロードが象徴するように西域との交易が主でした 自由に海上貿易を行なっていた人たちを倭寇と呼びました
今のように中国が海洋進出するまで もともと制海権は日本が握っていました 台湾はもとより海南島も漢民族の住むところではなく 流刑地で蘇東坡が島流しになったりしています 蒋介石が台湾に逃れたときでさえ 毛沢東は追撃できなかったくらいです

遠い弥生時代に海路でも陸路でも 大陸から籾を持って日本を目指す理由もありません 稲の原産地は南方ですから 北上し日本に来たのは確かといっていい 水田の適地に耕作地が広がったのです[08] … Continue reading だから伝播という言い方がふさわしい 米は交易品だったのではないか 米作りの拡散も海上交易の結果でしょう
流通・交易を通じて情報が伝わるのです 陸稲の熱帯ジャポニカ水稲の温帯ジャポニカ ともに島伝いに伝わったと思われます 八重山から沖縄に至るまでに 熱帯ジャポニカの遺伝子を持つ温帯ジャポニカ在来種が認められます 農業とくに水稲米は田作り・治水です 一所懸命・土着のものなのです[09] … Continue reading  どこかから渡来するもんじゃない

2022年2月20日追記=中近東アブダビの島で8500年前の住居跡が発見されました 以前にも同地域の島で同じような遺跡が発見されています 住んでいたのがどのような民族かわかりません 遊牧民ではないですね 漁業が主だったのでしょう 集落同士の交易があったかどうか カヤックかカヌーか船を使っていたのは確かなことです)

註釈

註釈
01 旧石器以前の人たちは徒歩で日本にやってきたかもしれません それは狩場を求めての移動であって何千年の時間をかけてのことです どこかから大挙して日本を目指したわけじゃない
02 匈奴・フン族・元など騎馬民族による広大な領土拡張は 武力を背景にした収奪支配・植民地です 遊牧民が交易を担っていた あるいは交易をしていた商人を保護する代わりに 通関税を取り立てるという支配形態です
騎馬民族が交易を独占した理由は説明するまでもありません 陸上の交通手段である馬を制していたからです 冒険商人が海上交易を独占し やがて港を基点に植民地を拡大したのと同じことです 港にあたる中継地は各地の都市です 都市を武力で制圧して 海上交易と同じように陸上交通を支配したのです 自ら定着して農耕や生産をしたわけじゃない
長征には補給路の確保が伴います 武器と人馬の糧食ですね とくに飼葉が重要です 嵩張るので持っていくのが困難 時間をかけて兵站を築いていかなければ とうてい遠征なんて不可能です セルバンテスの小説ドン・キホーテでイン(日本でいえば木賃宿)に泊まるシーンがあります 馬のために飼葉を用意していて ついでに人も泊まれる(ベッドの用意はない)施設のことです
03 グレートジャーニーのイメージに囚われているのではないでしょうか 人類がたった一人の女性から始まったなんて アダムとイブのお話から一歩も出ていない アフリカから一方通行で人類の居住地が世界に広まるというのは考えにくい 有史以前に南海の島々が陸続きだったのだろうか たとえばマダガスカル島に最初定住した人たちは アフリカ系ではなくボルネオ島に住む人たちでした 同じように中国大陸から半島を通って一方的に 人々や文明が日本列島に来るなんて不自然です
地球の気候は寒暖を繰り返していましたから その時々の食糧事情で南に向かったり北に向かったのではないか 船が使われるようになって 移動距離は飛躍的に延び移動時間は短くなり ペイロードは増えました そして交易(文明)が始まります 道路が整備されたのは遥か後代 車輪が使われるようになってからです
04 むろん石器時代・縄文早期に国はなく 日本列島や半島・大陸なんて意識しません 日本海を中心にして沿岸に点在する 集落同士の交易だったのです 朝鮮半島から九州に渡った人たちはいたでしょう その人たちは今の朝鮮人とは全く違う民族です 半島東南岸に縄文の人々が定着していた可能性もあります 後代の任那府の始まりです
05 おそらく祭祀の宝飾品に使われた糸魚川の翡翠が 全国に流通していたことが知られています 生活実用品の材料であった諏訪の黒曜石は 5千年以上前には大規模な採掘が行われていました 土器などと同様に専従者がいたのではないか
06 日本海側では昔から塩ブリ・塩鮭・ヘシコが保存食でした 太平洋岸には潮カツオがありました 西伊豆に残ります この食文化が鰹節(お江戸では小型の焼津節が重用されました)やクサヤとして続いているのです 江戸っ子が鰹を珍重するのは(5月のカツオは脂が少なく加工に向きます) 縄文時代からの伝統といえます
和漢三才図会に 堅魚の肉片や小骨を敲き混ぜて塩辛にしたものを 俗にタタキという記述があります 紀州熊野・勢州桑名・遠州荒井・相州小田原の名物とあります 鰹節の産地と重なっているので 副産物でありましょう
07 確証はないものの東北から関東に至る太平洋側沿岸には 本州アイヌ語の系統と思われる地名がたくさんあります 坂上田村麻呂と戦った阿弖流為は 明らかにアイヌ系の名前です 奥州安倍氏に至ればかなり同化してきたと見られます
08 中国大陸は南が米作地帯で北が麦作地帯と明瞭に分かれています 気候風土によるものです 中国東北部から朝鮮半島内陸部で農業・漁業は行われず 採集・狩猟・遊牧が主だったでしょう 米作りが朝鮮半島を迂回する必然性はありません
09 中国の文献にばかり頼る(有り難がる)から 大陸・半島から日本列島に進んだ技術・文明が齎された なんて思い込みが生まれるのです 日本人は石器時代から船で自由に行き来していました
「3万年前の航海(国立科学博物館)」では 台湾から与那国島まで丸木舟を使って2日の航海で到達しています 例によって毎日新聞・朝日新聞あたりが 取るに足らない難癖をつけて 2日間で渡ったという事実を無視しようとしています 情報操作の一つですね
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一七条憲法

紀元前500年ころ 釈迦・ソクラテス・孔子が現れ それぞれに教えを広めました 三人はおおよそ同時代の人です とくに孔子と釈迦は交流はないにしろ 互いのことを知っていた可能性があります
500年の後 イエス・キリストが誕生します 西洋の暦法では この時を紀元0世紀とします
そして西暦500年前後には マホメットと聖徳太子が生まれています この二人は同時期と言っていい[01] … Continue reading

聖徳太子は一七条の憲法を定めて 日本の国体のあり方を示しました 一七条憲法の根幹は 神道と儒学および仏教に基づきます 宗教と倫理・法律は密接な関係があるのです 宗教家でなくとも偉大な指導者といえます
吾国の始まりは 上古の神話に描かれています 神道は国の成り立ちの根本です 国成りて君臣のとるべき道は儒学に範を求めました 対外的な体裁を整える意味があったでしょう 仏教は他の宗教と同様 人が生きること死ぬことへの思惟です[02] … Continue reading

聖徳太子が それまであった古代信仰を系統立てた国記・天皇記(帝紀・旧辞と同様に原本がなく内容は不明です)を表し 日本のあり方が意味づけられました 随・唐の伸展から文化政治の圧力が強まり 日本も国家意識を持たざるを得なくなったのです[03] … Continue reading
国記・天皇記は失われ 後代に日本書紀が編纂されました 聖徳太子および一七条憲法は日本書紀に記されています 古事記と異なり日本書紀は漢文で書かれています 外交を想定し吾国の主権と独立を明らかにする書物ゆえです

世界に先駆けた十七条憲法同様に 近代憲法も為政者に対する規制を定めたものです つまり権力の規定と制限です 権利には義務がともない権力には責任がともないます それを定める憲法は 最高の法規とされます
他の法規の上に立つのは どのような権威によるのでしょうか キリスト教国の憲法は 神の導きが規範となります 法律は人間の作った決まり事 さらに上位の真理に則さねばならないのです[04]プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です イスラム教国でも 世俗権力の上に宗教指導者が君臨します

儒学は中国で起こり日本へ伝わりました 仏教はインドから中国を経て日本にやってきました いずれも彼の地では 民間信仰として僅かに痕跡を留めるのみです ひとり日本で独自に栄え花開きました
しかも吾が国民は 古来の神道を棄てることなく 仏教にしろ儒学にしろ 外来の教えを 自家薬籠中のものにしています その精華が一七条の憲法です 仏教を前面に立てているように見えますが 神仏混淆の日本型仏教です 日本仏教は聖徳太子が成しました

儒学の根本義は天性 人として生まれた時からある本性に基づき 社会生活での人との関わり 人間としての生き方(現世での規範)を説きます 仏教は生きることを輪廻転生と見ます 生と死は繰り返され そのこと自体が煩悩です 生きることの四苦 人間関係の四苦 合わせて八苦から免れる法が悟りです

吾国の原初信仰がどのようなものだったか 想像するよりありません しかし神話にその姿を保ち続けているはずです 日本民族の心の在りようは 聖徳太子が道破されたように和です[05] … Continue reading 儒学であろうと仏教であろうと おおどかに全てを受け容れます
寛容の文化日本は争いを好まず あらゆる価値が共存します そのうえで中心となるのが天照大御神であり 天孫たる天皇陛下です 外来の神 もとよりある地神(くにつかみ) みな順らうて大いなる和の国となります[06] … Continue reading

このような国体である日本が 一神教のキリスト教と相容れないのは道理です キリスト教は唯一の価値しか認めません ただ一つの正義以外は悪となります 正義を振りかざして 争い戦い侵略する宗教です[07] … Continue reading
世界には成文憲法を持たない国がいくつかあります 古くからの歴史があり建国の由来を成文化できないためです すべての法は慣行・慣習に従います この法律以前の倫理道徳は その国の宗教や古来から伝わる掟に基づくのです

明治の帝国憲法も現行憲法も 西洋からの借り物です 根底はキリスト教の価値観です どちらの憲法も日本の歴史国体とは合わず様々な矛盾が生じました とくに問題の多い現行憲法を神の如く崇め奉るのは異様な姿です[08] … Continue reading
日本の国体にふさわしい 建国の理想は一七条の憲法ではないか 吾国の有り様は1400年経とうと変わりません 変わってはならず 変えてはいけないのです 今の世界と国内の情勢に必要な規定は 別に基本法で柔軟に定めれば済みます[09]歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります

太子の作られたそのままを今の世に当てはめるのは いかになんでも無理がありますから変える必要はあります まず国の基礎として仏教を前面に出してはいけない(仏教が勢力を持つに従い改竄した可能性があります) 神仏混淆が根付いていても日本に国教はありません また漢意である儒学も国風とは相容れないものです 聖徳太子時代には家制度がなかったので弊害を免れました[10] … Continue reading
国是は和をもって貴しと為すです その背後にある建国の由来と人々の心のありよう すなわち日本は神話の国であるということが大切[11] … Continue reading 神国ではありません 神社神道・国家神道は明治に作られたもの 太子が制度の範を儒学に求めたように政治とは分かたねばならない

神話と宗教は別です 神話は悠久の時を物語ります 日本は1万年以上続く文化を持つ高貴な伝説の国 やまとごころは 清く明きこころ 勁く直きこころ 国民の生活は日本仏教に基づき儒学の家制度を排すべきです[12] … Continue reading 憲法は誇り高く崇高であるべきかと思います[13] … Continue reading

註釈

註釈
01 釈迦・ソクラテス・孔子・キリストを4大聖人とするのは キリスト教徒の言い分です 孔子とソクラテスは宗教というより哲学者(生死を論じていないので儒教ではなく儒学というのがふさわしい) マホメットのイスラム教も世界的な宗教です 一神教はキリスト教のみとしたいのです
旧約聖書(創世記)が編纂されたのは 釈迦・ソクラテス・孔子と同じ紀元前500年頃のことです モーゼ・ユダヤ教は世界的とはいえませんが キリストは最初ユダヤ教徒であったわけで 旧約聖書は神話で新約聖書は教典という感じですね 聖徳太子は私が付け加えただけです 宗教家でも哲学者でもない やはり政治家でしょうか
02 日本に伝わったのは大乗仏教ですから お釈迦様の説いた教義とは変容しています 個人や教団での修行より「愛憐済民」の心で衆生を救う 政治的なものでした 社会インフラの整備 薬師寺による施療など貧民救済です
仏教が朝廷の庇護のもと広まり 寺の建立等の僧たちの熱心な活動は 辺境の地にまで道路を開き 経済交通の活発化をもたらす契機となりました のちの時代の弘法大師の事績と言い伝えられる 数々の公共事業に通ずるものです
03 当時の朝鮮半島は三国時代でした 聖徳太子は高句麗・百済・新羅の各地からアドバイザーを招いています すでに任那府は機能していなかったため 偏らない正確な国際情勢を読み取り 隋・唐と主体的で対等な外交を推し進めるためです 高句麗と随の関係も当然把握していたでしょう
小野妹子を隋に遣わした際の国書に「日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」とあるのは 日本の主権と独立を明記したものです 日本の天子が隋の天子に書を遣わす お互いは対等だといっています 聖徳太子の情報収集・状勢判断・外交戦略の成果です 外交は情報戦・心理戦であることを知っていました
朝廷・王朝の朝は政を表しますが 本来の字義である夜明けは日本(ひのもと)から来る 国名を日本というようになったのは この国書からと思われます でも読み方はわからない (ふぃのもと)であったのか(にっぽん)(にふぉん)
04 プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です
05 冠位十二階で明らかなように聖徳太子は 儒学を政治制度として取り入れたのみです 儒学には男尊女卑の思想が見られます 男が優れ女は劣るのは 生まれながらの本性だというのです これらは中国人の仕来たりであって 吾国にはなかったものです 日本は母系社会で家父長制など馴染みません 
徳川時代も武家に朱子学を取り入れています 明治政府はさらに儒学を庶民にまで強要しました いまだ日常生活に影響している家制度(家父長制) 長男が後を継ぐとか女系はダメだとかも全て 男女差別や長幼の序を重んずる儒教の残滓です 畏れ多くも皇室に対してまで家制度を強要する風を作りました
06 今も世界では民族間の争いが絶えません 吾国の人は長い年月をかけ 北方から南方からまた大陸から渡って 交流し混血し列島全域に居住していました 狩猟採集の石器時代すでに集落間の交易があり 農耕と漁業主体の縄文時代に至れば それぞれの地域で海山の恵みを頂き 風土と共に生活していたのです 争いはなかったと思われます
弥生時代に入り 水稲米が栽培されるようになると 食料が安定し人口が増えます 水稲は陸稲と異なり大規模な装置産業です 水田に適した土地と水利を巡る部族間の争いが起きます これを鎮め和らぐのは 稲作に欠かせない太陽神の子孫である日御子です 大いなる和をもって統べる皇統の始まりといえましょう
07 イスラム教も一神教ですから ただ一つの真理コーランに従わない者には剣を向けます コーランは内容からいって部族の掟に近いものかもしれない 仏教が戦わないということはなく ミャンマーのロヒンギャ問題は仏教とイスラム教の戦いです
ミャンマー(ビルマ)は仏教国でした そこにイスラム教が進出しイギリスによる植民地支配があり 今日の国情の乱れを招いています 日本でもかつて僧兵の強訴や一向一揆がありました 戦国時代では切支丹伴天連による侵略に対抗した勢力でした
08 現行憲法は英語の原文があります 日本書紀が漢文で書かれた理由と違い アメリカの価値観で作られたからです 日本の伝統・歴史を否定することが目的です ですから改訂・変更でなく廃棄しなければならないのです
09 歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります
10 「世の人心は歓欣して流通するを貴び、大法をもうけて、はなはだしきを制すまでにし、質素節倹などの政令はかならず下すべからず。しかし、政府要路の人びとには質朴をおこなわせ、かならず驕奪の風あらしむべからず」 池波正太郎氏が紹介している 西郷隆盛が書いた政治意見書の一部です 一七条憲法の精神そのままです 西郷どんは聖徳太子のことなど意識していなかったと思います でも心は受け継いでいたのです
儒学にしても孔子の教えは 為政者に対して高い徳を求めていました しかし中国人の選民意識は平等という概念がなかったようです 孟子の代には出世栄達し権益を得ることが良とされるようになりました 中国人は拝金教なのです
11 私は「和をもって貴しとなす」を 八百万の神々が対等であった縄文の心に帰れとの教えと解釈します 神道に教義はありません 文字で書かれた時間が歴史 神話は歴史を排し時間から自由です だから悠久を語る神話は今に生きます
12 日本の伝統・歴史に即した憲法ができたら 日本書紀に習い英語バージョンも作ったほうがいい 何しろ日本固有の価値観に基づく憲法ですから 外国には理解し難いところがあるはずです 妙な形に翻訳されては困ります
Japan is a land of eternal time and noble myth,The people who live there have the Yamato mind.The Yamato mind is a pure and clear mind, a strong and candor mind.
13 日本国民は・・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは・・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 現行憲法前文の抜粋です 自らの価値観ではなく他国に従うと言っているのです こんな卑屈な憲法を奉ずる国はとても独立国と言えません
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