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一七条憲法

紀元前500年ころ 釈迦・ソクラテス・孔子が現れ それぞれに教えを広めました 三人はおおよそ同時代の人です とくに孔子と釈迦は交流はないにしろ 互いのことを知っていた可能性があります
500年の後 イエス・キリストが誕生します 西洋の暦法では この時を紀元0世紀とします
そして西暦500年前後には マホメットと聖徳太子が生まれています この二人は同時期と言っていい[01] … Continue reading

聖徳太子は一七条の憲法を定めて 日本の国体のあり方を示しました 一七条憲法の根幹は 神道と儒学および仏教に基づきます 宗教と倫理・法律は密接な関係があるのです 宗教家でなくとも偉大な指導者といえます
吾国の始まりは 上古の神話に描かれています 神道は国の成り立ちの根本です 国成りて君臣のとるべき道は儒学に範を求めました 対外的な体裁を整える意味があったでしょう 仏教は他の宗教と同様 人が生きること死ぬことへの思惟です[02] … Continue reading

聖徳太子が それまであった古代信仰を系統立てた国記・天皇記(帝紀・旧辞と同様に原本がなく内容は不明です)を表し 日本のあり方が意味づけられました 随・唐の伸展から文化政治の圧力が強まり 日本も国家意識を持たざるを得なくなったのです[03] … Continue reading
国記・天皇記は失われ 後代に日本書紀が編纂されました 聖徳太子および一七条憲法は日本書紀に記されています 古事記と異なり日本書紀は漢文で書かれています 外交を想定し吾国の主権と独立を明らかにする書物ゆえです

世界に先駆けた十七条憲法同様に 近代憲法も為政者に対する規制を定めたものです つまり権力の規定と制限です 権利には義務がともない権力には責任がともないます それを定める憲法は 最高の法規とされます
他の法規の上に立つのは どのような権威によるのでしょうか キリスト教国の憲法は 神の導きが規範となります 法律は人間の作った決まり事 さらに上位の真理に則さねばならないのです[04]プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です イスラム教国でも 世俗権力の上に宗教指導者が君臨します

儒学は中国で起こり日本へ伝わりました 仏教はインドから中国を経て日本にやってきました いずれも彼の地では 民間信仰として僅かに痕跡を留めるのみです ひとり日本で独自に栄え花開きました
しかも吾が国民は 古来の神道を棄てることなく 仏教にしろ儒学にしろ 外来の教えを 自家薬籠中のものにしています その精華が一七条の憲法です 仏教を前面に立てているように見えますが 神仏混淆の日本型仏教です 日本仏教は聖徳太子が成しました

儒学の根本義は天性 人として生まれた時からある本性に基づき 社会生活での人との関わり 人間としての生き方(現世での規範)を説きます 仏教は生きることを輪廻転生と見ます 生と死は繰り返され そのこと自体が煩悩です 生きることの四苦 人間関係の四苦 合わせて八苦から免れる法が悟りです

吾国の原初信仰がどのようなものだったか 想像するよりありません しかし神話にその姿を保ち続けているはずです 日本民族の心の在りようは 聖徳太子が道破されたように和です[05] … Continue reading 儒学であろうと仏教であろうと おおどかに全てを受け容れます
寛容の文化日本は争いを好まず あらゆる価値が共存します そのうえで中心となるのが天照大御神であり 天孫たる天皇陛下です 外来の神 もとよりある地神(くにつかみ) みな順らうて大いなる和の国となります[06] … Continue reading

このような国体である日本が 一神教のキリスト教と相容れないのは道理です キリスト教は唯一の価値しか認めません ただ一つの正義以外は悪となります 正義を振りかざして 争い戦い侵略する宗教です[07] … Continue reading
世界には成文憲法を持たない国がいくつかあります 古くからの歴史があり建国の由来を成文化できないためです すべての法は慣行・慣習に従います この法律以前の倫理道徳は その国の宗教や古来から伝わる掟に基づくのです

明治の帝国憲法も現行憲法も 西洋からの借り物です 根底はキリスト教の価値観です どちらの憲法も日本の歴史国体とは合わず様々な矛盾が生じました とくに問題の多い現行憲法を神の如く崇め奉るのは異様な姿です[08] … Continue reading
日本の国体にふさわしい 建国の理想は一七条の憲法ではないか 吾国の有り様は1400年経とうと変わりません 変わってはならず 変えてはいけないのです 今の世界と国内の情勢に必要な規定は 別に基本法で柔軟に定めれば済みます[09]歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります

太子の作られたそのままを今の世に当てはめるのは いかになんでも無理がありますから変える必要はあります まず国の基礎として仏教を前面に出してはいけない(仏教が勢力を持つに従い改竄した可能性があります) 神仏混淆が根付いていても日本に国教はありません また漢意である儒学も国風とは相容れないものです 聖徳太子時代には家制度がなかったので弊害を免れました[10] … Continue reading
国是は和をもって貴しと為すです その背後にある建国の由来と人々の心のありよう すなわち日本は神話の国であるということが大切[11] … Continue reading 神国ではありません 神社神道・国家神道は明治に作られたもの 太子が制度の範を儒学に求めたように政治とは分かたねばならない

神話と宗教は別です 神話は悠久の時を物語ります 日本は1万年以上続く文化を持つ高貴な伝説の国 やまとごころは 清く明きこころ 勁く直きこころ 国民の生活は日本仏教に基づき儒学の家制度を排すべきです[12] … Continue reading 憲法は誇り高く崇高であるべきかと思います[13] … Continue reading

註釈

註釈
01 釈迦・ソクラテス・孔子・キリストを4大聖人とするのは キリスト教徒の言い分です 孔子とソクラテスは宗教というより哲学者(生死を論じていないので儒教ではなく儒学というのがふさわしい) マホメットのイスラム教も世界的な宗教です 一神教はキリスト教のみとしたいのです
旧約聖書(創世記)が編纂されたのは 釈迦・ソクラテス・孔子と同じ紀元前500年頃のことです モーゼ・ユダヤ教は世界的とはいえませんが キリストは最初ユダヤ教徒であったわけで 旧約聖書は神話で新約聖書は教典という感じですね 聖徳太子は私が付け加えただけです 宗教家でも哲学者でもない やはり政治家でしょうか
02 日本に伝わったのは大乗仏教ですから お釈迦様の説いた教義とは変容しています 個人や教団での修行より「愛憐済民」の心で衆生を救う 政治的なものでした 社会インフラの整備 薬師寺による施療など貧民救済です
仏教が朝廷の庇護のもと広まり 寺の建立等の僧たちの熱心な活動は 辺境の地にまで道路を開き 経済交通の活発化をもたらす契機となりました のちの時代の弘法大師の事績と言い伝えられる 数々の公共事業に通ずるものです
03 当時の朝鮮半島は三国時代でした 聖徳太子は高句麗・百済・新羅の各地からアドバイザーを招いています すでに任那府は機能していなかったため 偏らない正確な国際情勢を読み取り 隋・唐と主体的で対等な外交を推し進めるためです 高句麗と随の関係も当然把握していたでしょう
小野妹子を隋に遣わした際の国書に「日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」とあるのは 日本の主権と独立を明記したものです 日本の天子が隋の天子に書を遣わす お互いは対等だといっています 聖徳太子の情報収集・状勢判断・外交戦略の成果です 外交は情報戦・心理戦であることを知っていました
朝廷・王朝の朝は政を表しますが 本来の字義である夜明けは日本(ひのもと)から来る 国名を日本というようになったのは この国書からと思われます でも読み方はわからない (ふぃのもと)であったのか(にっぽん)(にふぉん)
04 プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です
05 冠位十二階で明らかなように聖徳太子は 儒学を政治制度として取り入れたのみです 儒学には男尊女卑の思想が見られます 男が優れ女は劣るのは 生まれながらの本性だというのです これらは中国人の仕来たりであって 吾国にはなかったものです 日本は母系社会で家父長制など馴染みません 
徳川時代も武家に朱子学を取り入れています 明治政府はさらに儒学を庶民にまで強要しました いまだ日常生活に影響している家制度(家父長制) 長男が後を継ぐとか女系はダメだとかも全て 男女差別や長幼の序を重んずる儒教の残滓です 畏れ多くも皇室に対してまで家制度を強要する風を作りました
06 今も世界では民族間の争いが絶えません 吾国の人は長い年月をかけ 北方から南方からまた大陸から渡って 交流し混血し列島全域に居住していました 狩猟採集の石器時代すでに集落間の交易があり 農耕と漁業主体の縄文時代に至れば それぞれの地域で海山の恵みを頂き 風土と共に生活していたのです 争いはなかったと思われます
弥生時代に入り 水稲米が栽培されるようになると 食料が安定し人口が増えます 水稲は陸稲と異なり大規模な装置産業です 水田に適した土地と水利を巡る部族間の争いが起きます これを鎮め和らぐのは 稲作に欠かせない太陽神の子孫である日御子です 大いなる和をもって統べる皇統の始まりといえましょう
07 イスラム教も一神教ですから ただ一つの真理コーランに従わない者には剣を向けます コーランは内容からいって部族の掟に近いものかもしれない 仏教が戦わないということはなく ミャンマーのロヒンギャ問題は仏教とイスラム教の戦いです
ミャンマー(ビルマ)は仏教国でした そこにイスラム教が進出しイギリスによる植民地支配があり 今日の国情の乱れを招いています 日本でもかつて僧兵の強訴や一向一揆がありました 戦国時代では切支丹伴天連による侵略に対抗した勢力でした
08 現行憲法は英語の原文があります 日本書紀が漢文で書かれた理由と違い アメリカの価値観で作られたからです 日本の伝統・歴史を否定することが目的です ですから改訂・変更でなく廃棄しなければならないのです
09 歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります
10 「世の人心は歓欣して流通するを貴び、大法をもうけて、はなはだしきを制すまでにし、質素節倹などの政令はかならず下すべからず。しかし、政府要路の人びとには質朴をおこなわせ、かならず驕奪の風あらしむべからず」 池波正太郎氏が紹介している 西郷隆盛が書いた政治意見書の一部です 一七条憲法の精神そのままです 西郷どんは聖徳太子のことなど意識していなかったと思います でも心は受け継いでいたのです
儒学にしても孔子の教えは 為政者に対して高い徳を求めていました しかし中国人の選民意識は平等という概念がなかったようです 孟子の代には出世栄達し権益を得ることが良とされるようになりました 中国人は拝金教なのです
11 私は「和をもって貴しとなす」を 八百万の神々が対等であった縄文の心に帰れとの教えと解釈します 神道に教義はありません 文字で書かれた時間が歴史 神話は歴史を排し時間から自由です だから悠久を語る神話は今に生きます
12 日本の伝統・歴史に即した憲法ができたら 日本書紀に習い英語バージョンも作ったほうがいい 何しろ日本固有の価値観に基づく憲法ですから 外国には理解し難いところがあるはずです 妙な形に翻訳されては困ります
Japan is a land of eternal time and noble myth,The people who live there have the Yamato mind.The Yamato mind is a pure and clear mind, a strong and candor mind.
13 日本国民は・・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは・・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 現行憲法前文の抜粋です 自らの価値観ではなく他国に従うと言っているのです こんな卑屈な憲法を奉ずる国はとても独立国と言えません
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犬・猫の昭和時代

昭和の犬の生活

子供のころ 近所にジョンという名の雑種の赤犬がいました ジョンはちゃんと首輪も鑑札もつけた飼い犬です でも昭和の田舎町ですから 紐には繋がれず放し飼いです とてもおとなしい犬で 吠え声を聞いたことがありません(満月の夜に遠吠えするのは何回もありました)
自由に自分のテリトリーを歩き回り 学校帰りの近くの子供たちと一緒に 走り回って遊ぶ毎日です ときどき飼い主の家に行って鎖を借り 散歩に連れていくことがありました でも自分のテリトリーの境界に来るとピタリと立ち止まり そこから先へは一歩でも踏み込みません 明確な一線があるのです

同じテリトリー内に洋犬とノラ犬がいました 3匹の長はジョンでした(年の順なのかな) 洋犬の名は覚えてません(学校の先生の飼い犬です) 黄犬のノラは皆からエスと呼ばれてました 悪ガキがエスをいじめると 近所のおばさんから叱られましたが 必ずジョンが間に割って入り そんなことをしなさんなと 目で訴えるのです
リーダーの役割なのでしょうが健気でした 可哀そうだったのは洋犬です これはいつも紐で繋がれており ジョンやエスと一緒に遊ぶことができません 餌には恵まれても群れに入れず いつもしょんぼりと寂しそうでした ジョンとエスが一緒にいるときお八つをやると ジョンはエスに譲っていたような記憶もあります 犬に窘められるアホなガキは放って置きましょう

私がそこに引っ越したときジョンは かなりの老犬だったみたいで 何年も経たないうちに亡くなりました その時はすでにジョンの娘が成犬になっていました 見分けがつかないほどよく似た娘です よちよち歩きの娘を連れて 近所中にお披露目の挨拶に回っていた姿を覚えています
年老いたジョンは飼い主の畑の中ほどに 自分の体が入るくらいの浅い穴を掘り始め その中に踞るようになったのです 飼い主のお兄ちゃんが抱いて家に連れ帰るのですが 必ず脱走して穴に戻ります 終いにはお兄ちゃんも諦めて 好きなようにさせていました そしてジョンは食べ物も水も受け付けなくなりました
お兄ちゃんから 邪魔をしないよう遠くから見守るだけにしろと言われ そのようにしていました ある朝いつものように遠くから見ても まったく身動きしないので 側に行ったら冷たくなっていました すぐにお兄ちゃんへ報告に行きました お兄ちゃんは泣く泣く家に連れ帰り どこかで荼毘に付したようです 最後はジョンが自分で掘った穴をさらに掘り下げ そこに遺骨を埋葬しました

昭和の猫の生活

猫を飼っている家も何軒かありました みな座敷猫で外に出ることはありません なので どれだけの家で何匹いたのか分かりません
ノラ猫が1匹いました ある時どこかからやって来て住み着いたのです 皆がタマと呼んでいましたが 誰が言い始めたのか エスと同じで由来は不明です
タマは雌猫ですぐに孕みました 近くの家が壁面に造り付けていた物置を産屋にし 以来そこをネグラにするようになりました(どの家にも冬用の薪炭のため小屋がありました) 親子とも三毛だったか白黒のブチです 古いことでよく覚えてない

近所の人たちは 夕食のおかずが魚のとき 食べ残しの骨を玄関の先に置いておきます(当時ノドグロは普通のお惣菜で煮付けで戴きました) タマは辺りの家を一回りすれば 1食になります 仔がいるので ネズミなど小動物も狩っていました
餌が足りないと 家の玄関でミャーミャーと托鉢します その時は煮干しの二三匹も喜捨します タマはお行儀がよく 隙を見て家の中に入り込むことは決してしません

誰もが貧乏な時代でした まだ配給米の頃です お隣に米を借りにいったこともありました 悪ガキどもの食欲は旺盛だったのです 戦時中に飢えていたという報道はフェイクニュースです 非常時なので規制・統制はありましたが 食料が行き渡らないなんてことはなかった 食糧難で四苦八苦したのは敗戦後のことです[01] … Continue reading
人が乏しい中から分け与えても 食糧不足はタマの仔たちの命を つぎつぎに奪い 成猫になったのは1匹もいません そしてある時から タマの姿を見かけなくなりました
どこか近くの街へふらりと現れ 同じような生活を送っているのかな あの礼儀正しさというか 付かず離れずの人間社会との関わり方は 流浪の生活で身につけたのでしょう

分を弁える

人も犬も猫も互いの生活を認め合い それぞれが相手の邪魔をすることも立ち入ることもない 自分たちの領域を守りながら共存していた そんな昭和の生活だった気がします
かつてのアホな悪ガキのノスタルジーと 自分の中でいつの間にか美化される 記憶の所為ばかりとも言い切れません エスは市役所の野良犬狩り[02] … Continue readingに連れて行かれたかも知れない 狂犬病の話がありましたから
夜家の中で「ジョン」と呼ぶと 玄関にまでやってきました 玄関は引き戸で鍵は掛けていませんから 前脚で開けて入るのです 先代亡き後の娘もジョンの名を継いでいたのですが まだ小さい頃は戸を開けられなくて玄関先で佇んでいました
それにしても飼っている家と我家は 直線距離で50メートルくらい離れています 聞こえるんですね 野良猫は「タマ」と呼んでも返事もしません 自分のことをタマだとは思っていないのです

註釈

註釈
01 配給制度は戦時中からありました しかし食糧不足ということはなかった 食糧難は敗戦後です 行政の機能が麻痺し それに乗じた第三国人が闇市・闇ルートを作りました 農家としても配給米よりヤミ米として出す方が高く売れますから 正規の米が不足する事態になったのです
さらに在留朝鮮人は半島から中国式の朝鮮麹(粉麯・粗麯)を密輸入し いわゆるカストリ焼酎を密造して売り捌きました 粗製品で有害物質も入っていたものです 三増酒は合成酒を混ぜた酒ですが 密造酒対策として酒の増産のため作られました ヤミ米が横行し米不足のため酒にまで米が配給されず くず米で酒造りをしていました まともな酒を作れず量も足りない そこで合成酒の技術を応用して生産量を上げたのです 量もそうですが味も調整しているので 当時の純米酒より飲みやすいものでした
闇市による影響は昭和から平成まで続きました 大宮氷川神社の参道は2キロ近くあります 一の鳥居から二の鳥居まで闇市のバラックが立ち並び 強制撤去できたのは平成に入ってからです 闇市跡は地権者が不明であったり入り組みすぎて 土地を収用できず再開発の妨げとなったのです
皆が飢えていた敗戦後 鳩山一郎の音羽御殿に行くと 大広間に常に食事が用意されていました(第3国人とつるんでヤミ米・闇物資を手に入れました 鳩山由紀夫の人脈はこの頃からのものです) 昼時などは朝日をはじめとした大勢の新聞記者が群がっていたそうです 自由に無料で食べられました ある政治家の私設秘書から聞いた実話です
02 野犬(ヤケン)狩りという言葉は正確でありません 狩猟で野犬(ノイヌ)と野良犬(ノライヌ)は明確に区分されます 野犬は人里と離れて群れをなし 山犬のように野性の生活を送ります これは狩猟(駆除)の対象になります 人家の近くで同じテリトリーにいても 飼い主のないのが野良犬です 首輪をつけているかいないかの違いだけです ヤケンという用語があったかどうかは不明です
東松山市のセキュリティ会社 田村装備開発社長の御尊父である 田村憲道氏のお話を拝聴したところ 最近里山から動物が降りて来ての被害が多いのは 犬の放し飼いがなくなったからではないかと 指摘されてました 東松山は丘陵地帯ですから 昔は山の動物も身近だったでしょう(私も山で兎を追いかけたことがあります) それでも人畜に対する被害は少なかったのです 犬猿の仲という言葉は 人間に忠実な番犬と賢い野生の猿の関係を言い表しています 傾聴に値するご意見です
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酒に酔う酒に迷う

内田百閒翁 事あるごとに随筆で「お酒は好きだが酔うのは嫌いだ」と書いておられます たしかに家での晩酌はそうかもしれません しかし教え子たちに招かれた席では しばしば羽目を外して 時には足がもつれ転び 血だらけで家に帰ったりしています
言ってる事とやってる事が違うみたいですが 他からの招待の席でそんな飲み方はしない 教え子たちの気持ちを酌んでのことだと思います 酒好きの先生を喜ばせようと招待してくれる だから正体なく潰れるまで飲んで見せなければ礼儀に反する[01] … Continue reading
私は一介の素浪人ですから そのような酒席に縁がありません もっぱら家で独りの晩酌のみ 取り寄せる酒は料理を楽しむための酒です 本来の日本料理は控えめで自己主張するものではない 素材の確かさとその良さを引き出す技を さりげなく見せるだけです この酒も料理の引き立て役として淡麗辛口 吟醸香を抑えた姿で静かに料理と寄り添います

互いの個性がぶつかり合う ワインのマリアージュとは考え方が根本的に違う 和の心といったらよいか 止揚ではなく調和を求めます 1+1は2になりますが 1✕1はどこまで行っても1のままです[02] … Continue reading
近ごろフランスで認められたとか ヨーロッパのアワードで部門賞を取った とかの日本酒が喧伝されています 共通するのが「純米吟醸」と称する酒です これらは正確には吟醸酒と呼ぶべきでありません フランスのワインと違って厳密に規定されていないため 曖昧な表記が使われるのです(国税庁の「特定名称の清酒の表示」では実質的に精米歩合だけの規定です)
吟醸づくりは各工程でいくつものチェックポイントがあり 吟味して醸すゆえ吟醸といいます また低温長期発酵と原料アルコールで吟醸香が生まれます[03] … Continue reading
これらの手間を省いて 誰が造っても吟醸香を作り出せる1601酵母や1801酵母ができました 原料アルコールなしで吟醸香が出るため 純米吟醸・大吟醸なる酒が生まれたのです 最近のことです つまり吟醸香がする純米酒というものであって 吟醸造りではありません

吟醸づくりでないから 洗練された雑味のない酒とはなりません よく言えば香りと個性の強い酒 甘い酸っぱいと自己主張のある酒です これがワインに馴れた料理人に受け容れられたのでしょう ワインは野性味のある複雑な味を評価しますから 客受けして使いやすいのかもしれない[04] … Continue reading
原料アルコール(醸造用アルコール)添加は酒精強化ワインにも使われる技術です もともとは腐造防止と貯蔵のためでした 副産物として香気の高い酒が生まれたのです
ドサージュやシャプタリザシオンは 醸造用糖類の添加を意味します また日本酒では添加されることのない酸化防止材が ワインには必ずといってよいほど入っています
純米酒はあっても純ブドウ酒は存在しないのです(添加物を極力使わないとするのがビオワイン?) いずれにしても長期保存や広域流通のための技術ですから 一概にいけない事ともいえません 百閒翁が愛飲していたのは瓶詰めの灘の酒でした 蔵元で玉割りするので品質が安定していてよいという理由です[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 小津監督の「秋刀魚の味」に 今は地位・声望もあり一廉の人物となった教え子たちが 恩師をもてなすシーンがありました 東野英治郎の酔っ払う演技が実に至芸でした 東京物語でもだらしなく酔う姿を演じています あの方は実生活でも酒を飲むのでしょうか あそこまで精妙に酔っ払いの姿を捉えるのは 下戸のような気がします
02 色盲と同じように味盲かあり 西洋人の30%日本人は10%ほどが 一定の味覚を感じ難いそうです ワインに慣れたヨーロッパの人たちが 精妙な日本酒の味を理解できないのも無理ありません
03 吟醸酒は本来鑑評会に出品する酒でした 市販が目的でなく手間をかけた特殊な作り方をします 吟醸香だけではないのです 鑑評会にもトレンドはあり 吟醸香のため山田錦と協会9号が必須とされた時期もありました 米と水と麹のみの昔ながらの造りで吟醸香はできません
04 ○祭・十四◇・△雪といった酒は外国人受けする日本風というのでしょうか アメリカ等のフランス料理レストランで供されています アメリカ人やフランス人に繊細な日本酒の味はわからんでしょう まったく関係ないのですが 近ごろ同じように外国人に人気の居合抜きがあります 天心流兵法といいます
道場主だか師範だかが演武している動画がありました 見ると身体の軸がブレているのです アレ?と思って公式ホームページを確認したら もともと香具師の大道芸(ガマの膏売り)だったのですね ただただ刀を早く抜くだけの見世物です 派手で分かりやすい侍パフォーマンスですから 外国人受けするのでしょう
05 ガラスの一升瓶を初めて使ったのは灘の酒蔵です 江戸時代の下り酒は伏見が主でした 江戸の酒問屋のなかには 玉割りするとき地酒をブレンドして 自店銘柄で売るところもあったようです そこで後発の灘は「灘の生一本」のキャッチフレーズで売り込みました 問屋や小売店が玉割りするのは昭和初期まで続いていました 一升瓶入りの酒は割り水に仕込み水を使いますから品質管理に責任が持てる そんな事情から一升瓶は酒造メーカー所有です なので昔は瓶を回収していました
生一本といっても もろみ桶でそれぞれ発酵具合が違いますから 搾った酒を囲い桶で貯蔵するときにブレンドします ワインの場合ほとんど自然任せで 桶ごとの違いは日本酒よりさらに大きくなります 貯蔵の際はいろいろな産地や醸造年度のものをブレンドするので 買い酒(桶買い)が当たり前です 生一本なんて言葉はありません 気候に恵まれた単年度産のワインをビンテージといって特別扱いすることはあります ブルゴーニュ・ワインなどは醸造より ブレンドで銘柄を作ると言ってよいでしょう
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