一七条憲法

紀元前500年ころ 釈迦・ソクラテス・孔子が現れ それぞれに教えを広めました 三人はおおよそ同時代の人です
500年の後 イエス・キリストが誕生します 西洋の暦法では この時を紀元0年とします
そして西暦500年前後には マホメットと聖徳太子が生まれています この二人は同時期と言っていい[01] … Continue reading

聖徳太子は宗教家ではありません 一七条の憲法を定めて 日本の国体のあり方を示しました 一七条憲法の根幹は 神道と儒教および仏教に基づきます
吾国の始まりは 上古の神話に描かれています 神道は国の成り立ちの根本です 国成りて君臣のとるべき道は儒教に範を求めました 対外的な体裁を整える意味があったでしょう 仏教は他の宗教と同様 人が生きること死ぬことへの思惟です[02] … Continue reading

聖徳太子が それまであった古代信仰を系統立てた国記・天皇記(帝紀・旧辞と同様に原本がなく内容は不明です)を表し 日本のあり方が意味づけられました 随・唐の伸展から文化政治の圧力が強まり 日本も国家意識を持たざるを得なくなったのです[03] … Continue reading
国記・天皇記は失われ 後代に日本書紀が編纂されました 聖徳太子および一七条憲法は日本書紀に記されています 古事記と異なり日本書紀は漢文で書かれています 外交を想定し吾国の主権と独立を明らかにする書物ゆえです

近代憲法も為政者に対する規制を定めたものです つまり権力の規定と制限です 最高の法規とされます 他の法規の上に立つのは どのような権威によるのでしょうか
キリスト教国の憲法は 神の導きが規範となります 法律は人間の作った決まり事 さらに上位の真理に則さねばならないのです イスラム教国でも 世俗権力の上に 宗教指導者が君臨します

儒教は中国で起こり日本へ伝わりました 仏教はインドから中国を経て日本にやってきました いずれも彼の地では 民間信仰として僅かに痕跡を留めるのみです ひとり日本で独自に栄え花開きました
しかも吾が国民は 古来の神道を棄てることなく 仏教にしろ儒教にしろ 外来の教えを 自家薬籠中のものにしています その精華が一七条の憲法です この事をどう考えたらいいのか

儒教の根本義は天性 人として生まれた時からある本性に基づき 社会生活での人との関わり 人間として生きるべき道を説きます 仏教は生きることを輪廻転生と見ます 生と死は繰り返され そのこと自体が煩悩です 生きることの四苦 人間関係の四苦 合わせて八苦から免れる道が悟りです

吾国の原初信仰がどのようなものだったか 想像するよりありません しかし神道にその姿を保ち続けているはずです 日本民族の心の在りようは 聖徳太子が道破されたように和です[04] … Continue reading おおどかに全てを受け容れます
寛容の文化日本は争いを好まず あらゆる価値が共存します 中心となるのが天照大御神であり 天孫たる天皇陛下です 外来の神 もとよりある地神(くにつかみ) みな順らうて大いなる和の国となります[05] … Continue reading

このような国体である日本が 一神教のキリスト教と相容れないのは道理です キリスト教は唯一の価値しか認めません ただ一つの正義以外は悪となります 正義を振りかざして 争い戦い侵略する宗教です[06] … Continue reading
世界には成文憲法を持たない国がいくつかあります 憲法によって国の成り立ちを規定する必要がなく すべての法は慣行・慣習に従っているためです この法律以前の倫理道徳は その国の宗教に基づきます

明治の帝国憲法も現行憲法も 西洋からの借り物です 根底はキリスト教の価値観です どちらの憲法も日本の歴史国体とは合わず様々な矛盾が生じました とくに現行憲法を神の如く崇め奉るのは異様な姿です[07] … Continue reading
神話の国日本の国体にふさわしい 建国の理想は一七条の憲法ではないか 吾国の有り様は1400年経とうと変わりません 変わってはならず 変えてはいけないのです 今の世界と国内の情勢に必要な規定は 別に基本法で柔軟に定めれば済みます

註釈

註釈
01 釈迦・ソクラテス・孔子・キリストを4大聖人とするのは キリスト教徒の言い分です 孔子とソクラテスは宗教というより哲学者 マホメットのイスラム教も世界的な宗教です 一神教はキリスト教のみとしたいのです
モーゼ・ユダヤ教は世界的とはいえませんが キリストは最初ユダヤ教徒であったわけで 旧約聖書(創世記)が編纂されたのは 釈迦・ソクラテス・孔子と同じ紀元前500年頃のことです 聖徳太子は私が付け加えただけです
02 日本に伝わったのは大乗仏教ですから お釈迦様の説いた教義とは変容しています 個人や教団での修行より「愛憐済民」の心で衆生を救う 政治的なものでした
具体的には社会インフラの整備 薬師寺による施療など貧民救済です 仏教が朝廷の庇護のもと広まった結果 後世に世俗化堕落を招く要因ともなりました
03 当時の朝鮮半島は三国時代でした 聖徳太子は高句麗・百済・新羅の各地からアドバイザーを招いています 正確な国際情勢を読み取り 隋・唐と主体的で対等な外交を推し進めるためです 高句麗と随の関係も当然把握していたでしょう
小野妹子を隋に遣わした際の国書に「日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」とあるのは まさに日本の主権と独立を明記したものです 聖徳太子の情報収集・状勢判断・外交戦略の成果です 外交は情報戦・心理戦であることを知っていました
04 儒教には男尊女卑の思想が見られます 男が優れ女は劣るのは 生まれながらの本性だというのです 朱子学も職業による差別があります これらは中国人の仕来たりであって 吾国にはなかったものです
徳川時代も薩長明治政府も儒教の考え方を取り入れていますが 庶民は受け入れていません 日常生活に影響している家制度(家父長制) 長男が後を継ぐとか女系はダメだとかも全て 男女差別や長幼の序を重んずる儒教の教えの残滓です
05 今も世界では民族間の争いが絶えません 吾国の人は長い年月をかけ 北方から南方からまた大陸から渡って 交流し混血し列島全域に居住していました 狩猟採集の石器時代すでに集落間の交易があり 農耕と漁業主体の縄文時代に至れば それぞれの地域で海山の恵みを頂き 風土と共に生活していたのです 争いはなかったと思われます
弥生時代に入り 水稲米が栽培されるようになると 食料が安定し人口が増えます 水稲は陸稲と異なり大規模な装置産業です 水田に適した土地を巡る部族間の争いが起きます これを鎮め和らぐのは 稲作に欠かせない太陽神の子孫である日御子です 大いなる和をもって統べる皇統の始まりといえましょう
06 イスラム教も一神教ですから ただ一つの真理コーランに従わない者には剣を向けます 仏教が戦わないということはなく ミャンマーのロヒンギャ問題は仏教とイスラム教の戦いです 日本でもかつて僧兵の強訴や一向一揆がありました 戦国時代では切支丹伴天連による侵略に対抗した勢力でした
07 現行憲法は英語の原文があります 日本書紀が漢文で書かれた理由とは違うものの 外国からは英語やその国の言語で翻訳した条文で見られます 無理やり日本語に意訳した条文の恣意的解釈なんて国際的には通用しません