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タグ: 貴族

ロゴタイプとシンボルマーク

マーク

以前にミツカンのマーク(商標)のことを書きました 三本線の下に環(丸)という実にユニークなデザインです もともとは家紋である丸に算木を商標にするつもりが すでに登録済みであの形になったそうです
三井のマーク(商標)である丸に井桁三は 暖簾に染め抜いた店印で 家紋ではありません[01] … Continue reading 今はもうないミツワ石鹸のマーク(商標)は 三つの輪を重ねたものです 創業者の三輪善兵衛の姓から定められました これも家紋ではありません
住友のマーク(商標)井桁は単純に住友家の家紋です 三菱のマーク(商標)は複雑で 岩崎家の家紋三階菱と主君山内家の家紋中輪に土佐柏を合わせています 下士の岩崎が主家を乗っ取った形です

輪を4つ重ねたマーク(商標)はアウディですね これが5つになると五輪 オリンピックのマークです この辺になるとマーク=商標とはいえません オリンピックに関しては アマチュアリズムを押し出していても まったく金儲けの手段ですけれど[02] … Continue reading
マークを正確に言うとシンボルマークです 代表的なのがキリスト教の十字架ではないでしょうか 十字架にキリストの像があるのはカトリック シンプルな十字のみはプロテスタントです そのほか各宗派で様々なバリエーションがあります

ロゴ

このごろマークと混同されているのがロゴです 社名・商品名の組活字のことをlogotypeといいます 印刷の業界用語です(コピーやイラストも同様です[03] … Continue reading) とくに広告においては 社名と商標が同時に使われることが多いため ロゴ・マークと呼ばれます 組活字は書体が決まってないことがありました
統一するためマークとロゴを一体にデザインしたり マークを用いず社名・商品名そのものを図案化することが行われました ロゴがマークと同じような扱いをされるようになります これはロゴマークと言っていいかもしれません[04] … Continue reading
ロゴは必ず文字でなくてはなりません かつて日立は社名を図案化したマークがありました ほとんど判じもので 文字から大きく離れています また「ワシのマークの大正製薬」のフレーズは今でも使われます 文字として読めないのはロゴでない マークです

CIが流行ったころです ブリヂストンや味の素が私の記憶にあります[05] … Continue reading それ以前に不二家がロゴ+マークを採用しました 外国のデザイナーによるものだったと思います 不二家にはペコちゃんがいましたが おそらくマークはなかったのですね スターバックスは 最初はあったロゴが消え イメージキャラクターの人魚がシンボルマーク化しています
官営の日本航空が営業不振に陥ったとき ランドーアソシエイツにCIを依頼しました 伝統的な鶴丸マークを廃止したのですが 見事に失速しました JALのロゴ制作に相当の料金をふんだくられたでしょう 雑誌ハナコも外国人にタイトル・ロゴを作ってもらいました 当時で億単位の料金でした 表紙イラスト込みらしいが それにしても高い

ロゴ・マークを新しくすれば 売り上げに貢献するみたいな風潮があったのです 実際はCIをやるという話題性で盛り上がっただけ そんな小手先のことはなんの実効性もない 一種のイベントです キャンペーンが終了すれば熱は下がります CIは5〜7年の寿命なのだとか 言い訳してましたけどね[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 にわか雨の時には 越後屋の客でなくても店の傘を気前よく貸し出しました 唐傘は高価なもので ほとんどの人は返そうとしません そんなことは承知の上です 傘には店の印が大きく描いてあります 使ってもらえば宣伝になるのです
江戸の庶民は古着屋で着物を買うのが普通 雨具といえば蓑笠です 反物を誂えて作るなど かなり裕福な家でも年に一度か二度の大イベントでした
越後屋で着物を誂えるときは1日がかりです 店は茶菓のみでなく昼食も用意してもてなします 呉服・太物店の印入り傘は むしろ誇らしいことで皆喜んで使いました 高級ブランドの紙袋がステータスだったのと同じです
02 オリンピックを始めたクーベルタンはフランスの貴族(男爵)です 暇を持て余すヨーロッパ貴族に近代オリンピックの話を持ちかけました もっともらしい事を言う奴ほど 胡散臭いものです 崇高なオリンピック精神は山師の顔を隠す仮面です 道楽といえちゃんと帳尻を合わせます アマチュアリズムは権益独占の隠れ蓑
五輪マークを作ったのはクーベルタン自身らしい シンボルマークの重要性・効果を認識していたばかりでなく 使用料を取るというのは実に斬新な発想でした キャラクター・ビジネスの先駆けといえます ワインを見ればわかるように フランス人はしたたかな商売上手です
03 コピーは文字(=活字)のことです イラストは文字以外(=表・図形・カット・写真)の凸版をいいます 印刷の業界用語でしたが 広告制作でも使われるようになり(昔は印刷メディアが主でしたから) コピーは広告文案 イラストは口絵・挿絵を意味するようになりました
04 組活字は社名・商品名などを予め組んで糸で縛ったものでした 次第に一体化して鋳造するようになり 独自の書体にしたレタリングを使い始めました
「無印良品」はロゴがそのままマークになっています 一見ただのゴシックですが 新たにレタリングし全体を一つとしてデザインしています ユニクロはこれのパクリでしょうかね
「IBM」は「NeXT」と同様ポール・ランドが制作しました 明瞭な文字であって しかもシンボルとして機能しています ロゴでありマークなのです
05 CIはコーポレートアイデンティティ つまり企業の統一性のことで どちらかというと内部施策です 国家なら国旗が帰属意識の象徴となります 企業の場合も暖簾という言葉が表す 社名やマーク(商標)がシンボルでしょうね
06 アップルも共同創業者ウォズニアックのいた 初期のAppleⅡにはロゴ・マークがついていました それがいつの間にか あのリンゴマークだけになっていきました スティーブ・ジョブズの信条は「シンプルに限りなくシンプルに」です
製品デザインそのもの(リンゴも含めて)がアップルなのです シンプルを極めると社名・製品名のロゴすら邪魔になります もはやロゴだのマークではなく アップルスタイルというべきでしょう アップルはコンピュータを売らない スタイルが商品なのです
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汁かけ飯

一汁三菜[01] … Continue reading 一汁一菜 一汁無菜など いろいろあります お江戸では砂州で貝がたくさん採れた深川にちなみ アサリと根深の味噌汁を飯にぶっかけたのを 深川丼と呼んでいました 一汁無菜の内になります 丼ものにも香の物は添えられます どんなに粗末な食膳でも汁は欠かせないのです[02]内田百閒翁によると 岡山の祭り寿司は 質素倹約のお布礼に対抗してできたとか いかに豪奢でも寿司は一品ですから 一汁一菜となります
戦国時代の頃までは堅飯でした ご飯は汁をかけたり湯漬けにして食べました 夏場は水飯です なので汁かけ飯は行儀の悪い食べ方ではありません[03] … Continue reading

固粥といわれていた炊飯が食べられる 江戸時代になっても食事に汁はつきものでした 香のものに具沢山の汁があれば一汁一菜でも十分ですし 鍋ものは豪華な無菜ともいえます 本膳料理で二の膳が付くときは 汁物や吸い物も2つ付きます[04] … Continue reading
煎茶が一般的になれば茶漬けにし 饂飩や蕎麦も汁麺とする 近年では 和え(混ぜ)麺である担担麺まで 汁麺にしてしまいました 名前の通り肩に担って売り歩いた麺ですから 汁麺はありえない それを汁なし担担麺なんて言ってるのです[05] … Continue reading そういえば スープスパゲティというのが流行ったこともありました
イタリアの古い本の挿絵に スパゲティを食べる図が描かれています 手づかみで天を仰いで食べています パンは手づかみで食べますから麺類を手で食べても不思議ではありません 当時ヨーロッパ庶民の食事は 冷たく堅いパンやチーズちょっと贅沢して干し肉なんかを ナイフでそぎ取って食べるのが普通です 柔らかく煮込んだ温かい食事を食べるための食器はなかったのです[06]ローマ人は戦場においても横になって食事をしました 貴族は料理人を引き連れ 幕舎の中で食べていたのです でも食器はなく手づかみでした

日本には恐らく縄文時代から箸の文化がありました[07] … Continue reading また食事の作法として手で器を持って食べます 汁かけ飯を手づかみというわけにいきません その慣習から自然と汁麺が好まれたと考えられます[08] … Continue reading
日本の汁麺は ついにカップヌードルとなって 完成したといえるでしょう 麺とスープに具が入り 湯を注ぐだけで一食を賄える すべて器に入ってるのが実に画期的な発明です
発売されたときはヌードルスープとして 海外で売ってたと思います(小さなフォークが付いてました) 最近はカップ飯もできて進化したのか 戦国時代の汁かけ飯に原点回帰したのか 日本ならではのものであることは間違いない

註釈

註釈
01 本膳は 手前左に飯 右に汁 奥左に坪(煮物) 右は膾 真ん中に香の物が基本となります これが一汁三菜の由来です 二の膳三の膳が付かないときは 膾の代わりに焼き物が入ったり 煮染(炊き合せ)を平(鳥肉と根菜の煮物)にしたりします
香の物を和え物に置き換えることもあります 一汁一菜と一汁無菜また丼ものにも香の物は付きますが なぜか数に入れません
02 内田百閒翁によると 岡山の祭り寿司は 質素倹約のお布礼に対抗してできたとか いかに豪奢でも寿司は一品ですから 一汁一菜となります
03 飯米の量は一人一日3合でした(1年で1石) 女子供も含めてですから一升飯を食べる者などまずいません 固飯で玄米ですから顎が疲れます 汁は2杯まが習慣だったようです 北条氏政が汁を2回かけたとか 馬鹿の三杯汁はそのあたりから来たことでしょう
04 近ごろ鍋の締めなる聞き慣れない言葉があります すき焼きでも 具材を攫った最後の地に冷や飯を入れ 雑炊にして食べてはいました 煮詰まり鍋底が焦げ始める直前に火を止め 溶き卵を回し入れ蓋をします このタイミングが難しい 店では中居さんがやってくれたものです
しかし宴席の手締めはあっても 締めなどという言い方はしなかった おそらく関西から来た言葉じゃないかと思います うどんすきという鍋料理の支店が以前ありました あの辺の感覚なのでしょうか ついでに七味唐辛子(ナナイロトンガラシ)をシチミとかヒチミとかいうのも関西からでしょう 子供の頃はそんな言い方しなかった気がします 一番は八幡屋その次は薬研堀です 京都のナンタラいう焼いたのはまずい
個人的な好みなのですが 寄せ鍋の類は好きでない 酒と料理(食材)の取り合わせを楽しみたいから ひとつ鍋の中に色々な味があっては 自分が何を食べているか分からず嫌なのです 湯豆腐とか葱鮪のようなシンプルな小鍋立てが いちばん酒に合う 小鍋立ては火鉢でやるもんです 差し向かいならいいが大勢で鍋を突くもんじゃない
05 落語でおなじみ 江戸時代の夜鳴きそばは 肩で担いだものの 辻に据えて売っていました(屋台ですね) つゆに漬ける冷たい蕎麦ではなく 温かい(汁)かけ蕎麦や(練物の具を乗せる)しっぽこ蕎麦でした 七輪と炭団の普及でこのような温かい汁物を出す 屋台店が可能となりました
06 ローマ人は戦場においても横になって食事をしました 貴族は料理人を引き連れ 幕舎の中で食べていたのです でも食器はなく手づかみでした
07 魏志倭人伝に倭人は高杯に盛った飯を手づかみで食べるとあるようです 団子状(お握り)にして盛っていたのでしょう 現在のような炊飯だったということになります 弥生時代の土器には飯を炊く大きなものと 汁物用の小さなものが使われていました
日本の食事は第一に汁があるのです 一汁無菜は具沢山の汁物ですし 丼物は汁かけ飯です 箸がなけりゃ食べられない また香の物も必ずつきます 酒も含めた発酵食品の技術は相当昔に遡れるでしょう
08 戦国時代の行軍食であった干飯は 今日のアルファ化米と同じです 水で戻して食べます 当座の携帯口糧としては 保存性を高めるため焼いた 味噌握りを携行しました お湯をかければ即席の汁かけ飯です 越後のけんさん焼きは そのままでなく茶や湯をかけ潤して食べるものです
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主権

王制国家は王様が主権を持っています その主権は何に由来するのでしょう 神(教会)から授けられたものです 教会から戴冠式の神事を受けなければ王権はありません 王様の言動が国民のためにならなければ 神の名のもと王を廃することができます
王権を制限した(あるいは廃止した)国民主権でもこれは同じです 権力を行使する機関は憲法で定められますが 憲法の権威は神が担保します[01] … Continue reading
たとえば基本的人権は 神から与えられたものです 人はみな神の前に平等です(だから王を追放したり処刑できます) 憲法に書いてあるからじゃないし 生まれたときから自然に備わるものでもない なので人間以外の動物には権利がありません

7月29日追記=ALSを患う女性で安楽死・尊厳死か嘱託殺人かと問われているケースがあります 人の命に対する考え方は宗教や民族で異なることを考慮しないと 物事の本質を見誤ります キリスト教で人間の肉体は元粘土であり魂は神の息吹です 臓器移植やクローンもそんな発想からと思います
キリスト教は自殺を禁じています 何故だと思いますか ほかの動物と虫や魚は地面・水中から勝手に生まれてきたのですが 人間は神が我が姿に似せて粘土を捏ねて作り それに息を吹き込んで生まれました つまり人間の命は神から授かったものなのです 人が人を殺すことは神の行いをないがしろにすることになります 自殺も他殺も同様です 他の動物と違い人間の命だけは神の司るものなのです
死後魂が神のもとに召喚されるとはそういう意味です とにかく命は大事だとか 生きる権利とかいう抽象論ではなく 明確な規範があるのです 他の動物は人に食べられるためにあるから関係ない 内陸部でできた宗教なので鯨を食べる習慣はありません 最後の晩餐には魚料理が出ていますが 柑橘類が添えられているので 淡水魚の塩漬けか干物でしょう)

日本はキリスト教国でありません 権威は朝廷でした 天皇から認定された将軍なり関白が元首となります 征夷大将軍は事実上世襲でしたが一代限りです 責任をとって大政奉還もあるのです 教会と王権と同様の仕組みと言っていい[02] … Continue reading
明治にできた帝国憲法は欽定憲法です 天皇陛下の権威で定めらました しかし元首も天皇とされました これは大きな矛盾です しかも実際には天皇陛下に決定権がなく 総覧するだけなので合議制で決まります 主権(責任)はどこかに行ってしまいました
天皇陛下はもともと権威の象徴で 権力を持ってなかったのだから 決定権もないのです 現人神とはよく言ったものです キリストを神の子とするのと似た発想かもしれない

日本国憲法には拠って立つ権威がありません(英語原文を読めばキリスト教の精神に基づくものですが 巧みに意訳しています) 権威に拠るものでなければ すべての法律の上位に立つ根拠がない
そこで日本国憲法は 帝国憲法の規定に則って改正されたものである という詭弁を用いました 現行憲法も天皇の勅令によって発布されていますから 形式上は欽定憲法なのです 国民投票で決められたわけじゃない この成立の経緯はペテンと言っていいでしょう[03] … Continue reading

現行憲法はGHQから授けられました(決して押し付けではない授かったのです) 原文が英語であり 条文の根幹もキリスト教精神です アメリカの国体がモデルなので 日本の歴史伝統は無視されています 拠り所となる権威はマッカーサー? ザビエル・フロイスも成し遂げられなかった 日本の教化に強権を持って成功した?
現行憲法を定めた権威が明らかでないから 憲法そのものが最高絶対の権威だと主張する者が現れます 神聖にして侵すべからず あたかも神に平伏するごとく崇め奉るのです 一種の偶像崇拝でしょうか 憲法という名がついているから一番偉いのだとする メチャクチャな理屈です[04] … Continue reading

主権者には国益を守る義務があります 王制なら王様と貴族がその任に当たります 国民主権だと選挙で委託された元首と国民になります
アメリカ合衆国大統領は 自治権を持つ州から委託された元首です(だから大統領選挙は国民投票でなく州代表が投票します) 連邦議会も州の代表といっていい
明治憲法にも現行憲法にも 主権者と元首の関係が明確に規定されていない そのため外交も国防も誰がやるのか誰が責任を持つのか曖昧です
ことが起きたときは アメリカの州兵のように自衛隊が連邦軍の指揮下に入るのでしょうね なにしろ交戦権がないので戦えませんから

註釈

註釈
01 日本国憲法前文の『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』の(崇高な理想) 日本人にとってあまりにも抽象的で意味するところが不明です 実はこれは神の教えのことなのです キリスト教徒なら理解できますから 具体的にいう必要がなかった
英語の原文を機械翻訳すると以下のようになります『私たち日本国民は、人間関係を律する高い理想を深く自覚し、いつまでも平和を希求し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、私たちの安全と生存を守る決意をいたしました。』 人間関係には国際関係も含まれます 平和を愛するのは日本以外の諸国民です 日本国民は彼らに安全と生存を委ねると宣言しています
02 征夷大将軍は武家の頭領です しかし日本は島国だったため侵略の脅威がなく 国軍や辺境警備の発想がありません ペリーが開国を迫った時に軍事力の後ろ盾で外交交渉ができなかった おまけに薩長は内乱を起こす始末です 公武合体で権威を高めようとしましたが そんな泥縄が通用するはずもなく 全く機能しない征夷大将軍を返上したのが大政奉還ですね
03 何事でも物事には始まりと終わりがあります 昭和大戦は昭和天皇の詔勅によって始まり詔勅により終わりました しかし現行の日本国憲法は始まりがありません 占領軍の指示により英語の原文を翻訳して憲法としたのですが 正式な発布の手続きを踏んでいません 帝国憲法の改定という形を取ったのです
いわばマッカーサーから下賜された欽定憲法でしょうか 占領政策のひとつでした サンフランシスコ条約締結で廃棄すればよかったのですが そのまま 始まりがこんな様だから 終わりもなく 曖昧に姑息に続いていきます 国体が明らかでない今の日本の姿そのままです
04 世界のほとんどの国には法律以前の精神的規範があります 聖書やイスラム法典また四書五経などです 仏教もお経があります しかし日本でお経は唱えるもの 上げてもらうものです 内容を精読はしない(日蓮宗などは法華講で勉強するみたいです 教祖を神聖視するのも一神教に似ています)
ソクラテス・孔子・釈迦は およそ2500年前に生まれたと言われます キリストは2000年前でマホメットはそれよりかなり遅い モーゼはもっと遡り3500年前だとされます 聖典は彼らが自分で書いたのでも口述筆記でもありません(コーランはマホメットの口を借りた 神の言葉を記したとされます) 弟子や又弟子が師の教えを自分の解釈で作ったもの(解釈の違いで宗派が生まれます) 何れにしても体系的な宗教・哲学はそれほど昔からじゃないのです
1万年前の縄文時代から日本には文化文明がありました でも哲学や宗教を育むことはなかったようです 自然と共存し他民族との軋轢がなかったためです 畏れ敬うのは自然そのもの 人間関係に悩むことはなかったのです たぶんこれが日本人の宗教観の根底にあります 砂漠に生きる人たちや民族間の争いに明け暮れる人たちと 考え方が違うのは当然とも言えます 国際関係に疎く外交が不得手なのもそうです
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