コンテンツへスキップ →

タグ: マッカーサー

内憂外患の日本は脅威に屈するか

自民党 憲法改正草案は お為ごかしである

先日書いたように参院選は予想通り自民党の圧勝です 安倍元首相の殺害という不幸な出来事が 後押しした面は否定できないでしょう(動機は政治的なものでなく宗教に関するようです) これで自民党(安倍元首相)の唱えた憲法改正論が現実味を帯びてきました
自民党の草案を見ると 交戦権を認めないという文言が消えているのですが 自衛権(正当防衛)で戦えという言葉に置き換えただけです 国防軍は名ばかり交戦権を持つ正規軍ではありません 民間軍事会社(傭兵)と同じ条件で戦うことになります[01] … Continue reading

7月29日追記=中国の偵察・攻撃大型無人機が沖縄本島と宮古島の間から太平洋に さらに台湾南方方面に飛行しました 単独飛行のプログラミング精度と通信衛星による制御の演習と推定されます 現状では自衛隊は有人の飛行機に対すると同じく スクランブル発進し警戒することしかできません 当該機が日本領空に接近・侵犯しても警告するだけです 2017年に中国が尖閣諸島にドローンを飛ばしたとき 当時の内閣総理大臣安倍晋三は 自衛隊法第84条に基づき対処するといっています つまり武器の使用は正当防衛と緊急避難のみに限定されるということです 他国の場合は無人機に警告しても意味ありませんから 領空侵犯すれば即時に攻撃撃墜します)
9月27日追記=2万トン級の巨大イージス艦を作るとか 防衛の予算と海上保安庁の予算を一緒にするとか 妙なことを言い出しています
もともと陸上用のイージス・アショアのシステムを 無理やり積み込んだ 巨大イージス艦にミサイルを搭載し 敵地攻撃能力とやらを持たせるんだそうです
反撃力とは敵の意志を屈服させるだけの打撃力です 蜂の一刺しじゃない しかも搭載するイージスシステムは電波法により 事実上使えない(防衛出動の命令が必要) 建造前から無用の長物です
海上保安庁のあり方を曖昧にするのは士気に関わります 海上保安官は日々命をかけて任務を遂行しています 日本は海洋国なんだから 沿岸警備に力を入れなくてはいけないのです 中国は沿岸警備のために 高速ミサイル艦を80隻保有しているそうです 海岸線の距離は日本の半分ですけど
国家防衛の戦略も運用もまるで考えていない イージスシステムは文字通りシステムであって 運用しなければ意味がない ここまで来ると本当に馬鹿なのかと思ってしまいます
優勝劣敗は士気や練度の差です 武器兵器の多寡ではない 運用は練度です 鈍刀を持つ剣の達人と利刀を持つ初心者が戦えば 勝負は見えています
自衛隊の練度は高いが 現場からは精神面の訓練が必要との声があるようです 何のために戦うのか 命をかけるのかが明示されていないからです 吾が邦の正義とは何か迷いがあっては撃てません 自衛隊員の待遇処遇と合わせて いちばん大切なことです)

自民党の憲法改正草案はひどい内容です 草案なのだから細かいことを論うな という考えもありましょうが それにしても酷い 今までの姑息な憲法解釈を成文化しただけ[02] … Continue reading
書き換えた前文の主旨は不明瞭です 色んな要素を引っ張ってきた継ぎ接ぎ それに文章に品位がまったくない こんな前文ない方がましです そもそも前文は必須ですか 現行憲法の前文は 要するに言い訳でしょう[03] … Continue reading

いろいろと問題点はありますが もっとも重要で見過ごしていけないのが 総理大臣を最高指揮官とする国防軍を作った上 さらに緊急事態の宣言という条項を付け加えたことです
内閣と総理大臣に権限が集中しすぎます 大変危険なことです 国民には権利に対して義務があると言いながら 公の権力が担うべき責任には言及していません
国防と内政両方の権限ばかりがあり 何をやってもその結果に責任は取らない魂胆です こんなものを憲法に盛り込んではいけません 国民に義務を押し付ける憲法はあってはならない[04] … Continue reading

現行憲法を作ったアメリカでは 甚大な災害や外敵の侵入には州兵が出動します 州兵の最高指揮官は各州の知事です 国家的な規模になると 外交と密接な関連がありますから 連邦軍・大統領の管轄に移行します
外交は大統領の専権事項で連邦軍の最高指揮官も大統領です 外交と軍事は切り離すことができないからです しかしながら内政と外交は明確に区別されます 合衆国憲法にも連邦法にも戒厳令(非常事態宣言)の規定はありません

2023年2月13日追記=アメリカに飛来した中国の偵察気球を連邦空軍が撃墜しました 過去日本にも同様な気球が飛来しています 日本政府・防衛省・外務省は何もしていません もっとも今の自衛隊法では スクランブル発進して警告・退去させることしかできません 無人の気球に向かって警告するのです 自衛隊保有の戦闘機では気球の高度まで到達できないし
偏西風を利用する高高度の気球は 太平洋戦争時の風船爆弾を真似たものでしょう さらに精密な誘導装置が搭載されていたのか 気球はレーダーに映らないからステルスなわけです)

マグナカルタが王権の制限であるように 憲法は公の権力の規制なのです それなのに地方自治の精神を蔑ろにして[05] … Continue reading 権力の増大・集中を図るとは とんでもないことです
統帥権を持つ者(最高指揮官)は 国の独立と国民の生命財産を確守し 領土領海および国益を保全する責務があると明記せねばなりません 責任が先にありその上での権限なのです 責任を全うしなければ罰則もあっていい(とくに敵国の内通者)[06] … Continue reading
最高指揮官の命令で戦った結果に対しては すべて最高指揮官が責任を取るものです 最初に外交戦があって軍事行動が伴います 軍事行動を収束するのも外交の責任です 命令に従った現場(軍部)に責任を押し付けることがあってはならない[07] … Continue reading

もうひとつ天皇陛下を元首とする条項は絶対許してはいけません ほとんどの国で元首は名目的・儀礼的なものです[08] … Continue reading
王室外交は何百年もの歴史があることです 現在でも他国は慣習に従い 天皇陛下を元首として遇します あらためて規定する理由はない
それでなくても お忙しい天皇陛下の国事等(雑務)をさらに増やそうとしています 上皇陛下が体力の限界で退位されたことを忘れたのか
吾が皇室は他国の王室と違い 古来より伝わる祭祀という 重要なお務めがあるのです 毎日がお忙しすぎます

9月29日追記=自民党の党利・党略により 安倍元首相の国葬が強行されました 参列した各国の首脳がこれを機会とばかり こぞって天皇陛下への拝謁を願い出ました 吾が皇室は世界で最も古い歴史と伝統がありますから 拝謁するのは最高の栄誉でステータスなのです 俗な言い方をすれば箔がつくわけ エリザベス女王の国葬に参列という もっとも大切な王室外交の後 幾ばくもなくしてのご負担です)

註釈

註釈
01 海上自衛隊のイージス艦保有数は アメリカ第7艦隊より多いそうです イージス・システムが守るのは空母です 日本に空母打撃群はないので 有事に海上自衛隊は 第7艦隊の補助としての役割を担います すでにして傭兵の運用なのです
02 交戦権を認めないことに変わりないのですから 自衛隊法には手をつけないんじゃないでしょうか 今までの憲法解釈が成文化されるわけです 現行憲法に中途半端な形のまま自衛隊を明記すれば ますます手足を縛られることになります まともに戦えません
03 現行憲法は占領軍(連合国)により 日本の武装解除のために作られました ところが日本が統治していた朝鮮半島から引き上げると その間隙をついてソ連が再び侵略を始めました 日本の軍備はアジア安定のため欠かせないことだったのです
慌てたGHQは日本に再軍備させようとしました しかし敗戦直後の日本にそんな経済力はありません 国民は疲弊していました そのため吉田茂は再軍備を拒否したのです 妥協案としてできたのが自衛隊です サンフランシスコ講和条約が締結されても 歪な姿はそのまま持ち越されました ソ連によるプロパガンダ工作と相まって 先送り糊塗策に終止する政府・役人の姑息な政策のためです
04 聖徳太子の一七条憲法は 役人の責務を規定したものです これこそが憲法の精神です ただ仏教やら儒教やらと 外来の借り物が多い 吾が国古来よりの規範は 和をもって貴しと為すぐらいです 大和心を根幹にすれば完璧なものになります
05 地方自治は なにもGHQから教えてもらったものじゃない 江戸時代まで各藩はほぼ独立国に近い自治体でした 徳川は専制君主ではなく 征夷大将軍として諸藩の指揮権(人事権)を与えられている 大藩に過ぎなかったのです
06 古代ローマでは国難に際しディクタートル(独裁官)が任命されます 議会等は機能を停止し全権が独裁官に付与されます この権能は国難が去るまでです しかも国難を排除することができなかったら 当人は極刑に処せられ一族郎党まで処罰されます 権力には責任が伴うのです
07 自民党憲法改正草案には ちゃっかりと軍法会議の制度を作るとしています 自分たち(政治家や文官)は戦争の結果起きたことに責任を負わず すべて軍人のせいにする心算なのです 昭和大戦を軍部の暴走などと言い繕い 責任逃れしたのと同じですね
08 先の大戦は昭和天皇の御聖断で終結し さらにマッカーサー司令官との会見をはじめ 上御一人がすべて戦後処理しました
役人・政治家の多くは責任逃れに走り 保身のため連合軍に取り入って 後に権力の座に返り咲きます 岸信介が代表例でしょう 終戦の詔勅の大御心に背く不埒な奴儕です 玉音放送の全文、現代語でどんな意味?(ハフポスト日本版編集部)
食糧難・ヤミ米は戦後のことです 戦時中に食料が不足したかのような報道等は フェイクニュースです 敗戦後の食糧不足に国民が喘いでいたとき 鳩山一郎の音羽御殿に行くと いつでも飯をタダで食べられたので 昼時には新聞記者が群がっていました 鳩山は不良米軍人や第三国人と手を組んで 闇物資・ヤミ米を流してもらったのでしょう その時の人脈が今の鳩山由紀夫にまで続いています 今は中国の内通者で売国奴と言ってよい
コメントは受け付けていません

からごころ やまとごころ

中国人は何事も秩序立て 整然と体系化する傾向があるように思います しかも数字合わせをします 陰陽五行論や儒学の三綱五常なんかそうでしょう この考え方は日本にも影響しています 三大〇〇とかはそれなんじゃないか[01] … Continue reading
整理するのはいいんですが 観念的な理論が先行するようになり 教条主義に陥ってしまいます これが本居宣長の言う「漢意(からごころ)」でないですか 誰か偉い人が決めたことを絶対視し 一つの価値観に拘泥 他の考え方を排除するのです[02] … Continue reading

官の漢意

とくに徳川綱吉の代に武家の心得として朱子学が採用されました 家父長制・長幼の序・男女差別が典型的な儒学の理屈です いずれも旗本・家中を支配・管理するのに都合がいい この倫理観に対して疑問を挟んではいけません 天性つまり天から与えられた性質であって 生まれつきのものだからです
徳川時代では原則的に 武家の倫理規範としての朱子学です 町人にまで強要していません 江戸でハリボテの人形を胸に抱いて 老人を背負うような格好をし「親孝行でござい」の呼び声で 街を流す商売がありました ふざけた話ですが収入になったそうです[03] … Continue reading

儒学の教えによる孝子顕彰の制は広く行われていました 綱吉の代には盛んに褒美を下すようになりました そんな官製の忠孝礼賛に対して反感を抱く庶民がいたのです 健全な感覚だと思います
親孝行自体は悪いことではない でも誰も否定できない正義を振りかざす 取って付けた態とらしさに違和感を覚える 親孝行屋に銭を恵むのは江戸庶民の洒落心ですね そこに目を付けたのも 公然と批判できない屈折した心理です

徳川の施政を非難して 薩長を中心とした勢力が暴力革命で政権を握りました 明治維新です 徳川時代を否定し新時代を演出するため 明治政府は王政復古を掲げました しかしそれは標語や形だけ 大和心ではありません
教育勅語を見れば 内容は儒学そのものです たとえば根幹をなす「忠」も「考」も和語(訓読み)がありません[04] … Continue reading 実際に書いたのは誰か知りませんが 御名御璽のある勅語ですから 明治天皇も内容を了承しているわけです 徳川の朱子学は かくまで武家(維新の元勲とやらはほとんど下士ですが)を洗脳していたのです

江戸時代は征夷大将軍が武家の頂点として統治していました いわば軍政です 武家は軍隊なので上意下達の組織 もっとも重視される心掛けは忠義・報恩です 儒学の規範が実に制度にふさわしい ただし武家以外の人たちには関係のない話でした 農家と武家[05] … Continue reading以外は御家大事なんて感覚はなく 己の才覚で自立していました
徳川が朱子学を取り入れたのは 旧来の制度を否定するためで 舶来崇拝の文明開化だったといえます それまでの日本は家父長制ではなく母系社会です さらに明治時代になると 天皇陛下を父として国民は赤子であると 家父長制を拡大解釈するようになります
明治の教育制度に四書五経は含まれませんが「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」なんてエピソードは書いてあります 四民平等の掛け声とは裏腹に 徳川時代より極端な儒教国家になってしまったのです[06] … Continue reading

儒学に基づく政治は専制君主です 為政者に都合のいい理屈の儒学も そのことは自覚していて 支配する者に高い徳を求めます しかし現実はそんなにうまくいかない 中国の皇帝は ほとんどが暴君だったり 人心掌握術に巧みな人物です
明治維新のきっかけになったのは 本居宣長の国学の影響が大きかったと思います でもかなりラディカルな思想ですから そのまま明治政府の施政に持ってくることはできません やはり朱子学は統治するのに都合がいいのです
しかしながら明治政府はこれを 為政者や官僚でなく国民に強要しました 武家だけであった軍事の担い手を国民全員に拡大したのです(長州の奇兵隊が原型かもしれません) 日本の徴兵制・国民皆兵は儒学によって裏付けられていました 漢意極まれり[07] … Continue reading

民の大和心

大化の改新時には神道が国民精神の根幹にあり 仏教と隋・唐に倣った政治制度が補完する形でした 神道・仏教・儒学はそれぞれに並立していました 明治維新の時は西洋の政治経済制度を取り入れ 王政復古の建前からでしょうか仏教を否定しました しかし王政復古は名ばかり儒学の理屈が色濃く残ったのです 全てを受け入れるのが大和心 他方を拒否するのは漢意です
明治政府は西洋の制度(文化・文明)がキリスト教を規範としていることを見抜けませんでした 薩長の下士にそんな教養はなかったのかもしれません 儒学の弊害に気付くことなく仏教まで廃すれば 精神の拠り所を失ってしまいます[08] … Continue reading
私見ですが キリスト教と儒学は共通点があり 神道と仏教は親和性があるように思います 日本ではいずれも融和しがちです 庶民は上辺で廃仏毀釈に従ったが ここでも健全な判断力をもって 仏教の教えを捨てなかったのが幸いでした 敬神崇仏で何の矛盾もない 庶民にこそ大和心があった[09] … Continue reading

原初の神道は国の成り立ちを神話を通じて説く いわば日本人の習俗・慣習のようなものです 教義も何もないが「魏志倭人伝」に描かれる日御子の姿が伝えています[10] … Continue reading 「惟神の道」という言葉は宗教以前の根源的な道の意です
八百万の神々が対等の大和心は 漢意の対極にあり一神教の教義とも相容れない 朱子学の皇帝に天皇陛下をなぞらえたり 西洋の王制政治を取り入れて 世俗の権力と同等に扱ってはいけません 神道(皇統)は政治制度でも宗教でもないのです 日本の成り立ちは悠久の神話の国です

日御子が国をまとめたのは 武力でも政治でもなく権威によります[11] … Continue reading 天照大神の子孫であるから天皇陛下です 日本の国体は天皇陛下の権威を中心とせねばなりません キリスト教国の拠って立つ権威も聖書や教会が齎します
薩長明治政府は天皇陛下を政治利用し 今でも続いています その上にマッカーサーGHQが 日本の歴史そのものを否定しました 現行憲法前文で唱う人類普遍の真理とは神の教えのことです

明治憲法のように統治権を総覧するとか 現行憲法がいう国の象徴ではない 総覧では主権の在り処が規定されず 象徴ということは国が主体で天皇陛下は表象に過ぎない
権威は政治制度や法律で決めることでありません キリスト教国の権威は神から与えられ 神道では2000年を超える皇統こそが権威です 天皇陛下は皇統に基づく権威なのです

註釈

註釈
01 儒学(儒教)の影響は今の時代にも残っています 旗本で禄を喰んでいるわけでもないのに家を継ぐとか 養子で入った婚家じゃないのに親元を実家と言ったり 結婚しても家名が変わるのは嫌だから旧姓のままでいたいとか すべて家父長制からくる家制度の陋習に囚われているのです
挙げ句の果てに将軍家とか天皇家なんて新聞でも書いています 征夷大将軍は一代限り世襲制じゃない ましてや天皇陛下と家制度は全く関係ないこと 江戸時代にそんな言い方はもちろんなかった 明治の頃でも朝廷・皇室とはいっても 天皇家なんて言わなかったんじゃないか 家族・家庭という意味で天皇ご一家までは許容範囲でしょうか
02 上代の大和ことばに抽象的な概念を表す言葉があったかどうか分かりません 漢字を組み合わせることにより便利に新語が作られたことは事実です その反面失われた大和言葉がたくさんあっただろうと思います
仁・義・礼・智・信は中国人の持つ抽象概念です 天・地もそうです もともと大和言葉にはなく 日本人の規範にはそぐわない概念 すなわち漢意なのです また仏教にもそんな概念はなく言葉もありません
03 世に孔孟と言いますが 孔子の教えは本来 謙虚なものだったのではないか 「学而時習之 不亦説乎」 学ぶは師に真似ぶ心 習うは己の修養です 師弟・親子・長幼の序は 学び習う年月の差なのです
孔子の玄孫弟子である孟子は 君臣だけでなく親子や職業さえも 階級秩序として規定しました こうして礼が秩序を維持するための 単なる形式・権威主義となっていきます 勉強し官職に就き出世して 栄耀栄華を極めるのが人生の目的です 秩序には礼が一番大事 徳が必要なのは支配者だけ
中国の葬儀は派手で豪勢です これは孟子の唱えた「君子不以天下倹其親」から来ているようです 自分は親孝行なんだと世間に宣揚するため 大金を使って葬礼を執り行う 拝金主義の中国人の感覚です
04 江戸時代の寺子屋は 子供の個性を伸ばす自由な教育の場でした むろん男女の差別などありません 読み書きそろばんが基本 大人になり仕事をする上で困らないだけの 教養を身につけます 論語読みの論語知らずという言葉があるように 儒者は書物の知識のみで役に立たない者と見られました
しかし明治の教育制度は 官製の画一的な価値観の鋳型に当てはめるもの 修身などは大学(四書)八条目の一つです 批判精神を摘み取り従順な羊の群れを作り出す そして忠良な官僚(牧羊犬)となって出世するのが良しとされます 西洋制度を取り入れているものの それは江戸後期に儒者が蘭学者に転向したことと同じです
05 弥生時代に水稲米の栽培が広がり 土地と水利をめぐる争いが起きるようになります すなわち武装した農民が武士の始まりです 戦国時代も結局は田圃の取り合いです(合戦だけでなく苅働き・焼働きも戦でした) 争いが終結し豊臣秀吉の太閤検地と刀狩で 武家と農家の役割が固定されました 日本の歴史で農奴などありません
06 西洋社会の貴族は王のもと軍事を担う役割です 日本の武家と同じく戦費は自己負担です 領地経営と戦に備えるためには 長男が全てを統率する必要があります すなわちヨーロッパも家父長制なのです 脱亜入欧とは裏腹に儒学と共通点がある気がします
07 八紘一宇に至っては 世界は一家人類みな兄弟という空疎な論です 一宇(一つの屋根で覆う)とは一つの価値観しか認めないということ 世界国家論とか父なる神といった考えに影響されたように思えます
昭和大戦中に八紘一宇を唱えたのは近衛内閣であり 軍部が推進したなどは捏造報道(情報)です
08 幾多の皇子・皇女が門跡として寺院に入られています 神道だの仏教だのと分け隔ることなく 何のわだかまりも持たないのが 上つ方から下々まで大様な日本の心です 狭量なのは地位と役得に汲々とする官のみ
09 お引けえなすってと仁義を切る 義理と人情の板挟み 庶民は漢語のもとの意味を軽く飛び越え 日本流にアレンジしました じつに融通無碍とらわれることがない これこそやまとごころでありましょう
10 記紀に描かれることは人間臭く 神話とは言い難いものもあります 卑弥呼(日御子)が登場しないのは不思議です 「魏志倭人伝」等が伝聞を記録したとはいえ 事実を隠す理由もありません 不確かながら史実を伝えていると見ていいかも知れない
11 北方・南方・大陸から渡ってきた人たちは それぞれの神を奉じていたでしょう やがて日本列島に定着集落を形成し 交易を通じて混血していきました 固有の神は国神・八百万神であり 日御子の導きに順い 氏神・鎮守の神となっていきます 武力に服属するのではない調和するのです 和をもって貴しとなすが吾国の習いです
コメントは受け付けていません

主権

王制国家は王様が主権を持っています その主権は何に由来するのでしょう 神(教会)から授けられたものです 教会から戴冠式の神事を受けなければ王権はありません 王様の言動が国民のためにならなければ 神の名のもと王を廃することができます
王権を制限した(あるいは廃止した)国民主権でもこれは同じです 権力を行使する機関は憲法で定められますが 憲法の権威は神が担保します[01] … Continue reading
たとえば基本的人権は 神から与えられたものです 人はみな神の前に平等です(だから王を追放したり処刑できます) 憲法に書いてあるからじゃないし 生まれたときから自然に備わるものでもない なので人間以外の動物には権利がありません

7月29日追記=ALSを患う女性で安楽死・尊厳死か嘱託殺人かと問われているケースがあります 人の命に対する考え方は宗教や民族で異なることを考慮しないと 物事の本質を見誤ります キリスト教で人間の肉体は元粘土であり魂は神の息吹です 臓器移植やクローンもそんな発想からと思います
キリスト教は自殺を禁じています 何故だと思いますか ほかの動物と虫や魚は地面・水中から勝手に生まれてきたのですが 人間は神が我が姿に似せて粘土を捏ねて作り それに息を吹き込んで生まれました つまり人間の命は神から授かったものなのです 人が人を殺すことは神の行いをないがしろにすることになります 自殺も他殺も同様です 他の動物と違い人間の命だけは神の司るものなのです
死後魂が神のもとに召喚されるとはそういう意味です とにかく命は大事だとか 生きる権利とかいう抽象論ではなく 明確な規範があるのです 他の動物は人に食べられるためにあるから関係ない 内陸部でできた宗教なので鯨を食べる習慣はありません 最後の晩餐には魚料理が出ていますが 柑橘類が添えられているので 淡水魚の塩漬けか干物でしょう)

日本はキリスト教国でありません 権威は朝廷でした 天皇から認定された将軍なり関白が元首となります 征夷大将軍は事実上世襲でしたが一代限りです 責任をとって大政奉還もあるのです 教会と王権と同様の仕組みと言っていい[02] … Continue reading
明治にできた帝国憲法は欽定憲法です 天皇陛下の権威で定めらました しかし元首も天皇とされました これは大きな矛盾です しかも実際には天皇陛下に決定権がなく 総覧するだけなので合議制で決まります 主権(責任)はどこかに行ってしまいました
天皇陛下はもともと権威の象徴で 権力を持ってなかったのだから 決定権もないのです 現人神とはよく言ったものです キリストを神の子とするのと似た発想かもしれない

日本国憲法には拠って立つ権威がありません(英語原文を読めばキリスト教の精神に基づくものですが 巧みに意訳しています) 権威に拠るものでなければ すべての法律の上位に立つ根拠がない
そこで日本国憲法は 帝国憲法の規定に則って改正されたものである という詭弁を用いました 現行憲法も天皇の勅令によって発布されていますから 形式上は欽定憲法なのです 国民投票で決められたわけじゃない この成立の経緯はペテンと言っていいでしょう[03] … Continue reading

現行憲法はGHQから授けられました(決して押し付けではない授かったのです) 原文が英語であり 条文の根幹もキリスト教精神です アメリカの国体がモデルなので 日本の歴史伝統は無視されています 拠り所となる権威はマッカーサー? ザビエル・フロイスも成し遂げられなかった 日本の教化に強権を持って成功した?
現行憲法を定めた権威が明らかでないから 憲法そのものが最高絶対の権威だと主張する者が現れます 神聖にして侵すべからず あたかも神に平伏するごとく崇め奉るのです 一種の偶像崇拝でしょうか 憲法という名がついているから一番偉いのだとする メチャクチャな理屈です[04] … Continue reading

主権者には国益を守る義務があります 王制なら王様と貴族がその任に当たります 国民主権だと選挙で委託された元首と国民になります
アメリカ合衆国大統領は 自治権を持つ州から委託された元首です(だから大統領選挙は国民投票でなく州代表が投票します) 連邦議会も州の代表といっていい
明治憲法にも現行憲法にも 主権者と元首の関係が明確に規定されていない そのため外交も国防も誰がやるのか誰が責任を持つのか曖昧です
ことが起きたときは アメリカの州兵のように自衛隊が連邦軍の指揮下に入るのでしょうね なにしろ交戦権がないので戦えませんから

註釈

註釈
01 日本国憲法前文の『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』の(崇高な理想) 日本人にとってあまりにも抽象的で意味するところが不明です 実はこれは神の教えのことなのです キリスト教徒なら理解できますから 具体的にいう必要がなかった
英語の原文を機械翻訳すると以下のようになります『私たち日本国民は、人間関係を律する高い理想を深く自覚し、いつまでも平和を希求し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、私たちの安全と生存を守る決意をいたしました。』 人間関係には国際関係も含まれます 平和を愛するのは日本以外の諸国民です 日本国民は彼らに安全と生存を委ねると宣言しています
02 征夷大将軍は武家の頭領です しかし日本は島国だったため侵略の脅威がなく 国軍や辺境警備の発想がありません ペリーが開国を迫った時に軍事力の後ろ盾で外交交渉ができなかった おまけに薩長は内乱を起こす始末です 公武合体で権威を高めようとしましたが そんな泥縄が通用するはずもなく 全く機能しない征夷大将軍を返上したのが大政奉還ですね
03 何事でも物事には始まりと終わりがあります 昭和大戦は昭和天皇の詔勅によって始まり詔勅により終わりました しかし現行の日本国憲法は始まりがありません 占領軍の指示により英語の原文を翻訳して憲法としたのですが 正式な発布の手続きを踏んでいません 帝国憲法の改定という形を取ったのです
いわばマッカーサーから下賜された欽定憲法でしょうか 占領政策のひとつでした サンフランシスコ条約締結で廃棄すればよかったのですが そのまま 始まりがこんな様だから 終わりもなく 曖昧に姑息に続いていきます 国体が明らかでない今の日本の姿そのままです
04 世界のほとんどの国には法律以前の精神的規範があります 聖書やイスラム法典また四書五経などです 仏教もお経があります しかし日本でお経は唱えるもの 上げてもらうものです 内容を精読はしない(日蓮宗などは法華講で勉強するみたいです 教祖を神聖視するのも一神教に似ています)
ソクラテス・孔子・釈迦は およそ2500年前に生まれたと言われます キリストは2000年前でマホメットはそれよりかなり遅い モーゼはもっと遡り3500年前だとされます 聖典は彼らが自分で書いたのでも口述筆記でもありません(コーランはマホメットの口を借りた 神の言葉を記したとされます) 弟子や又弟子が師の教えを自分の解釈で作ったもの(解釈の違いで宗派が生まれます) 何れにしても体系的な宗教・哲学はそれほど昔からじゃないのです
1万年前の縄文時代から日本には文化文明がありました でも哲学や宗教を育むことはなかったようです 自然と共存し他民族との軋轢がなかったためです 畏れ敬うのは自然そのもの 人間関係に悩むことはなかったのです たぶんこれが日本人の宗教観の根底にあります 砂漠に生きる人たちや民族間の争いに明け暮れる人たちと 考え方が違うのは当然とも言えます 国際関係に疎く外交が不得手なのもそうです
コメントは受け付けていません