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縄文より続く日本の文化伝統 投稿

学問の自由

日本国憲法第23条に「学問の自由は、これを保障する。」とあります これで全文です なんとも抽象的で 意味するところが分かりません 何に対しての自由なのか 誰が保障するのか 文章が短く解釈の余地が大きすぎます 法律の条文はそんなものなのでしょうが
学問の自由という概念は 研究・表現・教授の自由と定義されています ドイツのプロイセン憲法で 学問研究・教授教育の自由という条項がありました 表現とは出版等で広く自説を公開することです どうもマルティン・ルターあたりに関係がありそうです

誰でも知っているコペルニクスの地動説 コペルニクス自身は聖職者であり 著書「天体の回転について」が出版されたのは死の直前です しかも最初は特に問題とされていませんでした 地動説により迫害されたことはありません
ガリレオが異端審問会にかけられたのは 地動説を観測や実験によって証明したためとされます この頃は宗教革命で カトリックとプロテスタントが 苛烈な抗争を繰り広げていました 新旧がお互いに正当性を主張して争う

ルターはローマ教会の権威を否定して[01] … Continue reading 聖書を絶対視しました(ヘブライ語からドイツ語に翻訳しました) これは教条主義・原理主義ですね それまで比較的鷹揚だったカトリックも統制を強化しました 地動説が証明されたら聖書の教えが覆されてしまいます どちらにとっても地動説は異端の理論だったのです そのトバッチリを受けた弾圧(学問への介入)が そもそもの学問の自由侵害の初めと思われます
マルティン・ルターの書いた書物の総発行部数は 30万部にも及ぶそうです グーテンベルクの発明した活版印刷を活用しました 対してカトリック側の聖書は 羊皮紙にラテン語で書いた門外不出の秘宝です 大きな違いです ローマ教会はパンフレットの出版(表現の自由)を躍起となって取り締まったでしょう 誰でも読めたら教会の権威が失墜してしまいます まるで魔女狩りの様相を呈していたのです[02] … Continue reading

帝国憲法に学問の自由云々の条項はありません そんなことを取り立てて言う必要がなかったのです 江戸時代にも蘭学をはじめとした学問を統制していません 国防上の理由で地図の持ち出しは禁止されていました 当たり前のことですね
アメリカその他の国の憲法にも 学問の自由といった条項は見当たりません なぜ日本国憲法にこんな条文があるのか不思議です おそらく占領政策の遺物なのでしょう アメリカはプロテスタントの国ですから 自らの価値観を日本国憲法に加えたのです

日本学術会議は長い間共産党が実質支配していましたが[03] … Continue reading 近年まったく影響力が落ちてきています このたび任命を拒否された6人は共産党の息がかかった者たちです 会員は特別公務員として任命されます ほとんど仕事はなくただの名誉職です
名誉教授と同じように虚名を与えられているのです ただし政府の科学技術関連予算4兆円余りを左右する影響力を持ちます つまり実体は利権団体なのです ますます利権から遠ざかってしまう共産党が慌てたのは無理からぬことです

しかし赤旗新聞が主張し一部新聞が追随する 学問の自由侵害は噴飯物ですね 内閣府の機関ですから総理大臣に任命権があります 名誉職の人事は研究・表現・教授とまったく関係ないこと 学問の自由に結びつけるのは牽強付会にすらならない
外国のアカデミーは政府からも宗教からも政治団体からも独立した組織です[04] … Continue reading それでこそ学問の自由を言う資格があります 自由とは自主・自立そして責任を意味しますから

註釈

註釈
01 ルターがローマ教会を非難したのは 金儲け主義に対してです 神に成り代わって贖宥状なるものを売りつけていたのですから 要するに金を払えば罪は許されるという あまりにも世俗的なやり方です
後述するように共産党が支配していた日本学術会議も 権威に依って科学技術関係の国家予算を左右していました この不逞な行為を学問の自由と言い繕ったのです
02 プロテスタントとの宣伝戦のために作られたのが サンタ・アリアンザと呼ばれるイエズス会が中心の組織です この組織は現在も継続しており バチカンの情報機関とされています
03 科学は実証主義です 人文学は文献主義です 関係あるのかな 多分すべての人文学は聖書の下位にあるのです そういえばマルクス・レーニンは自らの宗派のことを 科学的社会主義とかいってましたね 宗教に科学的手法を取り入れたのは確かに新しい
宗教を否定するといえ内容はキリスト教をなぞっているだけ 彼らの理屈(似非科学)は神学に代わるレトリックです 聖書に相当するのが資本論か 共産党が学問の自由を言い立てるのは あながち見当はずれでもない?
04 日本学術会議の多くの会員は 名誉ある地位に満足しているだけでしょう 講演料とかに影響する実利もあるかもしれない 中国の政策に協力したといっても 政治的意図は持ってないと思います 世間知らずの学者だから 易々と共産党に牛耳られていたのです
もともと占領軍が作ったものですから 軍事研究をしないのは当然のことです でも敵国に研究成果を売り渡し御用学者となって 恬として恥じないのは流石にまずいですね こんなところにまで中国の謀略の手が伸びていた セキュリティの意識を持たない間抜けはどこにでもいる 空恐ろしいことです
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夜汽車に乗って

一等車

小学校何年生の頃だったか 父親と妹の3人で飯山線に乗った時のことです かなり遅い時刻の夜汽車でした 母親の実家から自宅に帰る途中です いま考えてみると 夫婦喧嘩の余波だったのかもしれません
それはさておき 夜汽車は随分と長い編成でした 私たちの他に客はほとんど乗っていません 3人でずっと後ろの客車まで行ったところ 見たこともない車両が繋がれていました 当時は赤い帯の3等車や青い帯の2等車があったのですが 最後尾の3両の客車はなんと1等車と特等車だったのです
もうすでに使われなくなって埃だらけでした 特等車の半分はコンパートメントで あと半分がラウンジになっています 椅子は回転式だったかと思います 他の車両はゆったりした大きなリクライニングシートです 最後尾は展望車だったかもしれませんが よく覚えていませんし なにしろ夜汽車なので景色もあまり見えない

後年内田百閒先生の「阿呆列車」を読むと 昭和25年当時の特等車・1等車はほとんど利用客がなかったそうです たまに見かける客は無料パスを持った国会議員や国鉄本社のお偉いさんが出張する時ぐらいで まったく採算が取れていない状態でした
私が乗った特等車は多分 廃車になって地方に回されたかしたものでしょう 昭和30年代後半ですから等級制が廃止されていたのかも
コンパートメントにも入ってみました 薄暗くて狭い さほど居心地のよい部屋ではなかったと思います 百閒先生もコンパートメントで魔法瓶入りの燗酒を飲むより 食堂車のビールの方がお気に入りでした[01] … Continue reading

コンパートメント

ワゴン・リのオリエント急行はコンパートメントです 映画でしか見たことがないので どんな編成かよく分かりません 客室とラウンジと食堂車は必ずありますね 面白いのがワゴン・リ社はオリエント急行の運用会社で鉄道会社ではないのです ちょうどザ・リッツ・カールトンのようなものでしょうか
リッツ・カールトンの商品はホスピタリティー自体です 建物・設備は他に所有者がいます スタッフ(の資質)が商品なのです ワゴン・リは列車を所有していますので サービスと設備が商品ということになります 動くホテルと言っていいでしょう

日本にこのワゴン・リやリッツ・カールトンの発想はない おもてなしとホスピタリティーは別なものなのでしょう ところでホテル・ホスピタル・ホスピタリティー すべて同じ語源から来ています
病院にはクリニックとホスピタルがあります 違いは入院設備です 入院(宿泊)できるのがホスピタルです ホスピタルの機能としてトリートメント(治療)とケア(看護)のふたつがあります トリートメントはクリニックでも行いますが ケアはホスピタルだけの機能です
ザ・リッツ・カールトンの主役はスタッフです これと反対なのが木賃宿やオーベルジュですね 寝床を提供するだけでサービスはありません
ホスピタルもおなじことです つまり入院病棟の主役はナースなのです 設備や建物も重要ですが 何よりも大切なのはスタッフ(ナース)によるケアです 運用するのはスタッフですから 技術・知識だけでなく人間性の高さが求められます

註釈

註釈
01 母方の大叔父が東京事務所を作ったのは 私が中学生の頃だったでしょうか 東京直通の準急雪国は走っていましたが 月にいちど東京事務所に行くときは 夜行列車を使ったそうです サントリーオールドのポケット瓶がなくなる頃合い上野駅についたということです 当時のポケット瓶はスキットルの形をしていました サントリーオールドのTVCMは素晴らしい映像作品ですね 今見ると涙ぐんでしまいます
大叔父は父母の仲人でした 私を殊のほか可愛がってくれ 東京事務所を見てくれと頼まれたのですが 大学に入ったばかりの若造にそんな任が務まるわけもありません 話の後しばらくして東京事務所は閉鎖されました 事務所長が金を持ち逃げしたのです 面倒見が良いくせにお人好しで 騙されることが多かった大叔父は チョビ髭を蓄えた昭和の紳士でした(サントリーオールドが似合う?
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公正中立・無色透明

東西冷戦のころ 中途半端な社会党あたりが どちらにも与しない 中立・中道の第三極とかいってました そういった連中は 自らをリベラリストと称していました
不偏不党とは自分の信念・意見・考えがないことです どちらでもないは第三の立場という意味じゃない 他人の言葉に左右される どっち付かずの態度に過ぎません
先入観や予断をもたず 完全に公正中立な見方ってあるのでしょうか 判断するということは 自分の価値観に適合するかどうか ではないかと思います

色眼鏡で見るは あまりいい意味で使われません しかし 自分色がなければ基準がないわけで かえって事物の姿が 霞んだり歪んでしまうのではないでしょうか
例を挙げれば 光ファイバーなど特殊なものは別として 日常目にする透明なガラスやプラスチックは わずかに色素を入れています 無色だと人間の眼には 白く曇って見えるためです
色の三原色とか虹の七色といいます でも色は人間がそのように感じているだけ 他の動物は違う色を見ています 赤外線や紫外線が見える生き物もあります[01] … Continue reading
いろんな色が混ざって 白や黒になるわけじゃありません 白や黒という色はなく 明るいか暗いか(光があるかないか)反射率の違いだけ ですから無色透明もないわけです

自分の基準がなければ 誰かの基準を持ってくることになります たとえばキリストの教えなどです ギリシャ・ローマ時代の なんに書いてあったか忘れましたが 砂漠に住み豚を食べず唯一の神を信ずる 変わった民族がいるとありました[02] … Continue reading
キリスト教が広まる以前の世界は 多神教が普通の考え方でした 日本はもともとリベラルな国です 八百万の神は まさに多様性そのものです
教会など単一の価値基準に対して 多様性を認めるのが 本来のリベラリズムです いろんな色の見方があっていいし[03]透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります そのほうが透明性が高いと思います

一神教のような二元対立論なら どちらでもないと逃げることもできます 多様であればあるほど 旗幟を鮮明にしなければならないのです
日本に白か黒かの単一価値観は似合いません かといってすべての真ん中・中庸 灰色が正しいなんてこともない[04] … Continue reading

註釈

註釈
01 薄暗がりでは 水色は白に見え紅色は黒に見えます 赤・青・黄の絵の具を混ぜても決して黒にはなりませんよ 実際にやってみればすぐ分かることです 教科書に書いてあることを鵜呑みにしてはいけません
同じように報道されたことだけが事実ではない 何らかの政治的意図のもと書かれない真実がたくさんあります 記事を取捨選択するデスクは 公正中立な判断に基づいているつもりですが
02 ソ連邦の崩壊により 冷戦時代の単純な二元対立論も意味をなさなくなりました いま世界はさまざまな立場・価値観が主張されています 右だ左だ真ん中だといったレッテルばりを 未だにやっているのは日本だけじゃないですか
03 透明なガラスに入れる色素は赤や緑が多いようです プラスチックでは紫なんかもあったかもしれない 切り口の色で分かります
04 モノクロ印刷と白黒印刷は異なります モノクロームは単色という意味です たとえばセピアカラーの特色インクを使ってもモノクロ印刷です 黒一色のインクで印刷すれば やはりモノクロ印刷になります しかし白黒印刷の場合は 中間のグレートーン(256階調)を再現するために 黒に加えグレーのインクを使うことがあります この場合は2色のインクなので モノクロ印刷ではありません
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