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縄文より続く日本の文化伝統 投稿

日の丸

旗日

以前は祝祭日を旗日(はたび)と呼んでいました その日は各戸で日章旗を掲げたものです 家々の玄関や門柱には 掲揚のため金具が取り付けてありました
暦にも祝祭日は交差した日章旗が描かれていました 戦前の話ではありません 昭和30年代40年代のことです 朝日新聞連載のサザエさんでも 旗日を描いた作品がいくつかあったように 当たり前の光景でした

明治以降の新暦に祝祭日が定められ その際 旧暦にあった農事祭や節句が廃止され あるいは名称変更されています 祭政一致の国家神道の方針からです 日章旗が掲げられ旗日と呼ばれるのは いつ頃からでしょう(後述します)
日章旗が描かれた暦は 月曜始まりであったと記憶します たしか土曜日は青字でした いつの間にか カレンダーが日曜始まりになるとともに(それにしては今でも土・日を週末という) 暦から日章旗も消えさえりました[01] … Continue reading

2022年5月14日追記=NHKの番組“チコちゃんに叱られる“で カレンダーの土曜日が青になったのは オイルショックによる週休2日制がきっかけ また印刷インクの4色から青を採用したとの フェイク情報が流されていました すべてデタラメです
1960年代から土曜日が青のカレンダーはありました 印刷に使う4色はイエロー・マゼンタ・シアン+ブラック(墨)です これを掛け合わせて多色印刷します 慣用的に赤といってる色は 印刷上ではM100%+Y100%です HEXでは#ff0000にあたります 青は様々ですがC90%+M60%辺りになりましょうか
日めくり暦のように玉だけのカレンダーは 多色刷りでなく黒・赤・青で印刷するでしょうが 上記の割合でインクそのものを練り合わせた特色を使います 4色印刷のシアンを土曜日に使ったりマゼンタを日曜に使ったりしません)

日章旗

日章旗が法律で国旗と定められたのは 実に平成になってからです それまでは商船法の船印である日の丸が 慣習的に国旗として扱われていたのです
安政年間に他国の船と区別するため 日の丸を採用したのが始まりです 明治に入ってから追認する形で 法令で定められました それでも商船旗であって 国旗ではなかったのです

日章旗が国旗として扱われるようになったのは いつからかはっきりしません 船舶旗ですから 一般庶民には馴染みが薄かったのではないか
たぶん日清・日露戦争の勝利で国家意識が高まり 日の丸提灯や日の丸の小旗を持って行列したあたりかと思います とりわけ大東亜戦争が始まる前後、戦意高揚のため日の丸が強調されるようになリました

旭日旗

旭日旗は連隊旗・軍艦旗(日の丸の位置が違います)です 意匠自体は昔からあって 今でも漁船で大漁旗のデザインには欠かせません 元々船印ですから軍旗は国籍旗ともいいます
16条の旭日旗は軍旗ですから 一般に使われるものではなく スポーツの応援に軍艦旗を持ち出すのも 違和感があります 代わりに大漁旗というのも変ですし
旭日旗には色々なバリエーションがあります 16条・8条・4条は軍旗として使われています スポーツの応援なら 6条の旭日旗なんかどうでしょう 幟とか纏もいいですね

万国旗

スポーツといえば 運動会に万国旗はつきものです これもいつから始まったのか 諸外国にないものです ただ単に賑やかしで飾り立てただけでしょう 満艦飾あたりを真似したのかな
諸国の国旗はそれぞれ独立の象徴といった 国の成り立ちに関わる謂われがあります 日本の国旗は国家樹立を表すわけでなく由来が曖昧です あまり関心を持たれないのも無理ありません 日本が対外的に国家意識を持ったのは おそらく聖徳太子の頃です

日の丸

日の丸と一口にいっても 色の取り合わせは様々でした 戦国時代の上杉謙信公が率いる越後の軍勢は 有名な毘の字の旗印とともに 龍の字と日の丸も用いました この幟旗は長尾晴景の代に朝廷から賜った錦旗で 紺色地に朱色の日の丸です[02] … Continue reading
デザインとしての日の丸の初出は 平家物語の那須与一の件でしょうか (おそらく朱赤の地に金色の日の丸を描いた)扇子を射る話ですね

白地に赤い日の丸は 色も意匠も簡潔で印象的 世界中の国旗を見ても 独自で最も美しいものです これに異論がある日本人はいないでしょう かといって日本では 国旗に忠誠を誓うとかいう性質のものじゃない 日出ずる国の象徴です
〈ああ美しや日本の旗は〉と敬愛することで いいんじゃないかと思います 日本は日の本の国ですし 白と赤は 日本人の心「清明(きよきあかき)」を表します 美しいものを愛でるのは 日本の良き伝統です

註釈

註釈
01 明治の時代になって それまでの祭日が国の祝祭日とされました 昭和大戦敗戦後 再び改変して祝日となり 今じゃただの休日扱いです 連休にするため日にちを動かすのですから 本来の意味は全く無視されています 旗日と言わなくなったのも宜なるかな 別に日教組のキャンペーンが功を奏したわけじゃない
02 戊辰戦争のとき官軍(薩長)が掲げた錦の御旗は 岩倉具視が勝手にでっち上げました 朝廷から授かったものではありません 孝明天皇の頃より天皇陛下を政治利用していたのです 天皇の詔勅により戦うのは征夷大将軍であり 薩長に徳川を相手にする大義名分はありません そのため有栖川親王を担ぎ上げ東征提督なるデタラメな権威をつくりました
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海苔巻きに茶碗酒

太巻きが嫌いです 海苔巻きは 卵焼きや桜でんぶ甘辛く煮た椎茸などが入ったものがいい 太巻きが嫌なのは食べづらいからです
同じ太巻きでも房総の四海巻きは たいへん手のかかる巻物です これはほとんど寿司飯が占めているから そんなに食べづらくない だめなのは やたら具の多い太巻きです 寿司飯はほんの申し訳ていど これではまとまりません
海鮮系を使った太巻きは 寿司屋が土産として始めたのではないか 最近は裏巻きなるものもあります 海苔巻きの体をなしていない

海苔巻きの本来は食べやすさを求めているはずです 鉄火巻の由来は博打をしながら 片手で寿司を食べようという魂胆からと言われます サンドウィッチ伯爵が カードゲームをやりながら食事するために パンに具を挟んだのと同一の発想ですね[01] … Continue reading
零戦だったか隼が出撃するとき パイロットに海苔巻きを2本持たせました 海苔巻きなのは操縦しながら片手で食べられるよう 2本なのは行きに1本食べ 帰りにもう1本食べるため つまり生きて帰れよという 気持ちを込めてのことです

かんぴょう巻きといなり寿司の取り合わせ 助六寿司をつまみながら 茶碗酒もいいものです 淡麗辛口の大吟醸酒は似合わない 本醸造(普通酒)がいいですね[02] … Continue reading 茶碗酒といえばむろん冷やです 手間をかけないのが茶碗酒です
茶碗酒と同類にコップ酒があります 吉田類が行く居酒屋のほとんどが 受け皿にコップを乗せ わざとこぼして酒を注ぎます 吉田類はカウンターにコップを置いたまま口をつけて飲む あれは下品で見苦しいですね
たぶん銚子の袴(保温のためです)にヒントを得たのかと思いますが 昔もコップ酒はこぼれてもいいように 1合枡を受け皿がわりにする事がありました[03] … Continue reading

夏にも燗酒は飲みます 冬の燗酒は人肌燗からぬる燗 夏の燗酒は上燗と熱燗の間がよい 甘酒も麦湯(この頃は麦茶という)も熱いから暑気払いになるのです もう一つ暑気払いには 焼酎を味醂で割った直し(柳蔭)です[04] … Continue reading
これは冷やします 井戸に浸けてですから 15度くらいに留める[05] … Continue reading 試したことはないが 井戸水で冷やした白玉団子の白砂糖掛けは合うかもしれない 羽二重団子の付け焼きで酒を飲むことはあったようです

寿司も日本酒も焼酎も味醂も白玉粉も すべて米から作ります 瑞穂の国ですね 同じ米から これだけ多彩なものを創出するのですから[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 鉄火場で熱くなるのは客です 胴元はじめ博徒は博打をしません サクラ役はいたかもしれない 客にはそれなりの食事が振る舞われました 食事の時間も惜しんで何もかも巻物にする客はいそうです
02 うなぎを食べるとき 焼き上がるまでの間 漬物なんかで酒を飲んで待ちます この時の酒もあまり上等でないものがいい気がします うなぎは栃木市に食べに行くのですが ここで置いてる酒も秋田の普通酒です
03 テキ屋さんの元親分から お酌は八分目に注ぐもんだと教わったことがあります なみなみと注いだら客人の膝を濡らす恐れがあります テキ屋さんは寺社庭場の稼業人で 昔からのしきたりに通じています
なみなみと注ぐのはどこから来たのでしょうか 幇間が酒を注ぐときは 盃を持つ客の手の下に自分の掌を持っていくそうです 幇間の芸なのかもしれない 酌とは媒酌人や切腹の介錯と同じく 取り持つ・配慮する・手助けという意味です
してみると芸妓が酌をすることはなかったんじゃないか 酌婦というと別の意味になりますから 素人の婦女子に酌を強要するなど無礼千万な行いということになります
04 柳蔭はなかなか風情のある名です 味醂は究極の甘みを求めて作られた 高価な酒です あまりに甘すぎて生では飲めなかった 焼酎も江戸時代は高級酒でしたが 度数が高すぎました この二つの酒を取り合わせると 飲みやすくなるため 本直しと言われました ともに高級な酒を使ったカクテルです
教訓親の目鑑 俗ニ云ばくれん」この娘が飲んでいる酒は何でしょう かなり濃い色です 当時の諸白はこんなものなのか 腕まくりしているので直しかもしれません ワイングラスで本直し!! 寿屋(サントリー)赤玉ポートワインのポスターは これをヒントにしたのだろうか
05 井戸で冷やすくらいがちょうどいい 冷蔵庫でキンキンに冷やしたのでは味がわからないと思います そして井戸に浸けている間に焼酎と味醂が馴染みます 焼酎の前割りと同じことです 前割りは あらかじめ水で割った焼酎を素焼きの瓶に入れて 24時間以上おき燗をする飲み方です
焼酎のお湯割りなど以前はなかったそうです 焼酎の燗は大変手間がかかるので 仕事上がりのタクシー運転手さんが 薬缶のお茶で割ったのが始まりと聞きます どうしてもお湯割りにするのなら グラスを湯煎で温めておき まず湯を入れてから焼酎を注ぎます 決して焼酎を先にしてはいけません
江戸時代に富士見酒というものがありました わざわざ酒を船に積み込んで富士の見えるところまで往復します すると波に揺られた酒がうまくなるというのです ポルト酒(ポートワイン)やマディラワインも船底に積んでいたら味が良くなったといいます デカンタージュもそれに近いのかもしれません 焼酎の前割りの時間がなかったら 水と焼酎を入れた瓶を波に揺られる如く ゆっくりと50回ほど上下に返します
06 物好きに羊羹を大吟醸酒のつまみにしてみたことがあります 全然合わなかった 甘めの寿司や白玉団子(?)が酒に合うのは 同じ米から作っているからですね 日本酒と酒菜は調和の味と理解しました 洋酒でチョコレートやレーズンバターをつまみにすることがあります その真似をして甘いものを合わせてみたのですが やはりダメだった
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ブランディングは一朝一夕にできません

「100日後に死ぬワニ」騒動を引き起こした ベイシカという会社 キャラクター商売のようですが 版権管理とはちょっと違うみたいです ホームページを見ると キャラクターを使ったブランディングを標榜しています 
自慢なのがスピード感 社長インタビューによれば ひとつの案件に1か月しかかけないそうです たしかに「100日後に死ぬワニ」公式グッズショップの開店は 原作終了の翌日という速さです 実態はイベントプロモーターですか
きくちゆうきさんの原作は タイトル通り100日間twitterに連載していました 普通に考えれば 多方面への展開は連載開始前から周到に準備していたと思われます しかし作者によると そうではなくベイシカがコンタクトをとってきたのは 連載開始後1か月経った頃だそうです
おそらく原作の人気に当て込み ひと儲けしようという 山師的発想で原作者に近づいたのでしょう ブームは一過性のものだろうから 今のうちにという感覚です だとしたら 原作者に対して失礼なことですし オーディエンスを愚弄しています この拙速なやっつけ仕事が 嫌悪と反感を呼んだと思います

原作を見たところ 無常観といいますか死は特別なものでなく 日常に遍在するがテーマと私は受け止めました 生きることは即ち 死に向かっての歩みです 今日一日生きたら 死に一日近づくのです
ブランディングは一朝一夕にできません 地道な毎日の積み重ねです お手軽なゆるキャラみたいなものを作れば ブランドのイメージが上がるなんて 安易なものじゃない
キャラクターにも様々あって ストーリーに従い成長するものと安定した存在があります 「100日後に死ぬワニ」はどうなんでしょうか

死んでしまったワニのキャラクターを どうやってマネタイズするのか 今までになかったケースです しばらく沈黙して七七日後に 新たなストーリーが始まるとかすれば面白かったかも スピード感はまったくありませんが 人の噂も七十五日といいます 49日なら忘れられないでしょうし 100日後とも整合性があります

東京と大阪に4月1日からCafeまで開かれるそうです 話題を利用するだけという魂胆が見え透いた この矢継ぎ早のキャンペーンが 今後どのように推移するか注目したいですね 版権管理とかキャラクターを育てるという 長期的視野はまったく持たない連中です 刹那に生きるのも無常といえば無常観かもしれませんが
TVとのタイアップで話題を作り客を呼ぶ手法は 結構うまくいってます 作品のファンであるユーザーでなく 話題性だけで買う浮動層がターゲットなら これはこれで案外成功するかもしれません 以前にも ブログ発の小説を書籍化したりTVドラマ化して 一山当てたというのがありました でもかなり時間をかけていた気がしますけど

このようにtwitterを使ったマーケティングで思い出すのは グルーポンですね あれも日本では光通信という詐欺商法会社(企業舎弟?)が展開していました
本家アメリカでは フラッシュマーケティングと言われていたようで まさに刹那主義の一発屋手法です 期間限定の割引は古典的なものですが twitterを使ったのが目新しかった

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