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情報心理戦とマーケティングの戦理・戦略・戦術・戦技 投稿

家電 魔法瓶 郵便局 国鉄

最近の魔法瓶は保温力がない気がする ステンレスポットもそうだが 昔ながらの真空ガラスのもだ
理由は分かっている 中栓がないからだ 押すだけワンタッチとかエアーポンプとか 訳の分からん機能を付けるから 頭でっかちでスカスカの栓になってしまう それに口が広すぎる 洗いやすくするためだとかいってるが
わずかな手間を省くために 本来の目的である保温性を犠牲にしている プロダクトデザインとしても美しくない

反論の声が聞こえてきます 「保温性を追求しても売れないんですよ 消費者は便利さを求めています」 そう 一般受けしないというか数が出ないでしょう すると価格も高めになってしまうし
口が小さめで ちゃんと断熱材が入った中栓がある魔法瓶を探して見たが やはり業務用の一部製品しかない

日本の家電製品とくにTVが駄目になったのは 安売り店が価格を主導するようになったことに加え エコポイントとやらを使った地上波デジタルへの強引な移行が原因だ 韓国のせいにするのは目くらまし(本質を見たくない)だと思う
さらに首都圏では 東京タワーからスカイツリーへの切り替えで アンテナの向きを変える等余計な手間をかけさせている
無理やりな需要喚起がデフレーションを招いたんじゃなかろうか 経済学者じゃないから分からんが
(9月19日追記 日本の国債の格付けが韓国を下回りました 役人の身勝手が国を滅ぼす前兆でしょう)

パナソニック シャープ ソニー いまだ技術信仰にすがりついているようだ 自分たちが何を作っているのか見えなくなってしまっている
シャープが低迷したのは 技術畑出身の社長がマーケティングを無視したからだろう かつてシャープザウルスという先駆的なPDAがあった 単なるガジェットで終わってしまったのも マーケティングを考えないで製品作りをしたから
かなり前シャープのBDレコーダーを買ったが くだらんおせっかい機能満載で実に使いづらい 簡単予約が普通に予約するより手間がかかったりする 体質はまったく変わってないようだ
なぜシャープかというと 唯一アナログのピン端子(RCAジャック)が付いていたからだ もちろん私はブラウン管TVを使っている

郵便局の店名が番号になった 以前から金融機関の店番号というものはあったが そうではなく漢数字が店名になったのだ つまり〇一二ならば店名はカタカナで「ゼロイチニ」だ 従来の「○○郵便局」では受け付けてくれない そしてATMの操作画面にその説明はいっさいない ATMの前で戸惑っている人を何人も見た
郵政民営化っていったい何だったんだろう 体質ぜんぜん変わってない気がします

国鉄の多機能自動発券機 めちゃくちゃ使いにくい 操作を間違えさせるように作ってあるんだろうか お客様の使い勝手なんかまるで考えてない
おかげで現場は大変だ 客からクレームが殺到するから 一台ずつ係員を張り付けなければならない 客も迷惑 従業員もよけいな手間がかかる 国鉄の体質丸出しだが 改める気なんかまるでないようだ

どっちも理由は分かっている 業者に丸投げしてシステムを作ったからだ 業者はシステムを構築すればいいのだから 自分たちの作業性が第一だ
彼らにとって客は 発注者の郵便局や国鉄であって利用者じゃないのだ 別にわざと使いにくくしたわけじゃなかろう
たぶん運用も業者に丸投げだろうから 利用者や現場職員の声はどこにも届かない 問題点がフィードバックされる可能性はゼロだ

「ユーザーエクスペリエンス」へ続く

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これが外交・宣伝というもの

小沢一郎率いる100人を超える政権与党の民主党国会議員団が 胡錦濤に臣下としてお目見えの挨拶に行ったこと さらには国際的な慣習を横紙破りし 習近平を天皇陛下に拝謁させたこと これらの映像はすべて世界に発信されました(おそらく中国に跪く日本というキャプションを付けて)
そして尖閣諸島の領海侵犯 すべてが一直線につながっています 周到な準備と計画のもと行われた外交政策です 唯一計算違いが海上保安庁の憂国の士によるビデオ映像公開でした 仙谷由人を通じて揉み消そうとしたのは 映像の影響力が大きいことをよく知っているからです

たぶん小沢一郎は何の悪意も持たず 中国に言いつけられてやっただけだと思います 尾崎秀実ほどの信念で国を売ったわけでなく 規範となる理念・精神に欠けるため ただ功利のみで動いているのです(金をもらっていたかどうかまでは分かりません 師匠の金丸は金の延べ棒を金庫に隠していましたが)
元を糾せば 外交というものをまったく理解できない田舎者の田中角栄が 功を焦って日中国交という餌に飛びついたことから始まります 金丸信・小沢一郎もその頃から取り込まれていたのでしょう
一部新聞・社会党・日教組は文化大革命の前から中国の走狗(当人たちは善意)です 在中国大使館の外務省職員がエージェントに仕立てられていたのも記憶に新しいこと

これが外交・宣伝というものです 労働組合が支配する民主党サンジカリズム政権の時とはいえ 日本からすり寄っていって媚を売っているのですから 世界から見れば中国の方に正当性があることになってしまいます この事実を今さら取り消すことはできません
とくに天皇陛下に対して 習近平がふんぞり返って握手している図は 世界に向けた演出です 日本人は意識してませんが 国際的にこれは外交上きわめて重要です

世界の王族が一堂に会する時は天皇陛下が上座になります 我が皇室がもっとも古い伝統を持つからです ハイレセラシエ皇帝が廃されるまではエチオピア(ソロモン王朝)の皇統が世界最古でした(万世一系で継承されるところに意義があります)
外交は100年・200年先を見通してやることです さらに千年・二千年の歴史を背負っているのです 中国はあの写真一枚がどれだけ効果的か ちゃんと計算しています 中国が天皇陛下を政治利用しているのです
2016年5月14日追記=エリザベス女王が習近平・中国外交の無礼さを咎め叱責しました さすがイギリスきちんと世界にメッセージを配信します 通常このような発言はフィリップ殿下が担うと聞きます 習近平よほどの許しがたい非礼を働いたのでしょう やはり王室の権威を利用しようとしたのか 身の程を弁えない横柄な態度だったことは想像に難くない)
2023年5月9日追記=この度のチャールズ国王戴冠式に 天皇陛下が臨席されず 秋篠宮が名代で行ったのは 国際的な王族外交の序列に倣ったことです 我が皇統が世界で最も尊いとされているのです)

官僚・政治家は先の昭和大戦(大東亜戦争+太平洋戦争)開戦と敗戦の責任を取っていません 戦後処理も曖昧なまま朝鮮特需などと浮かれる始末です
責任を取るどころか 満州国に深く関わっていた官僚の岸信介は 小狡く立ち回り総理大臣にまでなりました 敗戦後自決を遂げられた甘粕正彦氏と対蹠をなす浅ましい姿です

きちんとやるべきことを行われたのは 昭和天皇お一人です 終戦の詔勅を発し 御自らマッカーサー司令官と会見し(国際的に見て実に意義ある外交です) 人間天皇宣言され 全国を行幸あそばしました 広大無辺の大御心 畏ききわみです
日本の外交の姿は 尊皇制覇であらねばなりません 国の尊厳は国民の精神に宿ります

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鯨を食べることは日本の食文化か

古来より日本人は鯨を食料としていました 食べ物のことで 他の国にとやかく言われる筋合いはありません ただし鯨を食するのが文化だといっても クジラベーコンや大和煮缶詰 竜田揚げではあまり説得力がありません
代用食や学校給食のイメージしかないので 食文化というのなら せめてクジラ汁を例にとらなければならないでしょう

江戸では12月13日の煤払い後に クジラ汁をすする習慣がありました

 江戸中で 五六匹喰う 十三日
 大名も 切り売りを買う 塩鯨

江戸時代の歳末は煤を払うだけでなく 年2回あった支払いの日です その日暮らしの者は掛け取りに追われ あるいは金策に走って一日が過ぎます
追われる者も追う掛け取り人も 除夜の鐘を聞く頃にやっと一息ついて 夜鳴き蕎麦[01] … Continue readingを啜りながら正月を迎える(大晦日に払わなければそれで済むということはなく 正月七日が過ぎれば残債の回収をしたようです) 
除夜の鐘が鳴るまで逃げ隠れする人はさておいて 商店では年末の支払いに来る人たちにクジラ汁をふるまっていました 半年分の金子だけでなく何がしかの品物を携えてきますからそのお返しです 昭和に入るまでこの風習は残ります

 鯨汁 喰うてしまえば 暇乞い

「日本永代蔵」に皮鯨の吸物のことが書かれています これは正月七日の設定で クジラ汁か雑煮をふるまってもらえるかもと推量する内容です(汁といった場合は飯 吸物は酒のときで 同じものです) 必ずしも年末だけのものではなかったのです
この話の舞台は京都ですから クジラ汁を食べるのは全国的なものであったのです おのずと鯨肉の消費量は多かったと思われます
クジラ汁そのものは もともと夏季の料理でした もしかしたら お盆の掛け取りの時にふるまっていて 歳末にも持ち込まれたのでしょうか
また江戸時代初期の料理書でクジラ汁の項は 妻として「ごぼう」「大根」のほか「茎立ち」「タケノコ」「茗荷」となっています とくに季節は限られていないようです

井原西鶴は市井の様々な生活を活写しています これが広く読まれ好まれたのは 皆が「なるほど、こんなことはありそうだ」と納得する内容だったからでしょう 想像力だけでなく 取材が行き届いているのです
となれば江戸時代庶民の生活を そのまま表していることになります 西鶴作品に取り上げてあれば 鯨料理は立派に日本伝統の食文化といえます
ほかにも蕪骨といわれる軟骨を吸い物にした料理があったようですが ほとんど廃れてしまいました クジラ汁も今はあまり行われなくなった食の風物詩です

註釈

註釈
01 なにか色々理屈をつけてますが 大晦日に蕎麦切りを食べる風習は この掛け取りに象徴される忙しさから来たと思います 夜鳴き蕎麦は蕎麦粉8割小麦粉2割のいわゆる二八蕎麦で あらかじめ茹でた玉をかけ汁で温める 簡易で安価なかけ蕎麦です ザルだのモリだのは高級品でツナギのない生粉打ち(生蕎麦)です
以前「乾麺の十割蕎麦」なる奇妙なものをいただいたことがあります 茹でて食べてみると最悪の食感でした 味もひどいものです かなりの値段だったのでしょうが 昔は十割蕎麦なんて言葉はなかったように思います 生蕎麦と書いてある店はツナギを使わなかったものです
江戸・信州に限らず各地に色々うまい蕎麦があります なかで越後のへぎ蕎麦は ツナギに布海苔を用いる独特のものです 茹でて水に放したあと水切りしないで 一口大にまとめた蕎麦をヘギと呼ばれる箱の簀子に並べます これは蒸籠やザルと違い 蕎麦から滴る水を受けるための工夫です
盛り付け・見た目も食感・味ともに 生粉打ちや二八蕎麦とはかなり異なり 別の食べ物といっていいかもしれません 布海苔ツナギの蕎麦は伸びやすく温かい汁そばには向きません へぎ蕎麦を酒と共にいただくのを蕎麦肴といいます 食中酒などと言われる前から こういった飲み方はありました
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