どのような制度が最善かは言えない アメリカの上院議員は人口に関係なく各州2名ずつが定数 下院議員は人口比例で選出されるが いかに人口が少なくても1州で1名は選出される アメリカで1票の平等などという屁理屈は聞かれない(州の人口比は最大で約60倍)
その上アメリカの人口は日本の倍以上なのに 連邦議会の議員数は日本の国会より少ない 1票の格差とやらの戯言(たわごと)に習えば 日本の1票はアメリカの3分の1の価値しかないわけだ
(※2019年2月16日追記=2月24日に予定されている 沖縄の県民投票は「賛成」「反対」「どちらでもない」の3者択一なのだそうです 愚劣極まりない 「どうでもいい」人がわざわざ投票することないのを見越してですね
日本で世論調査などのアンケートをとると 賛成20%・反対20%・どちらでもない60%の結果になったりします 案外「どうでもいい」が過半数だったり?)
「プラトンが神はつねに幾何学をやっていると言っているのはどういう意味か」
リュクルゴスはスパルタから算術的比例という考え方を追放した。民主主義的、民主迎合的だからという次第だ。そしてそのかわりに導入したのが、中庸を得た寡頭制あるいは法を順守する王制にふさわしいというので、幾何学的比例だ。算術的比例は各員に同数を分配するのに対して、幾何学的比例はおのおのの価値に応じて比率を定めて分配するのだ。これは猫も杓子もすべてを同じ割合で混ぜたりはしない。良いものと悪いものをはっきり区別する。各人が自分のものとして分け前を受けるにも、決して秤や籤で決めるのではなく、各人の優劣の差に応じて受ける。神様が我々の行為を判定なさる時もこの比例をお使いになる、そしてそれが正義とか罰というものなんだな、テュンダレス君。そしてその正義は我々にむかって、正義は等しい(公正な)ものだが、等しいことが正しいと考えてはならぬ、と語りかけ教えているのだ。民衆が求めている平等というのは、あらゆる不正の中で最悪の不正であり、神はできるだけそれを召し上げようとなさる。が一方で神様は、価値によっての区別は守り通される。幾何学的比例に従い、それを法にかなった尺度とお決めになってね。
……(中略)…… 神の宇宙創造にしても、もとは無限定であった素材に限界を与えるという仕方以外で行われたわけではない。……(中略)…… 人々が無限と呼んだのは、大きさや数の点においてではなく、素材が無秩序・無調和という状態にあったことなのだ。というのは、形とか配列とかいうのは、すべて形を与えられ配列させられるものにとっては限界を与えられることで、もしこのように限界を与えられなかったら、それらのものは、それ自身では形もなく配列されてもいないものだからだ。……(中略)…… 素材は絶えずもとの無限定に逆戻りしようとしてあがき、幾何学的に秩序づけられるのを逃れようとするが、理性がそれをとらえ、線で囲み、形や性質の相場に応じて分け、それがありとあらゆるものの発生と構成ということになっていく。
……(中略)…… そして素材は物の中で最も無秩序なもの、形相は思惟される図形の中で最も美しいもの、神は原因の中で最も善なるものだ。神の思し召しでは、できるかぎり、手を触れずに無限定のまま放置されるものがないようにし、比例と尺度と数によって、自然を秩序あるものにならせる、そして何らかの形相的なものと何がしかの物質を持っているあらゆるものから、一つの統一されたるものを造る、そういうことになっていた。かくて神はこういう問題をみずからに課せられると、素材と形相というものはすでにあるので、三番目のものとして物質に等しく形相に相似であるもの、すなわち宇宙を造りたまい、これをたえず見守っていらっしゃる。
(食卓歓談集_プルタルコス_柳沼重剛_岩波文庫より)
一見レトリックですが 宇宙や自然に神の意志を感じることが宗教の始まりです 科学なんてしょせん後理屈にすぎません 理屈を捏ね回しても自家撞着に陥るばかり 真実は神に委ねるしかないかもしれない
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