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情報心理戦とマーケティングの戦理・戦略・戦術・戦技 投稿

原子力発電

科学的という名の宗教 科学的社会主義の申し子 そして素朴な科学崇拝・進歩幻想の極みが「鉄腕アトム」放映と「万博」開催だった 同時期に日本の商用原発が稼働し始めたのはけして偶然ではないだろう
原子力の平和利用で明るい未来という美名の下に 原発に反対するなら その科学的根拠を示せという言い方も同じ土壌にある
アメリカの核兵器は人道的に許せないが ソ連の核兵器は自衛のためだと言いふらす連中がいた 原子力の平和利用も同じ文脈だ

原子力潜水艦や原子力空母は実用化されている 小型の原子炉なら通常の運用ではとくに問題ないのだろう オスプレイを見て分かるように 軍事技術はもともと安全性を第一義に考えてはいない
原子爆弾・核兵器も完成された技術だ なぜなら後始末を考えなくてよいから 放射性物質が拡散するといえ 核爆発を起こしてしまえば それで終わりなのだ 兵器としての役割は充分果たしたわけだ 東洋人で唯一欧米列強に対抗しようとした 異教徒である日本に使われた

その熱エネルギーを少しずつ小出しにしようというのが 原子力発電だ 原子炉は爆発することを前提に作っていない だから未来永劫 放射線は出続ける 大量の燃え残りをどう始末するか(真の意味で廃炉にする)方法はない 核兵器より始末が悪い実に無責任なことだ
ほとんどの場合 安全の確率は99パーセントで許される しかし こと原発に関しては100パーセント完璧な安全が求められる 事故が起きたときの影響が大きすぎるから
もともと核技術は兵器として開発されたものなのだから 核兵器や原子力空母 原子力潜水艦にとどめておけばよかったのだ 平和利用なんてまやかしに過ぎない

火の付け方は分かったが 火力調整も消し方も考えないままに使い始めた 燃え尽くすまで数万年かかるという もはや設備としての寿命や耐用年数といったレベルではない 40年使ってそれから後は修理しながら使う? これのどこが安全対策なのだ
最終処分の方法がない以上 原子力発電は不完全な技術だ それどころか 通常の運用でも 日本の原発技術で安全性は確保されていない 活断層があるとかないとかは 全然関係ない問題だ

柏崎刈羽原発も 中越沖地震で放射能漏れがあった しかも冷却用電源の変圧器が火災を起こしている 地震の規模が比較的小さく津波が起きなかったから 重大事故にならなかっただけ 単なる僥倖である
日本にある原発すべてが福島になる可能性を持っている 事故が起きなければ大丈夫? 自然災害がなければ事故は起きない? とんでもない 東海村・美浜・もんじゅ いくらでも重大な事故(みな人災)が起きている 死者も出ている

再稼働反対は問題の解決にならない 使用済み核燃料がむき出しになり むしろ危険なくらいだ すべての原発を廃炉にする以外ない そうしても使用済み核燃料は残る 問題を先送りにすることで もはや手を付けられないところまで来ているのだ
公共の利益のためといい 官僚があらゆる利害関係を調整することにより 誰も責任を取らず制御することもかなわない 巨大な怪物(カオナシ)ができあがる カオナシは黄金を振りまきつつ ひたすら肥大してゆく

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王道・覇道、正道・邪道

道理

「王道」とは王たるものの執り行なうべき道のことであります 徳政を言います 対極にあるのが「覇道」 すなわち力による圧政です 道すなわち道理であります
「学問に王道なし」と唱えたのは古代ギリシャの賢人といわれます この「王道」は 王様だけが特権として使える 近道・早道・抜け道のことをいいます 筋の立たぬ無理です

道理にかなわぬ無理は「覇道」であり「邪道」です
正邪というように「邪道」の対義語は「正道」であります また「大道」ともいい 人の踏むべき正しい道筋のことであります 王道とは言いません

筋道

昭和の中頃まで 通りの真ん中は歩かない筋者(侠客)がおりました 律儀に道の端(家の軒下と電柱の間 犬走り)を拾うのです まだ渡世人の矜恃が残っていました[01] … Continue reading
その昔 博徒等は表を歩くとき 手拭また袖で顔を被っていたと聞きます お天道様に顔向けできない身の上との自覚でありましょう 切られ与三の姿です

渡世人には稼業人と遊び人がありました 稼業人はいわゆる的屋さん(露天商)のことです 遊び人は博徒ですね どちらも市井で暮らす生業(渡世)を持ちます 侠客といわれる人たちは他にもあって 中間や町火消また沖仲仕などです[02] … Continue reading

昭和大戦の後で蔓延した暴力団・愚連隊等は 侠客・渡世人とは全く異なる連中です 江戸でいえば 町奴を束ねた幡随院長兵衛と対立した 旗本奴の水野十郎左衛門のような ならず者・ごろつきです 道に外れた外道と呼びます[03] … Continue reading
第三国人が多くを占めていた この者どもは裏街道や道端どころか 徒党を組んで往来の真ん中を我物顔に押し通ります 占領軍の不良兵から横流しの品物を闇市で売ってましたから 戦勝国の者だと肩で風切って歩く与太者でした

江戸では堅気の人も 往来を歩く時は羽織の袖に手先を隠したようです これは落語の所作に残っています 商人は前垂れの下に両手を入れておりました 武家は袖で大刀の柄を覆って歩きます 懐手をしているのは浪人でしょうか
大通りを大手を振って歩くのは 端ないこと半端者のすることであったのです

註釈

註釈
01 有名な侠客としては 江戸開城で勝海舟に協力した 鳶(町火消し)の親方 新門辰五郎 会津藩中間頭だった会津小鉄は 不逞浪士の情報提供などで新選組に協力しています 共に市井の人々が内乱に巻き込まれることを防いだ 義侠に生きる人物です
02 フーテンの寅さんが冠婚葬祭で仕切ろうとするシーンがあります あれはお節介ではなくテキヤさんの仕事なのです テキヤさんは縁日の境内で商売します 社寺を疎かにしては成り立たちません 稼業の允可は聖徳太子からいただいたと言い 礼節を通すため古来からの仕来りや作法を伝えています 今でも盃事の媒酌人はテキヤさんです
03 飯岡助五郎と笹川繁蔵の大利根河原大出入りで 死んだのは平手造酒のモデルだった浪人一人のみだそうです 博徒同士の揉め事があっても 最終的には顔役というか所の長老格が取り持って 盃を交わし手打ちするのが決まりでした 暴力団の抗争とは違います
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ブランドは焼きゴテ、ブランディングの意味

コーポレート・ブランディングとは企業イメージを設定・構築することです
イメージ構築は社是・社訓みたいな抽象的な言語化だけでは 容易に受け入れてもらえません 企業理念の言語化に加えて視覚化が必要です 言語化+視覚化の最初はロゴとマークになります

ブランディングアイアン(branding iron)という言葉をご存知でしょうか 焼印用のコテです 身近に見かける焼印はカマボコ板やどら焼きにありますが branding iron となると西部劇なんかに出てくる 牛の所有者を表す焼印用コテです brandという言葉自体 焼印を捺した牛のことだそうです(日本でブランド牛というと だいたい霜降りの牛肉です
牛に焼印(ロゴ・マーク)を捺すことで所有者を示す すなわちこれがブランディングです 差別化とか付加価値をつけるというのとは全く違う いわば出自を明らかにするために行うことです

ではスローガンやキャッチフレーズ ロゴやマークを作ったりリニューアルすれば、ブランディングは完了か 企業・商品の場合 そんな簡単なことでないのは誰も分かっている 牛に捺す焼印じゃないのだから 中国や韓国のパクリ商品は牛泥棒みたいなものです

企業イメージを構築するのはとても難しい 時間もかかります その辺が昔流行ったCIとは異なる施策です(CIは5年しか効果がないものだ とか言い訳してましたね)
いちばん大切なのは経営者のぶれない信念です 経営理念を明らかにし 社内に浸透させ社員が体現し(まずは社内の意識を統一すること) さらにお客様にもご理解いただくのが コーポレート・ブランディングです

通販に見るブランディングの事例

「ジャパネットたかた」さんが低迷しています これはブランディングの失敗だと思います 高田社長のキャラクターが立ち過ぎました 会社のイメージを創造することができなかったのではないか
TV通販に注力し過ぎ インターネット通販に出遅れたからという説がもっぱらですが そうばかりとも言えないでしょう

e-コマースの代表 アマゾンの創業CEOジェフ・ベゾスは マスコミ嫌いらしく ほとんどメディアに露出することはありません(高田社長と正反対です) その辺がTV向きとインターネット向きのキャラクターの違いでしょうか

しかしポリシーはアマゾン社内に行き渡っていて たとえばオフィスで使うデスクは 古いドアを再利用するのが伝統だといいます 変わった形の視覚化ですが商売人ですね  吝(しわ)いことは商人の美徳といえます
アマゾンでは《リーンカルチャー》といっているそうです カルチャーですよ 社内文化こそがブランディングの始まりです 企業文化という言葉はよく聞きますが コントロールできているところは非常に少ないと思います

その外にも本社ビルの呼び名をアマゾン最初の顧客名にしたり コーヒー好きなCEOの影響で本社内はいたるところ シアトルコーヒーの香りが漂っているとか 視覚化どころか嗅覚まで アマゾンはベゾスカラー一色です
これは計算されたブランディングではないでしょうか 繰り返しますがブランディングの第一歩はまず社内からです

高田社長自らが インフォマーシャル・スタイルで売っていた初期の頃から 私は注目していましたし好きでした 当時すでに今のマスコット(ユルキャラっぽい社長)を使っていたような気がします
ジャパネットたかたは 今や一千億円を超える売り上げを誇る大企業ですから 企業経営はシステム化されていると思います 社長の信念がどれほど社内に行き渡っているか 外部からでは分かりません でも社長のキャラに圧倒されているように見えます

取扱商品の幅を広げても 若手を育てても 高田社長の代わりはできないでしょう まさか社長キャラの着ぐるみで売るわけにいかないし あの甲高い声で機関銃のようにまくしたてるのも真似できません

「ジャパネットたかた」はインフォマーシャルで売るTV通販(無店舗販売)です 対して「アマゾン」はホームページが店舗のカタログショッピングです 別に「ジャパネットたかた」がインターネットに出遅れたとか 対応できなかったわけではなく 業態が最初から違います アマゾンは厳密にいうと通販ではありません ビジネスモデルとしては完全に物流業 インターネットを使ったロジスティクスこそがアマゾンの本質です

通販において 社名やロゴはさほど重要ではないとされていました プリント媒体でいちばんでかく書いたり 電波媒体でしつこく連呼するのは 電話番号というのがセオリーでした
日本の通販では ブランディングなど ほとんど考慮されていなかったのです その中でジャパネットたかたは異彩を放っていました しかしブランディングという観念ではなかった

マスメディアを使って広告していた頃はそれでよかった インターネットのユーザーはTVのオーディエンスと違いますから 単なる一方的な情報の受け手ではありません 主体的な行動をとる人たちです 真摯なイメージ構築が求められます
いくら視覚化が大事だといっても ユルキャラでブランディングはできません

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