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カテゴリー: 日本の伝統・本流

幕の内弁当は物相飯

弁当

崎陽軒のシウマイ弁当は 幕内弁当のあるべき姿を守っています まず器が経木であること ほどよく食材の水分を吸い ベタつきもせずパサパサにもなりません
そしてご飯(米)の美味しさ これは最も大切なこと 弁当ですから冷めたところで よい具合に炊いているのです おかずは全て濃い味付けになっています 量が多めのご飯と相まって弁当らしい味わいです
もちろんご飯は正しく物相飯です ご飯を俵型に押しているので 固く詰まっています 昨今の弁当のようにふんわりと盛り付けてはいない[01] … Continue reading 割り箸が折れないよう気を付けて食べなければいけません
日本橋弁松も濃い味付けの弁当を作っています こちらは折詰弁当で幕内弁当ではありません したがって物相飯じゃない 祝い事の仕出しに使われることが多いため 紅白(白飯と赤飯)の飯があります[02] … Continue reading
本来の幕内弁当も折詰弁当も 冷めた状態で美味しくいただけるよう作っているので くれぐれも電子レンジで温めないように 弁当を温めるのはコンビニから始まったのでしょうか その前に魔法瓶式の弁当箱というのもありました[03] … Continue reading

物相

物相飯(もっそうめし)は型に詰めたご飯のことを言います 辞書などで牢屋の飯と書いてありますが正確ではない[04] … Continue reading もともとは仏前に供える飯です 仏飯器に半球や円筒の盛り切りにします とくに浄土真宗では形や詰め方にうるさい決まりがあるようです

軍歌で ♪・・・仏様でもあるまいに一膳飯とは情けなや♪ という一節があります

幕内弁当はその名の通り 芝居の幕間に食べるものです 物相飯なのは芝居小屋の桟敷で 一口ずつ食べやすいようにとの配慮です 会席料理などで花型とか 様々な物の相を型どった飯が出ることがあります これは盛り付けのうちですね
牢屋のご飯は量が平等になるよう平らに詰めます これを型抜きの物相飯のようだと 囚人たちが洒落て言ったのが始まりです いわゆる刑務所の臭いメシ(麦飯)は アルマイトの食器で食う飯と言ったりします

先ほどの軍歌の前節は ♪金のお碗に竹の箸・・・♪ です

註釈

註釈
01 温かいお握りを供する店があり 評判を呼んでいるとか 理由がわからん 握るときは炊きたてでなければいけないが 握りたてを食べるもんじゃ無かろうと思います 握り飯は携行のためですから 手で持ったとき崩れるような フンワリではいけません
落としたらコロコロ転がるほどでないと お結びコロリンとはならない また海苔は時間が経ってシットリしたほうが美味い パリパリはよろしくない(好みに過ぎませんが) 海苔弁の海苔がパリパリだったら ずいぶんと食べ辛いと思います
孤独のグルメで新潟県の十日町に行ったとき 井の頭五郎が持ち帰りで塩結びを頼んでいました この時セリフは塩握りと言ってました 別にいいんですが 塩結びに味噌握りじゃないかな 正解はないんで殊更な呟きにすぎません
02 新潟県は仏事の際に醤油おこわを炊きます 他の地方では白おこわだそうです 小豆やササゲは使わず 醤油おこわは金時豆 白おこわは黒豆を入れます
03 ほっかほか亭はその名通り温かい弁当が売り物でした 海苔弁にフランチャイジー独自の豚汁を食べた時 美味いと思いました 豚汁は気取ったものじゃないから ある程度の量を作らないと難しい 薄い切り身の塩ジャケと白身魚のフライ チクワの磯辺揚げにキンピラゴボウが御菜だったかな 温かい汁が弁当によく合ったものです
04 歴史学などと同じく辞書の編集は文献主義です 何十万項目の言葉をいちいちフィールドワークで検証することはできません 編纂者は牢屋に繋がれたことがないから やむを得ないことでしょう そうして考えれば 民俗学の柳田國男や金田一京助の業績が偉大なことだと分かります
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からごころ やまとごころ

中国人は何事も秩序立て 整然と体系化する傾向があるように思います しかも数字合わせをします 陰陽五行論や儒学の三綱五常なんかそうでしょう この考え方は日本にも影響しています 三大〇〇とかはそれなんじゃないか[01] … Continue reading
整理するのはいいんですが 観念的な理論が先行するようになり 教条主義に陥ってしまいます これが本居宣長の言う「漢意(からごころ)」でないですか 誰か偉い人が決めたことを絶対視し 一つの価値観に拘泥 他の考え方を排除するのです[02] … Continue reading

官の漢意

とくに徳川綱吉の代に武家の心得として朱子学が採用されました 家父長制・長幼の序・男女差別が典型的な儒学の理屈です いずれも旗本・家中を支配・管理するのに都合がいい この倫理観に対して疑問を挟んではいけません 天性つまり天から与えられた性質であって 生まれつきのものだからです
徳川時代では原則的に 武家の倫理規範としての朱子学です 町人にまで強要していません 江戸でハリボテの人形を胸に抱いて 老人を背負うような格好をし「親孝行でござい」の呼び声で 街を流す商売がありました ふざけた話ですが収入になったそうです[03] … Continue reading

儒学の教えによる孝子顕彰の制は広く行われていました 綱吉の代には盛んに褒美を下すようになりました そんな官製の忠孝礼賛に対して反感を抱く庶民がいたのです 健全な感覚だと思います
親孝行自体は悪いことではない でも誰も否定できない正義を振りかざす 取って付けた態とらしさに違和感を覚える 親孝行屋に銭を恵むのは江戸庶民の洒落心ですね そこに目を付けたのも 公然と批判できない屈折した心理です

徳川の施政を非難して 薩長を中心とした勢力が暴力革命で政権を握りました 明治維新です 徳川時代を否定し新時代を演出するため 明治政府は王政復古を掲げました しかしそれは標語や形だけ 大和心ではありません
教育勅語を見れば 内容は儒学そのものです たとえば根幹をなす「忠」も「考」も和語(訓読み)がありません[04] … Continue reading 実際に書いたのは誰か知りませんが 御名御璽のある勅語ですから 明治天皇も内容を了承しているわけです 徳川の朱子学は かくまで武家(維新の元勲とやらはほとんど下士ですが)を洗脳していたのです

江戸時代は征夷大将軍が武家の頂点として統治していました いわば軍政です 武家は軍隊なので上意下達の組織 もっとも重視される心掛けは忠義・報恩です 儒学の規範が実に制度にふさわしい ただし武家以外の人たちには関係のない話でした 農家と武家[05] … Continue reading以外は御家大事なんて感覚はなく 己の才覚で自立していました
徳川が朱子学を取り入れたのは 旧来の制度を否定するためで 舶来崇拝の文明開化だったといえます それまでの日本は家父長制ではなく母系社会です さらに明治時代になると 天皇陛下を父として国民は赤子であると 家父長制を拡大解釈するようになります
明治の教育制度に四書五経は含まれませんが「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず」なんてエピソードは書いてあります 四民平等の掛け声とは裏腹に 徳川時代より極端な儒教国家になってしまったのです[06] … Continue reading

儒学に基づく政治は専制君主です 為政者に都合のいい理屈の儒学も そのことは自覚していて 支配する者に高い徳を求めます しかし現実はそんなにうまくいかない 中国の皇帝は ほとんどが暴君だったり 人心掌握術に巧みな人物です
明治維新のきっかけになったのは 本居宣長の国学の影響が大きかったと思います でもかなりラディカルな思想ですから そのまま明治政府の施政に持ってくることはできません やはり朱子学は統治するのに都合がいいのです
しかしながら明治政府はこれを 為政者や官僚でなく国民に強要しました 武家だけであった軍事の担い手を国民全員に拡大したのです(長州の奇兵隊が原型かもしれません) 日本の徴兵制・国民皆兵は儒学によって裏付けられていました 漢意極まれり[07] … Continue reading

民の大和心

大化の改新時には神道が国民精神の根幹にあり 仏教と隋・唐に倣った政治制度が補完する形でした 神道・仏教・儒学はそれぞれに並立していました 明治維新の時は西洋の政治経済制度を取り入れ 王政復古の建前からでしょうか仏教を否定しました しかし王政復古は名ばかり儒学の理屈が色濃く残ったのです 全てを受け入れるのが大和心 他方を拒否するのは漢意です
明治政府は西洋の制度(文化・文明)がキリスト教を規範としていることを見抜けませんでした 薩長の下士にそんな教養はなかったのかもしれません 儒学の弊害に気付くことなく仏教まで廃すれば 精神の拠り所を失ってしまいます[08] … Continue reading
私見ですが キリスト教と儒学は共通点があり 神道と仏教は親和性があるように思います 日本ではいずれも融和しがちです 庶民は上辺で廃仏毀釈に従ったが ここでも健全な判断力をもって 仏教の教えを捨てなかったのが幸いでした 敬神崇仏で何の矛盾もない 庶民にこそ大和心があった[09] … Continue reading

原初の神道は国の成り立ちを神話を通じて説く いわば日本人の習俗・慣習のようなものです 教義も何もないが「魏志倭人伝」に描かれる日御子の姿が伝えています[10] … Continue reading 「惟神の道」という言葉は宗教以前の根源的な道の意です
八百万の神々が対等の大和心は 漢意の対極にあり一神教の教義とも相容れない 朱子学の皇帝に天皇陛下をなぞらえたり 西洋の王制政治を取り入れて 世俗の権力と同等に扱ってはいけません 神道(皇統)は政治制度でも宗教でもないのです 日本の成り立ちは悠久の神話の国です

日御子が国をまとめたのは 武力でも政治でもなく権威によります[11] … Continue reading 天照大神の子孫であるから天皇陛下です 日本の国体は天皇陛下の権威を中心とせねばなりません キリスト教国の拠って立つ権威も聖書や教会が齎します
薩長明治政府は天皇陛下を政治利用し 今でも続いています その上にマッカーサーGHQが 日本の歴史そのものを否定しました 現行憲法前文で唱う人類普遍の真理とは神の教えのことです

明治憲法のように統治権を総覧するとか 現行憲法がいう国の象徴ではない 総覧では主権の在り処が規定されず 象徴ということは国が主体で天皇陛下は表象に過ぎない
権威は政治制度や法律で決めることでありません キリスト教国の権威は神から与えられ 神道では2000年を超える皇統こそが権威です 天皇陛下は皇統に基づく権威なのです

註釈

註釈
01 儒学(儒教)の影響は今の時代にも残っています 旗本で禄を喰んでいるわけでもないのに家を継ぐとか 養子で入った婚家じゃないのに親元を実家と言ったり 結婚しても家名が変わるのは嫌だから旧姓のままでいたいとか すべて家父長制からくる家制度の陋習に囚われているのです
挙げ句の果てに将軍家とか天皇家なんて新聞でも書いています 征夷大将軍は一代限り世襲制じゃない ましてや天皇陛下と家制度は全く関係ないこと 江戸時代にそんな言い方はもちろんなかった 明治の頃でも朝廷・皇室とはいっても 天皇家なんて言わなかったんじゃないか 家族・家庭という意味で天皇ご一家までは許容範囲でしょうか
02 上代の大和ことばに抽象的な概念を表す言葉があったかどうか分かりません 漢字を組み合わせることにより便利に新語が作られたことは事実です その反面失われた大和言葉がたくさんあっただろうと思います
仁・義・礼・智・信は中国人の持つ抽象概念です 天・地もそうです もともと大和言葉にはなく 日本人の規範にはそぐわない概念 すなわち漢意なのです また仏教にもそんな概念はなく言葉もありません
03 世に孔孟と言いますが 孔子の教えは本来 謙虚なものだったのではないか 「学而時習之 不亦説乎」 学ぶは師に真似ぶ心 習うは己の修養です 師弟・親子・長幼の序は 学び習う年月の差なのです
孔子の玄孫弟子である孟子は 君臣だけでなく親子や職業さえも 階級秩序として規定しました こうして礼が秩序を維持するための 単なる形式・権威主義となっていきます 勉強し官職に就き出世して 栄耀栄華を極めるのが人生の目的です 秩序には礼が一番大事 徳が必要なのは支配者だけ
中国の葬儀は派手で豪勢です これは孟子の唱えた「君子不以天下倹其親」から来ているようです 自分は親孝行なんだと世間に宣揚するため 大金を使って葬礼を執り行う 拝金主義の中国人の感覚です
04 江戸時代の寺子屋は 子供の個性を伸ばす自由な教育の場でした むろん男女の差別などありません 読み書きそろばんが基本 大人になり仕事をする上で困らないだけの 教養を身につけます 論語読みの論語知らずという言葉があるように 儒者は書物の知識のみで役に立たない者と見られました
しかし明治の教育制度は 官製の画一的な価値観の鋳型に当てはめるもの 修身などは大学(四書)八条目の一つです 批判精神を摘み取り従順な羊の群れを作り出す そして忠良な官僚(牧羊犬)となって出世するのが良しとされます 西洋制度を取り入れているものの それは江戸後期に儒者が蘭学者に転向したことと同じです
05 弥生時代に水稲米の栽培が広がり 土地と水利をめぐる争いが起きるようになります すなわち武装した農民が武士の始まりです 戦国時代も結局は田圃の取り合いです(合戦だけでなく苅働き・焼働きも戦でした) 争いが終結し豊臣秀吉の太閤検地と刀狩で 武家と農家の役割が固定されました 日本の歴史で農奴などありません
06 西洋社会の貴族は王のもと軍事を担う役割です 日本の武家と同じく戦費は自己負担です 領地経営と戦に備えるためには 長男が全てを統率する必要があります すなわちヨーロッパも家父長制なのです 脱亜入欧とは裏腹に儒学と共通点がある気がします
07 八紘一宇に至っては 世界は一家人類みな兄弟という空疎な論です 一宇(一つの屋根で覆う)とは一つの価値観しか認めないということ 世界国家論とか父なる神といった考えに影響されたように思えます
昭和大戦中に八紘一宇を唱えたのは近衛内閣であり 軍部が推進したなどは捏造報道(情報)です
08 幾多の皇子・皇女が門跡として寺院に入られています 神道だの仏教だのと分け隔ることなく 何のわだかまりも持たないのが 上つ方から下々まで大様な日本の心です 狭量なのは地位と役得に汲々とする官のみ
09 お引けえなすってと仁義を切る 義理と人情の板挟み 庶民は漢語のもとの意味を軽く飛び越え 日本流にアレンジしました じつに融通無碍とらわれることがない これこそやまとごころでありましょう
10 記紀に描かれることは人間臭く 神話とは言い難いものもあります 卑弥呼(日御子)が登場しないのは不思議です 「魏志倭人伝」等が伝聞を記録したとはいえ 事実を隠す理由もありません 不確かながら史実を伝えていると見ていいかも知れない
11 北方・南方・大陸から渡ってきた人たちは それぞれの神を奉じていたでしょう やがて日本列島に定着集落を形成し 交易を通じて混血していきました 固有の神は国神・八百万神であり 日御子の導きに順い 氏神・鎮守の神となっていきます 武力に服属するのではない調和するのです 和をもって貴しとなすが吾国の習いです
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年の功より亀の甲

若年寄 老中 家老 江戸時代の役職名です 主君を補佐し実務を担当する役割です 老と付いても 老人がなるものではありません 働き盛りの仕事です
この老は年老いたという意味ではなく 研鑽を重ね経験を積んだ 確固たる判断力を持つ大人を表します 経験を重視した言葉ですから実年齢は関係ない

このごろ年寄役(大人)を演じられる俳優がいない気がします とくに重厚な役ができない 年を取った役者はいくらでもいるものの 人間の重みを感じられないのです 年齢相応の存在感がない 経験が身に付いてないのではと思います
老成といいますが ただ徒に年齢を重ねても 人間成長しません 東京物語で父親役をやったとき 笠智衆は二十代でした これは演技力でしょうか 演技力もなければ磊落とも飄逸とも違う 大人の風格を持たない役者なら 仕方ないことです[01] … Continue reading

鶴は千年亀は万年といえ 亀の偉さは長生きだからじゃない 兎と亀 努力を惜しまず我が道を行く堅実な生き方です 他人の生き方を真似しても始まらない 信念を曲げないことです 要領よく生きようとしない愚直な歩み 経験値で鎧おわれていきます
小狡い生き方は論外ですが 目端が利くだけの器用な世渡りはその場限り また慢心は油断を生みます 堅固に己を全うすれば 周りを気にしたり 世間を窺う必要もない

器量の大きさは様々でも 自ら築いた甲羅に応じて役に立つ 年数ではなくその人の生き方が経験値をもたらします
経験値といっても 実際は数値で表すことはできません 無形の甲羅の力です 経験もただ漫然と実務に携わって 職歴が長いだけで培われるわけじゃない[02] … Continue reading

実力が分からないから 学歴等で判断します(この風潮は現在でもあります 妙に年齢を気にするのも同じなのかもしれない) 老中などの役職は譜代から選ばれます 譜代は過去に功績のあった家ですから 一種の経歴ですね
一方で有能であれば家格の低い者が 重要な職に取り立てられる例もたくさんあります 平常時ではなく何か問題のあるときです また功績があっても一代限りがほとんどです 旧来の地位にいる者からの嫌がらせ・妨害も多かったようです

幕末に井伊直弼が大老になりました 井伊家は関ヶ原の戦い以来の名門です でも大した働きはできなかった これも名門である徳川斉昭との軋轢に終始していました(短慮なのは井伊の家系かもしれない?)
幕末で最も目覚ましい働きを見せたのは 小普請組(無役)の勝海舟だと思います 小栗上野介のような高級官僚能吏ではない 佐久間象山(縁戚)ほど怪異な人間とも違う 江戸の洒落っ気を装った ちょっと捉えどころのない人物です

役者だけでない 政治家も疑問符がつくような軽い人間ばかり 内憂外患いまの日本は非常時です 麻生太郎や森喜朗のような者共が跋扈しては 国に仇なします この国難を救う人物が現れないと 日本は滅びます

註釈

註釈
01 もうお年ですが 仲代達矢さんの存在感は凄味がありました つまらん映画に出ておられたことがありますが 仲代さんの出演シーンになると とたんに場面が引き締まるのです そのシーンだけが映画として成立していました 登場するだけで只ならぬ臨場感が漂う 何と言うかもはや演技を超越しています
02 先日のこと 高価な古酒を飲んでみました 濃醇ではなく仄かな熟成香が感じられます 年月でしか作れない捌けた枯淡の味わい しかし筋の通った峻厳な力強さは失っていません
保存状態の悪い古い吟醸酒を飲んだこともあります 老香と熟成香は紙一重です 老醜を晒すは嫌ですね せめて古酒ほどの存在感のある老人になれれば と思った次第です
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