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カテゴリー: 日本の伝統・本流

土偶は土鈴となったか

土偶と縄文の祈り

縄文時代に作られた土偶は その形状から妊婦を現していると思われます なぜ妊婦なのでしょう[01] … Continue reading

縄文時代に農耕はなかったとされます[02] … Continue reading しかし定住・共同生活していたことは確かです 山菜や自然薯が採れるのは一定の場所です 栽培しないとしても時季を見計らって収穫するものです 里山は手入を怠れば荒れ果ててしまいます これは現在も変わりません
縄文前期おそらく6000年前には陸稲が栽培されていました 豆・芋・雑穀類はそれ以上前から作られたはずです 水田がなかったといえ農耕が行われなかったとはいえない
(8000年前の縄文早期 すでに煮炊き用の炉〈竃〉が使われていました おそらく共同炊事場だったのではないでしょうか三重県埋蔵文化財センター 昭和初期頃までの農村風景と さほど変わらない生活が営まれていたのです)

採集であろうと農耕であろうと 木の実・草の実そして穀物は 春に芽吹き夏に花咲き秋に実り冬に枯れます 命あるものは誕生と死を繰り返します 縄文の人たち(ご先祖様)も生命の営みは皆同じと見ていたでしょう
豊かな実りを願って 種蒔き・雨乞いの祭りを執り行い 収穫された作物を捧げて感謝しました そして翌年に備え種を保存します このときの祈りのため 妊婦を現す土偶が使われたのではないか と私は考えています

妊婦の土偶には 腹部が中空で中に粘土の塊が入っているものがあります 振るとカラカラと音がします 後代の銅鐸のように祭礼には音曲が付き物です 中の粘土塊は胎児を現すと同時に 音を出すためではなかっただろうか

土鈴と弥生の祈り

さて土偶は弥生時代に入ると姿を消します なぜ作られなくなったかは分かりません 想像するに それまで行われていたアニミズム的祭祀が洗練されて 古代神道の形が整えられたからじゃないか[03] … Continue reading
すなわち妊婦の姿から 音を奏でる祭具として土鈴に変化したと見ます 鈴は神楽や各種祭礼でもっとも重要な祭具です それなのに鈴が使われる由来は詳らかではありません 発想が飛躍しすぎるかもしれませんが 土鈴から銅鐸そして金属製の鈴となったのか

そういえば 装飾過多ともいえる縄文土器から シンプルな弥生土器に変化していったのも 同じ理由かもしれません 火炎土器なんか単なる貯蔵でなく お供えのためとしか思えません
ニューギニア高地の人たちは 近年まで古来からの土器を使用していたそうです 貯蔵用の土器は装飾のあるもの 煮炊きには装飾なしの実用的なものと 使い分けていました

縄文初期には装飾土器が煮炊きにも使われていたでしょう それは食物を神(自然)からの授かりものとして供え お下がりを共食するためです 縄文の人たちは日常を神とともに生きていました[04] … Continue reading
後世の神事に使われる器は一回限りの土器(かわらけ)となっています[05] … Continue reading 収穫量の多い水稲により食料事情が良くなったことから 稲作は自然の恵みから人格神に結びつけられ 神事は「ハレ」日常は「ケ」と切り離されていきました
しかしながら縄文日本人の敬虔な精神は 形を変えつつも絶えることなく 現在の雑煮に伝わっています また初物を仏壇に供えてからいただくのも 同じ心がけからです[06] … Continue reading 明治以前は神仏混淆ですから切り離して考える必要はありません[07] … Continue reading

註釈

註釈
01 近年土偶は植物(穀類・豆類)の擬人化ではないかとの説があります 私もそうだろうと思います 種が芽吹き花開き結実し稔るのは 人が婚姻し子を成し誕生するのと まったく同じ営みです 穀物も我が子も隔てなく健やかな成長を祈って祭祀を行ったのです
02 山菜採りをしたこともない学者の机上の説です 採集といっても適当にそこら辺を歩き回って たまたま見つけた木の実・草の実を採るわけじゃない 翌年に備えてすべて採り尽くすことはないし 採ったあと周りを手入れして生育を促します
採集とはいえ管理することが必要なのです 狩猟・漁労も同じで狩場・漁場があります これらが入会権となりました 勝手に山に入って茸を採るなんて許されないことです 共同作業の結や蒔は なにも稲作に限ったものではない
03 古墳時代には 鈴を腰に付けた巫女の姿と思われる埴輪が作られていました この辺が最も古い祭具としての鈴でしょう 宮中賢所の内侍によると 鈴はもっとも重要な祭具なのだそうです
神社の賽銭箱の上に鈴が吊るされるのは近年の風習です お参りするとき鈴を鳴らすなんてのも新しいこと そうすると仏壇に鈴(りん)を置くのも近年のことかもしれません 鈴の音に霊力があるとか神様に対する合図だとかは後付けの理由にすぎない 二礼二拍手一礼が定着したのも敗戦後です
04 土偶が全て欠けているのは 死と再生を意味します 縄文時代の主神であった土偶は 大宜都比売命として古事記・日本書紀に伝えられます また縄文土器の口の部分に 土偶様の面を取り付けたものがあります
05 発見される土偶は意図的に掻いています 1年区切りの年季祭礼で使われたのでしょう 1年草である穀物のサイクルに合わせたのではないだろうか 土器が一回限り使われるのはこれを継承したと考えます
06 上座部仏教では釈迦を尊崇します 村の娘スジャータが牛乳粥を振る舞って 元気を取り戻したお釈迦様が悟りを開いたことから 釈迦涅槃像に食物をお供えするようです しかし日本に伝わったのは大乗仏教ですから 仏前に供える靈供膳等は仏教の教えではないと思われます
ことさらに仏教と神道を区分けするのは 明治政府による神仏分離令以来のことです 古代神道の伝統の上に築かれたのが日本型仏教で 日本では神も仏も不即不離のものでした 仏前に魚肉類を忌む理由はないのです
07 神社神道も明治からです それまでの神社は産土の神であって すべて国津神です 伊勢神宮も本来皇室の祖先神です(天津神として特別扱いしたのは記紀からです) 室町時代に始まった吉田神道は民間で広く伝わり 各地の神社の祭神や縁起を改竄することがありました いま祀られている祭神が創建当時からのものとは限りません
江戸中期の契沖に始まる国学は幕末期 本居宣長によってファナティックな原理主義となり 朱子学と結びついて極端な忠君愛国思想を生み出しました 明治時代になって偏狭な国家神道となりましたが 排仏排儒といいながら教育勅語など儒教そのものです
神社本庁などが唱える伊勢神宮を頂点とした神社神道は 国学→明治維新→王政復古→国家神道の流れの中で作られたものです 維新の志士・元勲を称する者たちが 権威づけのために始めました 縄文時代からの日本人の信仰とは大きくかけ離れたものです
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真直ぐな心

美智子様が ご結婚なさる前の映像を見ると まことの気品を備えられた 美しいお姿であらせられます 弥増しに感銘を受けるのが 真っ直ぐな瞳です
大和心は直ぐなる心です この高潔な心延えを 生まれながらにお持ちなのです 勁く清明なるお気持ちで 真直ぐなる道を歩んで来られたと拝察します

吉永小百合さんの若い頃の映像も 真っ直ぐに前を見て生きている姿かと思います ひたむきな青春を描いた映画は 吉永小百合さんあればの作品でしょう
畏れ多きことながら 私の中では 美智子様と吉永小百合さんの面差しが 重なって見えるのです 面立ちは違えど 昭憲皇太后にもつながる 意志を持つ美しさを敬愛します

皇后陛下や皇太子妃殿下でなく なぜか国民(くにたみ)は美智子様とお名前で呼びます 私の祖母が今上陛下ご結婚の時 美智子様と並んだ雑誌のグラビア写真を 額に入れ掲げていました
祖母は皇太子を東宮(はるのみや)と呼んでいました 皇太子妃は后宮(きさいのみや)ですが そうは呼ばず美智子様でしたね

いぜん東宮御所から 美智子様が車でお出ましになるのを 望見しました 車は1台で護衛もなく 後部ドアの窓は開け放たれていました 沿道に誰もいずとも いつも国民との隔てを取り払っておられるのです 公道に入ると窓は閉められましたが 束の間お顔が見えました
美智子様の国民を思う真直ぐな御心が 親しみを呼ぶのでしょう 吉永小百合さんも 銀幕のスタアというのとは ちょっと違って 親しみを覚えます

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立憲君主国、天皇制と王制の違い

この度の天皇陛下御退位に関する捫着は 薩長明治政府と国連軍占領憲法で いびつな形になった天皇制の矛盾が露呈した感があります
明治以降の天皇制は ヨーロッパの王制に準拠したもので 日本の伝統・本流とかけ離れた形かと思います 日本国憲法に至っては 占領下に連合国側の論理・都合で作られました
古来からの伝統である天皇制を 法律によって規定しようとするから 無理が生ずるのではないでしょうか

キリスト教国において神は絶対の権威で 人間の作った法律なんか超越した存在です 宣誓するのは神に対して 良心とは信仰のことです イスラム教国も同様です
キリスト教以前 ヨーロッパの王はシャーマン的な存在で 占いが外れると廃される(殺される)こともありました キリスト教下になって王は祭祀から離れ 世俗の権力者となりました
権威と権力の並立といったらよいのか 旧来の慣習を取り込む キリスト教の教化・懐柔策の一つです 後の時代では 王権神授説など教皇と権力争いがあったり 宗教革命も起きました こうした混乱を収めるため さまざまな契約や取り決め法律が定められ 王制・立憲君主国の形態ができたのです[01] … Continue reading

日本の天皇は宗教的象徴といえ 絶対的な権威ではない 皇嗣継承の争いは何度もあったし 上皇を名乗る者も現れ 南北朝の対立もありました 一神教と多紳教の違いでしょうか[02] … Continue reading
天皇が天皇である由来は 天照大御神以来の万世一系の皇統のみです[03] … Continue reading 神話的な存在で世俗の権力を持たないから続いたのです ヨーロッパの王権とはまったく違う

古来の天皇は 祭祀を司る宗教的求心力としての存在でした 大和朝廷になって中国の皇帝に倣い 政治を司る側面を持つようになりました 日御子(ひみこ)の存在が文書に残らないのは 中国の王制とそぐわなったからでしょう
してみると 時の政治権力との関わり合いで翻弄されるのは 明治や昭和に始まったことでないわけです

立憲君主制とは 憲法に基づいて王を元首とした国体です 元首の権力は法によって規定されます 王の権威は法律で定めるものではありません
日本の伝統では 天皇から任命された征夷大将軍や関白太政大臣が元首となります 天皇は権威であって権力を持たないのです
王政復古を称した帝国憲法も これを改訂したと称する現行憲法も 他国に倣っています 天皇を元首とするのは日本の伝統と合い入れません とくに現行日本国憲法は元首を明記していないのに 日本は立憲君主国とされています

元首のもっとも重要な責務は 国の主権と独立を守ることです[04] … Continue reading そのため国軍の統帥権をはじめとした 絶大な権限が与えられます
明治以前の日本も同様で 徳川征夷大将軍は最高権力者でした ただ鎖国をしていたこともあり 国軍はなかったので 統帥するのは直参旗本以下と親藩だけです

鳥羽伏見の戦いで薩長連合軍に敗れると 徳川方は征夷大将軍を返上(大政奉還)します このため日本には元首が不在となります
本来ならば島津斉彬あたりを将軍にすべきですが 下士が中心の明治政府はこれを良しとせず 王政復古・天皇親政を唱えて天皇陛下を元首としました
とはいえ幼かった明治天皇に実権はなく 明治の元勲と称する者たちが権勢を振るうことになりました 藤原政権みたいなものですか

現行日本国憲法は連合国(国連軍)が作りました 日本の伝統・歴史など完全に無視しています 天皇陛下に権威を認めず 国事行為など義務のみ定めているのです[05] … Continue reading
連合国はキリスト教国ですから 神以外の権威を認める発想はありません 憲法を翻訳する日本側の役人たちも 明治以降の天皇制しか念頭にないから 今のような形に収めたのでしょう

王たる権威は神に依拠し 元首たる権力は憲法の定めによるのが立憲君主国です しかし日本では憲法が最高の権威となってしまいました そのため天皇陛下が曖昧な立場に置かれることとなったのです
交戦権を放棄した日本国憲法は 朝鮮戦争により非現実的なものとなりました それだけでなく日本国憲法のもと 世界最古の伝統を持つ天皇制も危うくなっているのです

註釈

註釈
01 キリスト教国では 教会からの戴冠式で王権が授与されます 立憲君主国であるブータンは仏教国です 詳しくは知らないのですが 宗教の権威である座主と世俗の国王が共にあったようです 現在の国王も仏教徒でありましょう
02 絶対君主制などは一神教の教理を世俗になぞらえたものです 今でも中近東の国(イスラム教)の政治形態にあります それに比べて多神教は民主主義であるとも言えます
03 万世一系とはいえ直系だの男系である必要はありません 象徴としての皇統なのです 例えばキリスト教で神は実在するかと尋ねるのは無意味です 神は存在ではありません 人が理解することすらできないのです 気づけない蒙昧な人を導くのが宣教師
天皇陛下も現身は永遠ではありません 代が変わっても様式を守り続けることが皇統です 皇統の象徴である三種の神器は壇ノ浦に沈みました 大したことではありません 形あるものいつかは滅びます 同じものを作り直せばいい これが伝統の本質です
04 日本国憲法には 国名や元首が明記されないどころか 言及すらされていません 占領時の一時的な憲法だから必要ないと考えたのか もともと独立国と見なしていなかったのか ただ単にいい加減に作ったからなのか
にわか仕立てであったのは事実ですね 国民投票を経て成立した憲法ではありません
05 民主党政権時代 小沢一郎が当時元首でもない習近平を天皇陛下に拝謁させました しかも陛下は体調が優れず公務をお休みされていた時でした これは国事行為であると憲法を盾にとっての 不遜極まりない横紙破りです 他国が天皇陛下を政治利用する それに加担する不届き者がいる こんなことが重なって陛下にご無理を強いたのです
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