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カテゴリー: 日本の伝統・本流

環翠楼

塔ノ沢温泉「環翠楼」は 大正9年にできた建物をそのまま使っている旅館です 大正モダンの情緒が漂うゆったりした造りの宿は 非日常の時間にふさわしい興趣をもたらします
なによりも素晴らしいのは 女将以下のスタッフによる さりげなく行き届いた接客です さりげなく行き届くこれがなかなか難しい 目に見える過剰なもてなしとは違うものです

控えめで 押しつけがましさなど微塵も感じないのに 何の不足も覚えず 満ち足りた時を過ごせる これはバックグランドでの細やかな気配りがなせることです
一朝一夕にできるものではありません 長い伝統で培われる真のホスピタリティといえましょう 老舗たる所以です

建物の趣も時の流れが作り出すもの 時の流れに古びず さらに落ち着きを増すのは 吟味した良木を使っているからです 寺社建築の宮大工は 500年後1000年後の姿を考えて木取・木組をするといいます
年数が経っているから貴重なわけじゃないし 古いものだから価値があるわけでもない 今に生きていることが大切なのです

心地よい建物も良質な接客も 長い時を倦まず弛まず 家業に勤しんできた歴史そのものです これが老舗の姿です
伝統は営々と築くもの 今に生きてこそ伝統といえます[01] … Continue reading

ところで環翠楼ホームページのテキストは 実に名文ですね どなたが書かれたのでしょう もっともらしい修飾辞やわざとらしい感情表現はなく 簡潔でいて達意の文章です 環翠楼の佇まいに似つかわしい

もう一つ 環翠楼の料理は朝夕食とも素晴らしいものです 中で特筆すべきはご飯のおいしさです わき水で炊いているとのこと 各部屋にも汲んで冷やしたわき水が 常時置かれています
うまい水にうまい米 日本の風土ならではのお陰 ありがたいことです

註釈

註釈
01 日本の伝統とはこういうものです むやみに古いものをありがたがるのではない 伊勢神宮式年遷宮のごとく 今に生きるから伝統です 沖ノ島・宗像大社を世界遺産とやらに指定し 観光客を呼び込むなど実に愚劣不遜の行いです 中国・韓国から有象無象が押し寄せます
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酒に酔う酒に迷う

内田百閒翁 事あるごとに随筆で「お酒は好きだが酔うのは嫌いだ」と書いておられます たしかに家での晩酌はそうかもしれません しかし教え子たちに招かれた席では しばしば羽目を外して 時には足がもつれ転び 血だらけで家に帰ったりしています
言ってる事とやってる事が違うみたいですが 他からの招待の席でそんな飲み方はしない 教え子たちの気持ちを酌んでのことだと思います 酒好きの先生を喜ばせようと招待してくれる だから正体なく潰れるまで飲んで見せなければ礼儀に反する[01] … Continue reading
私は一介の素浪人ですから そのような酒席に縁がありません もっぱら家で独りの晩酌のみ 取り寄せる酒は料理を楽しむための酒です 本来の日本料理は控えめで自己主張するものではない 素材の確かさとその良さを引き出す技を さりげなく見せるだけです この酒も料理の引き立て役として淡麗辛口 吟醸香を抑えた姿で静かに料理と寄り添います

互いの個性がぶつかり合う ワインのマリアージュとは考え方が根本的に違う 和の心といったらよいか 止揚ではなく調和を求めます 1+1は2になりますが 1✕1はどこまで行っても1のままです[02] … Continue reading
近ごろフランスで認められたとか ヨーロッパのアワードで部門賞を取った とかの日本酒が喧伝されています 共通するのが「純米吟醸」と称する酒です これらは正確には吟醸酒と呼ぶべきでありません フランスのワインと違って厳密に規定されていないため 曖昧な表記が使われるのです(国税庁の「特定名称の清酒の表示」では実質的に精米歩合だけの規定です)
吟醸づくりは各工程でいくつものチェックポイントがあり 吟味して醸すゆえ吟醸といいます また低温長期発酵と原料アルコールで吟醸香が生まれます[03] … Continue reading
これらの手間を省いて 誰が造っても吟醸香を作り出せる1601酵母や1801酵母ができました 原料アルコールなしで吟醸香が出るため 純米吟醸・大吟醸なる酒が生まれたのです 最近のことです つまり吟醸香がする純米酒というものであって 吟醸造りではありません

吟醸づくりでないから 洗練された雑味のない酒とはなりません よく言えば香りと個性の強い酒 甘い酸っぱいと自己主張のある酒です これがワインに馴れた料理人に受け容れられたのでしょう ワインは野性味のある複雑な味を評価しますから 客受けして使いやすいのかもしれない[04] … Continue reading
原料アルコール(醸造用アルコール)添加は酒精強化ワインにも使われる技術です もともとは腐造防止と貯蔵のためでした 副産物として香気の高い酒が生まれたのです
ドサージュやシャプタリザシオンは 醸造用糖類の添加を意味します また日本酒では添加されることのない酸化防止材が ワインには必ずといってよいほど入っています
純米酒はあっても純ブドウ酒は存在しないのです(添加物を極力使わないとするのがビオワイン?) いずれにしても長期保存や広域流通のための技術ですから 一概にいけない事ともいえません 百閒翁が愛飲していたのは瓶詰めの灘の酒でした 蔵元で玉割りするので品質が安定していてよいという理由です[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 小津監督の「秋刀魚の味」に 今は地位・声望もあり一廉の人物となった教え子たちが 恩師をもてなすシーンがありました 東野英治郎の酔っ払う演技が実に至芸でした 東京物語でもだらしなく酔う姿を演じています あの方は実生活でも酒を飲むのでしょうか あそこまで精妙に酔っ払いの姿を捉えるのは 下戸のような気がします
02 色盲と同じように味盲かあり 西洋人の30%日本人は10%ほどが 一定の味覚を感じ難いそうです ワインに慣れたヨーロッパの人たちが 精妙な日本酒の味を理解できないのも無理ありません
03 吟醸酒は本来鑑評会に出品する酒でした 市販が目的でなく手間をかけた特殊な作り方をします 吟醸香だけではないのです 鑑評会にもトレンドはあり 吟醸香のため山田錦と協会9号が必須とされた時期もありました 米と水と麹のみの昔ながらの造りで吟醸香はできません
04 ○祭・十四◇・△雪といった酒は外国人受けする日本風というのでしょうか アメリカ等のフランス料理レストランで供されています アメリカ人やフランス人に繊細な日本酒の味はわからんでしょう まったく関係ないのですが 近ごろ同じように外国人に人気の居合抜きがあります 天心流兵法といいます
道場主だか師範だかが演武している動画がありました 見ると身体の軸がブレているのです アレ?と思って公式ホームページを確認したら もともと香具師の大道芸(ガマの膏売り)だったのですね ただただ刀を早く抜くだけの見世物です 派手で分かりやすい侍パフォーマンスですから 外国人受けするのでしょう
05 ガラスの一升瓶を初めて使ったのは灘の酒蔵です 江戸時代の下り酒は伏見が主でした 江戸の酒問屋のなかには 玉割りするとき地酒をブレンドして 自店銘柄で売るところもあったようです そこで後発の灘は「灘の生一本」のキャッチフレーズで売り込みました 問屋や小売店が玉割りするのは昭和初期まで続いていました 一升瓶入りの酒は割り水に仕込み水を使いますから品質管理に責任が持てる そんな事情から一升瓶は酒造メーカー所有です なので昔は瓶を回収していました
生一本といっても もろみ桶でそれぞれ発酵具合が違いますから 搾った酒を囲い桶で貯蔵するときにブレンドします ワインの場合ほとんど自然任せで 桶ごとの違いは日本酒よりさらに大きくなります 貯蔵の際はいろいろな産地や醸造年度のものをブレンドするので 買い酒(桶買い)が当たり前です 生一本なんて言葉はありません 気候に恵まれた単年度産のワインをビンテージといって特別扱いすることはあります ブルゴーニュ・ワインなどは醸造より ブレンドで銘柄を作ると言ってよいでしょう
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実家 入籍

実家

実家ってなんでしょう(広辞苑の第一版を見ると 実家は旧民法の法律用語であり 廃語になったと記されています) 今でも使われる実家は 夫婦双方の親元(生家)を指すことが多いようです 元の戸籍名が違えば実家と呼ばれるのでしょうか でも戸籍名が同じなら親元は実家でないはずです
次男は昔風にいえば分家・新宅になるし長男が嫁を迎えると当主です 嫁・婿に関わりなく婚姻が家督相続を意味しますから 時期は前後しても両親は隠居することになります[01] … Continue reading 子供夫婦が同居してない親元は隠宅となります 実家とはいいません

そういえば実家は聞きますが 婚家(こんか)だけが死語になっている気がします 本来実家は婚家の対義語です 嫁入り・婿取りで婚家ができ 初めて生家を実家と呼びます 婚家も実家と同じく旧民法の法律用語でしょう よく分からないのですが 婚家・実家とも明治にできた用語です たぶん江戸時代にはない言葉です[02] … Continue reading
戸籍制度のない国なら 実家も婚家もありません 婚姻届(夫婦)と出生届(親子)は別のものです[03] … Continue reading 所管が違うから関連性はない もちろん外国であっても 子を連れて親元へ帰省は行われると思います 親子の情愛に変わりはありませんから でも実家に帰るとは言わないでしょう(そもそも実家に当たる言葉がない)

お国はどこですかと問われれば すぐに答えることができます お国訛りもあるし お国自慢もします 実家はどこと聞かれても 生まれ育った家は既になく 婿養子でもないので答えようがない[04] … Continue reading この場合の実家は 父母が住む家(建物)を言ってるのかもしれません
結婚すれば双方の両親とは別に 新しい家庭ができる あるいは代替わりします 二人の新しい家庭なのですから そこが唯一の家です 戸籍制度があろうとなかろうと 社会の単位は家庭(家族)です 新宅に対して隠宅 分家に対して本家 実家の対義語は婚家です 親元を実家というなら 自分たちの家庭は何という 虚家?偽家?[05] … Continue reading

入籍

実家(生家)の戸籍名に拘ったり囚われているから 夫婦別姓だのと訳のわからん議論が出てきます 日本の姓氏は十万種もあるとされ 便宜的なもので特に血統を表すとはいえません 家名とか跡取りがどうとかなんて 今やなんの実質もないはずです
夫婦別姓論者は家制度に固執している連中です 婿取りや嫁入りで別の家の家族になれば その家名を名乗るのは当たり前のことです 別に結婚で姓が変わるということではない 出生届には名だけを書きます 姓は個人の属性でないのです[06] … Continue reading

大切なのは家庭 故郷 そして祖国です 何より大切なのは家族の一体感です だから戸籍制度のない国でも 何々夫人と夫のラストネームを名乗るのです キュリー夫人は本名ではなく通称名です フランスでピエール・キュリーと結婚後マリ・キュリーと名乗ります[07] … Continue reading
(隣国の半島と大陸だけは 通称であっても 婚家の姓を名乗ることが許されないと聞きます 夫婦別姓ではなく嫁だけが家名を名乗れないのです 出自は絶対で結婚しても姓は変わらない 儒学に基づく男尊女卑の国ですから 婿取りということがあるのかは知りません)

今どき出身地を聞いても お国はどこなんて言う人はいない[08] … Continue reading 同じように実家とか本家・分家なんて時代錯誤かと思います 武家社会じゃないんだから
私見ですが 結婚は恋愛のゴールではなく 新家庭を築くスタートです 別にどちらかの親の家を継ぐわけじゃない 新たに一家を構え社会に参加するのです ですから 入籍という言葉は実態を表していない不適切な言い方です たぶん旧民法の用語でしょう[09] … Continue reading

各家それぞれの事情があるので一概にはいえません 一般的に嫡流が結婚して代が替われば 同居・別居に関わりなく両親は隠居となります(徳川でいえば駿府様ですね)
大御所みたいな存在の場合もあるでしょうが 親元にご機嫌伺いに行くことを 実家に帰省するという言い方はおかしい 生家が隠宅になることはあっても そこは実家ではありませんから[10] … Continue reading

旧民法で隠居は生前に家督を譲ることと制度化されました そのため明治以降は両親が隠居せず生きている限り 代替わりできなくなったのです この弊害は日本国憲法(皇室典範)にまで引き継がれ 畏れ多くも天皇陛下の退位ができなくなりました
戸籍制度・家制度に縛られないはずの皇室にまで 家父長制を強いているのです 天皇家なんてありません 歴史を知らん薩長の田舎侍が王政復古などと言いながら 家父長制を拡大解釈しました[11] … Continue reading

註釈

註釈
01 お江戸は他の地方から移り住む人が多かったため 武家・町人に限らず単身赴任や核家族はたくさんありました 町内のご隠居さんは大家を兼ねていて 落語でおなじみ親代わりの存在でした
02 実家は婚家とともに明治時代にできた法律用語です 江戸時代は単に里と言っていたでしょう 里帰りや里に戻らせていただきますは 今でも使われる言葉です(?)
旧民法がなくなったのですから 婚家も実家も廃語にしなければなりません いまだに生家のことを実家というのは 明治時代旧民法で作られた 家制度に囚われているのです
03 親子の縁は与えられたものです 血縁は切っても切れない 夫婦の縁は社会に認められて婚姻となります 披露宴(盃事)が社会に認知されるための儀式(結婚式)ですね 婚姻は家と家の取り決めではなく 男女に関わりなく個人が移籍することを意味します
なので披露宴に生家(婚家の)両親は連なりません 江戸時代の婚姻は養子みたいなものでしたから 政略結婚以外は簡単に縁切りし生家に戻ることができました 江戸で未婚率が高かったのは 男女の比率に加え 夫に頼らなくても 女の人が自立できた社会だからです 女性側からの離縁も普通でした 再婚も自由です 寡婦(やもめ)や出戻りは珍しいことではなく 裏長屋で小唄のお師匠なんかしてました
04 石高の低い地へ転封の場合(左遷ですね)随行する家臣は次男以下が習いだったそうです 長男と両親は残り多くは帰農します 当家もそうでした 時期によっては年貢米の取り分について争いが起きることがあります 上杉遺民一揆もそうでした
05 振り返って考えると 結婚の前と後は全く別の人生です 独身の頃の家族は両親と兄弟です 結婚後の家族は妻と子供です 両親兄弟は血族であっても家族ではないというのが実感です 結婚してからは自分の家族のために生きてきました 儒学の教えからすれば私は親不孝者です
06 江戸時代の藩士一族は家禄で暮らしていました 経済の基盤が家なのでそこから離れると生活できません 王政復古を唱えた明治政府も下士が中心でしたから 家制度を当然のこととして 疑問にも思わなかった 明治の家父長制はこれを成文化したわけです
07 キュリー夫人の生家はポーランドの下級貴族でした ヨーロッパにも家制度はありましたが貴族に限ります キュリー夫人の最初の恋仲だった青年は庶民だったため 身分違いの結婚を周囲に反対されたのだそうです
日本に身分制はないのですが家格の違いみたいなものはありました たとえば篤姫は いったん近衛家の養女となってから徳川に嫁いでいます
08 お国柄とか県民性はあると思います やはり気候風土や歴史に影響されるのでしょう 祖国も同じことです ご先祖が生きてきた国土・国風が 今の私たちの姿を作ります
09 今の戸籍制度では結婚すると新しい戸籍ができます 入籍というのはすでにある戸籍に入ることですから 養子以外の場合は使うべきではありません
10 里帰りという言葉もありますが 帰省とは意味合いが違います 盆と正月に薮入りがありました 休暇で里に帰り両親・ご先祖に挨拶する 奉公人といえど通いの番頭になれば 一家を構えているので薮入りなんぞありません 子(孫)を連れて親元にご機嫌伺いはすると思います これは帰省ですね
11 縄文時代は各地に小集落が点在していました おそらく家族単位ではなく 離れた集落同士の雑婚だったのではないでしょうか 嫁入りといったことはなかったと思われます また若者組は子供が集落の構成員であることを示します 子供は家でなく集落に属していたのです
源氏物語で描かれるように平安時代に至っても通い婚でしたし 農村には近世までそれに近い風習(足入れ婚)が残っていたとされます 家制度は徳川時代の武家に始まり 明治に至り国民全体に拡大されたものです 婚姻後の里帰りは家制度の前の風習からでしょう
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