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カテゴリー: 日本の伝統・本流

句読点

このブログ記事には句読点がありません 書き始めたころのオーサリングソフト・テキストエディター・ブラウザーなどは 英語の構文に基づいたものでした
そのため 句読点が行頭にきたり カギ括弧が行末にあったりしました 日本語表記に対応していなかったのです これではあまりにも読みにくいと思い 句読点の代わりにスペースを入れるようにしたのです

DTPソフトも同様でした 日本語組版の約束ごとは考えられていません たとえばH&Jの機能など日本語には不要です 日本語2バイト文字は一文字が一単語となってしまい 字間が異様に空いたりしました
今のソフトは改善されましたので かなり見やすくなっています ですから句読点を使ってもいいのですが 今更という感じでそのままにしています

句読点を使うのが正式な書き方のように 何となく思われていますが そんな決まりはありません 学校の授業でそう習ったから 皆がそのように書くだけです
明治から大正期に言文一致・口語文の表記が広まりました それまでの書き言葉ルールが通用しないので たいへん読みにくいものでした そこで返り点などをヒントに記号類が考えられました 約物といいます 読みやすさのための約束事ですね
読みやすくするための記号なので 手紙文(とくに目上の人宛)に 句読点を入れるのは失礼に当たります 候文で書く必要もないのですが たとえば表彰状などに句読点が入ってたら 変でしょう

もうひとつ教科書からと思われ 何となく正式みたいになっているのが 段落行頭の1文字空けです 私はこれも読みにくいと思います とくにweb上では1行空けの方がよいのではないでしょうか[01] … Continue reading
日本語には大文字・小文字がありません(促音などは別です) 文字の天地がすべて同じサイズなので 横組みではメリハリがなく可読性が落ちます このため欧文より行間をかなり空けます(通常は行送り1.5倍)

日本語の活字は縦書きを前提に作っているので 縦組みは比較的読みやすくなっています
 ひらがな・カタカナは少し小さめに作ってありますが 読みやすさのためではなく 画数の少ない文字が大きく見えるからです
段落の一文字空けは欧文のインデントから来ました 欧文組版にはドロップキャップというのもあります 最初の文字を倍の大きさにするのです(聖書などですと 大きな文字を花文字にして装飾します) 日本語ではドロップキャップはほとんど使いません 新聞の倍活字はここから来たのかもしれない

学校の授業で手紙文の書き方を教わったことはあります 拝啓・敬具の使い方とか時候の挨拶とかでした 唯一残る書き言葉でしょうか 脇付も習いませんでしたし 句読点を使わないなんてことも言われなかった(低学年の教科書は分かち書きで句読点を使いません)
明治や江戸時代の手紙文を見たことはないのですが 時候の挨拶なんて書いてますかね ビジネス文書と称するものでも 時候の挨拶があったりします 幼少時教育の影響は大変大きい 柔軟な脳に刷り込まれてしまいますから
学校で習ったこと教科書に書いてあることが すべて正しいわけではないし 世間の常識でもありません 学校という閉じられた社会 教科書という限られた世界だけのスタンダードなのです

註釈

註釈
01 WordPressでもH&Jの機能はあるようで 自動的に左右幅で整形して改行されます 強制改行はパラグラフと解釈され1行空きます これはビジュアルモードで書く場合です テキストモードでは通常の改行になります
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シェアリングエコノミー&クラウドファンディング

シェアリングエコノミーもクラウドファンディングも 価値の共有が本質なのではないか 共有には信頼感が欠かせない要件だ
なにも目新しいことではなく 近江商人の「三方よし」の精神そのものだ 売り手よし・買い手よし・世間よし この中でもっとも大切なのが 世間よしであるといえる

売り手と買い手が信頼しあうのは当たり前 買うのも売るのも商品やサービスだけではない 誠意のやりとりなのだ でなければ 買い叩いてやろう売りつけてやろうの 狐と狸の化かし合いになってしまう
シェアリングエコノミー・クラウドファンディング いずれも相手を信頼することで成り立つものだ

企業でこれから大切になるのは 社会との関わり方 社会にとっての有用性 ユーザーとの交流となろう つまり外向きになれということ
お客様と平等の関係を築く お互いに敬意を持ちあう 信頼がベースとなる お客様は神様じゃないし 客はカモでもない お客様志向や客の意見を取り入れるのとは違う

そしてユーザーとは客だけでない 世間様の誰が何時お客になるかわからない 固定客も見込み客も大事だが それだけではいけない お馴染みさんだけの裏メニューなど愚の骨頂だ
経営者も従業員も やはり世間の一員であることを忘れてはいけない 売り手はまた誰かにとっての買い手なのだ 買い手もあるときは売り手かもしれない お互い持ちつ持たれつで世間というのはあるのだ
取ってつけたような社会貢献が世間よしではない 本業を真っ当に行うことが社会に参加することであり すなわち世間よしなのだ 客もエンドユーザーだけにとどまらない あらゆる取引先がお客様といえる

シェアリングエコノミーもクラウドファンディングも インターネットがなければ成り立たない 一方的でない情報の共有ができたから可能になったモデル つまりフラットな関係が根底にある
日本でのとらえ方は少し的外れな気がする とくに民泊と称するものは Couchsurfing(日本風にいえばお互い様の精神)・Airbnb(これはBandB日本の民宿に近いか)などの理念と大きくかけ離れている
信頼感もなにもない ただの新しい儲け口でしかない インターネットを通じてといっても 単なる予約手段でしかない 

中国や韓国からの旅行者や短期滞在者を目当てにした アジト提供のような形になりそうである 近隣住民のことなど考えない 世間よしどころか 下手をしたら犯罪の温床になりかねないものだ
だれでも開設できる簡易宿泊所に 役人がもっともらしいお墨付きを与える 官が絡むと必ず利権が生まれる しかも中国・韓国から来る者が対象のように見えるが どうなのだろう

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温泉、銭湯、風呂の温度

東の草津 西の有馬 古くからある湯治場は熱湯(あつゆ)が特徴です 温熱による治療効果を求めていたのです 熱海には時間湯という昔ながらの湯浴みが残っていましたが 最近の風潮からでしょうか無くなって(禁止されて?)しまいました
温泉には薬効もありますが 普段の湯でも上がって身体が赤くなってないようでは 湯に入る意味がない[01] … Continue reading 湯を浴びる湯に浸かるのは 体を洗うのが目的ではない

江戸っ子が熱い湯を好んだのは ヤセ我慢していただけではありません 湯温と水圧で体表面に刺激を与え 新陳代謝をはかるのです 適温の湯に浸かると「あ〜」と声が出ます この気持ちよさが大事なのです 元気のもとですね[02] … Continue reading
江戸っ子の坊ちゃん(夏目漱石)が通った 道後温泉本館が建てられたのは ちょうど20世紀が始まるときでした 「猫」にもこの新世紀という言葉がよく出てきます 当時は新築の建物だったのです ハイカラ趣味の漱石ですが 古典落語や漢籍に精通していて 銭湯に入るのを好みました

お風呂の適温が42℃とされるのは 公衆浴場法の都道府県条例で銭湯の湯温が42℃以上と定められていたことに由来します 体温計の目盛りが42℃までなのはなぜか 人間の体温が42℃以上になることがないからです[03] … Continue reading
細菌に感染したりして発熱するのは 人体の防御反応(免疫)です 細菌も42℃の高温では繁殖できないからです つまりは人体が熱を出している 自然の温熱療法といえるわけです(最近やっと解熱剤を使わなくなりました)

発熱は人体と細菌のせめぎ合いです 体力を消耗しますから 熱が下がったときは安静にする必要があります また人体には恒常性があり 環境に応じて体温を一定に保つ働きがあります 長湯したら体が芯から温まるなんてことはない
外気温のセンサーは首の後ろ盆の窪あたりにあります[04] … Continue reading 冬にマフラーをすると暖かく感じます 感じるのであって身体が温まるわけでない 防寒・防風には フード付きのほうがいいのです 炎暑につばが広い麦わら帽子は 日差しを遮りながら風が通ります 大変有効な暑さよけです しかし盆の窪に氷を当てたりすると 体温調整機能が働かなくなり 熱中症になってしまいます

ずいぶん前 一日30品目の食材を摂取するのが健康にいいという話が 厚生省だったかによって まことしやかに流布されました 今ごろあれは何の根拠もなかったと(ひっそり)取り消したそうです
ポイントは30品目という数字ですね いかにももっともらしくて 数字が一人歩きします スーパーマーケットのキュッパー価格や セット価格1000円ポッキリみたいなものです

お風呂の適温42℃も似たようなものです 本来細菌の繁殖を防ぐための目安だったのが 数字だけが一人歩きし 医学的根拠も曖昧なまま いつの間にか適温とされました
近年では ぬる湯で長時間の入浴がよいとの風潮が広まり 公衆浴場法が改変され42℃以下の設定が主流です そのために38℃から42℃の範囲で繁殖しやすい レジオネラ菌の被害が相次ぐようになりました
人間の身体は基本的に冷やしてはいけません 湯冷めするようなぬるま湯は 身体のためにもよくないと思います[05] … Continue reading

徳川秀忠が毎日 熱海の湯を千代田城まで運ばせていたといいます[06] … Continue reading 15時間かけたそうです テレビ番組で 源泉の湯を樽に密封し菰をかけて保温 15時間おいて温度を測ったら 90℃の源泉が60℃まで下がっていたとか あまり冷めないものです これを大奥か中奥に運んで 風呂桶に汲み入れれば 湯浴みには充分すぎるほどの温度です
日常でも電子レンジで温めたものは すぐ冷めるのを経験します 地熱はそれこそ何万年もの時間をかけて温められたものです 温泉の湯そのものが冷めにくく また温泉に入ると湯冷めしないのは当然でしょう

註釈

註釈
01 湯に入ることと体を洗うのは全く別の行為です 洗うだけならシャワーで充分湯に浸かる必要はない 温泉に入って石鹸で体を洗っては何にもなりません 温泉成分による薬効も温熱でさらに高まります
02 夏に熱い湯へさっと入ると(烏の行水)汗が引いてさっぱりするのは 気のせいだけじゃない 極寒のフィンランドでサウナ風呂に入って 冷たい湖に飛び込むのと同じと見ればいい 人体の恒常性をうまく使っています
03 体力のある病人が死の直前に 体温調節ができず42℃以上の高温になることはあります 医療現場では氷で冷やすことがあります 平清盛がアッチ死にしたとき 体を冷やそうと水をかけたら 蒸発してしまったという記述は あながち大げさではないのです
04 殺気や人の気配も首筋で感じるものです 背筋・首筋がゾクゾクするというのも 比喩だけの表現ではありません 皮膚感覚は案外と鋭敏で大切なものです
アナログレコードの音がCDより豊かに聞こえるのは 人間の耳で聞き取れないとされる高音域と低音域を含むからです 耳で聞くだけでない皮膚で感じる音があります
05 さる酒造会社の会長が 醸造試験場の技師と共に燗酒と温度の関係を実験してみたそうです 15℃の酒を35℃に燗をし唎き酒しました 温燗のちょい手前人肌燗ですね 50℃の湯で4分30秒温めたものがよく 次によいのが97℃の湯で1分40秒 よろしくないのが35℃の湯で17分30秒でした なにか示唆的ですね
06 江戸の湯屋(銭湯)は半蒸し風呂でした ご存知のように江戸は埋立地で水が悪い 飲料水は玉川上水等の水道が頼りでした また燃料の薪も薪炭屋から購入するものでした(銭湯は廃材等を使ったでしょうが) 水と燃料を節約するため半蒸し風呂だったのです 豊富に湯が溢れる温泉は最高の贅沢だったでしょう
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