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カテゴリー: 日本の伝統・本流

眠りについて、心と身体

夢は心(脳)の寝返り

眠りの生理は身心を休めるためというより 主に身体と脳の調整作用です
眠りにはレム睡眠とノンレム睡眠があり交互に現れます ノンレム睡眠の時は さかんに寝返りを打ち身体を動かします レム睡眠時は 身体が弛緩してほとんど動きません そのかわり眼球が細かく動きます 脳が活発に働き夢を見ているのです

人間に限らず動物は起きている間活動します しかし身体を平均して使うわけではありません 生きるための活動ですから 偏った動きや無理な姿勢をとることが多いのです
動物に睡眠が必要なのは 寝ている間に 使いすぎた部分を休め あまり使わないところを動かして調整するためです つまり身心のストレス(偏り)を緩和し バランスをとるのが睡眠のメカニズムです

ノンレム睡眠時に身体を動かし筋肉や関節の偏りを調整し レム睡眠時は夢という形で脳の記憶(精神活動)を整理します 人間以外の動物はレム睡眠とノンレム睡眠の差が少なく 中にはほとんどノンレム睡眠だけの種もあるようです
他の動物に比べ 人は2足歩行という きわめて不自然でアンバランスな状態で活動します また大脳が発達した結果 よけいな感情や過剰な思い過ごしにとらわれることにもなります

人間が他の動物より睡眠時間が長く 眠りの深さも必要で夢をよく見るのは このような理由があります 無駄な動きが多く感情に支配されているともいえます。
眠りが浅いと疲れがとれず 身心のストレスは深まります 眠りは休息でないため寝溜めはできず 規則的な睡眠が重要になります
睡眠障害が起きやすく ストレスが溜まり自律神経失調症になるのは 人間の宿命なのでしょうか

夢は記憶の断片化整理なので 意味を見いだす必要はありません ザッピングしているだけで 別に深層心理を表すわけじゃない ただ 病気になる前に同じ夢を見たりと 身体の状態に左右されます 記憶を整理できず そのまま溜め込むサヴァン症候群[01] … Continue readingもあります
また寝相もそのときの身体の状態を表し 特定の病気の際は同一の寝相になることがあります よく見る夢があるように 朝起きたときの寝相も人によりほぼ一定です

心身、身心

以上は野口晴哉の教えを 私なりに解釈したものです 医学的見地からも そう的外れではないと思います

あと寝汗というものがあります これはよく誤解されますが 寝ている間にぐっしょりと汗をかくことではありません
汗はかいても玉の汗ではなく すべて蒸発します そして布団の外側が結露したように濡れるのです 病人が寝ていたあとの畳に黴が生えるほどです

人間は他の動物に比べ 睡眠時に体温の調整がうまくできません 羽毛に覆われていないからです 夜具が必要だったり寝冷えをするのはそのためです 
夜風は身体に毒だと 昔よりいい慣わされています 夏でも同じことで 睡眠時に身体に風を当ててはいけません
そのため 枕屏風というものが使われていました[02] … Continue reading 実際に扇風機をかけたまま寝ていて 急激な体温低下で死亡した例があります

心と身体の関係について 面白い言葉があります 野口晴哉は「身心」と書きます 普通は「心身」です
野口晴哉の教えでは 心(脳の活動)があって身体がそれに従うのでなく 身体の動きが心の働きを左右すると考えます つまり心因性の病気などないというのです

たとえば胃潰瘍の原因がストレスだといっても 気の持ちようでどうともなるというものではありません ままならない状況があって思うように事が運ばない 結果平穏でいられない 食も進まない消化機能も衰える 状況によって身体の動きが変わるから病気を引き起こすのです

専門家でないので理解が及ばないのかもしれませんが フロイトに始まる西洋の夢の解釈は精神を身体と切り離しているように思えます おそらくキリスト教の肉体と魂を別に見る教義に影響されているのでしょう 人間の精神活動をことさら神秘的で高尚なものと考えているのです
心は身体から独立なんてしていません 精神活動も身体の機能の一部にすぎないのです 理性も感情も身体の状態に左右されています 初期キリスト教(旧約聖書・創世記)でも 禁断の樹の実を食べたため 人間は余計な知恵がついてしまったと教えています

註釈

註釈
01 山下清画伯はおそらく 見た記憶を整理できない体質の方だったのではないかと想像します あの緻密な描写はすべて記憶に基づくといいます スケッチなどしません それなのに現地の写真と照らし合わせると寸分違わないのです
記憶のすべてを絵のために使った人です その結果社会生活や日常の様々なことに割り当てるメモリー領域が不足した ゴッホのような破滅型の人間と違い 邪気を持たず陽気に明るく生きた天才です 社会に適合しないのではなく別の価値観に生きました
02 考証がきちんとした時代劇映画なら 病人の床には必ず枕屏風が使われているはずです 昔の家は隙間風だらけですから 常に風が通り抜けます これが病人によくないのです
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正月

正月料理

正月料理といえるのは「雑煮」です 他のものと違い雑煮だけは食べると言わず祝うと言います 歳神様に供えた下がり物をいただく共食ですから 特別な言い方をします
今は雑煮祝いという季語にのみ残る言葉となりました 関東の雑煮が醤油仕立てになったのは近年のことです お江戸でも雑煮は味噌仕立てと物の本にあります 具材はよく分かりません 小松菜は江戸初期からあったようです[01] … Continue reading

おせちは重箱に詰めるものでなく 祝い膳に平椀(ひら・おひら)で出される煮染めを言います 周防では煮染めを大平と呼び 祝い膳に欠かせない料理です お平が付くとは豪華・贅沢な膳を言い お平に盛るのは鳥肉等と根菜類の煮物です のっぺい・こづゆも同様おせち料理です 会津では今も「こづゆ」に正しく平椀を用いています[02] … Continue reading
箱に詰めて重ねておくのは「喰積(くいつみ)」です これは祝い膳(おせち)ではありません ごまめ・昆布巻き・卵焼き・きんとん・黒豆・数の子など 保存のきくものを三が日の間取り分けて食べます 来客などにも振る舞いました 1段の重箱に黒豆2段の重箱に数の子など 一つの箱に一品ずつ詰めるものです

江戸で田作り(ごまめ)は祝い膳に上ったようです 祝い膳のあと御目見以上の旗本は日の出前に登城しました 城に上がらない者は上司の屋敷へ年始に行きます 上司は留守ですから玄関先で賀詞(賀状)を置いて帰ります
武家でない町人の正月祝いは大晦(おおつごもり)なので歳末も新年も一緒です 氏神や鎮守社で氏子が籠もります これを簡略化したのが初詣・2年参りですね 寺に初詣したり除夜の鐘は 仏教行事と中国由来の年神さまが一緒になったものと思われます

節会(せちえ)の行事は宮中や公家の間で行われていました それぞれに料理もありました 1月1日は菱葩餅 3月3日桃の節句は菱餅 5月5日端午の節句は粽 7月7日素麺 9月9日菊酒 などなど その風が庶民にまで広まったのでしょう[03] … Continue reading
京以外の地方では年越し魚(歳取り魚)として 塩鮭・塩鰤等が用いられました 節会の料理とは違い 土地土地の氏神様に供えたのが始まりです そのお下がりを雑煮として神と共食します 越後の雑煮に鮭が入るのは古来の名残です

重箱は祝膳に使わない

身近な人に聞いてみたところ 正月に餅を食べるのは共通していても 子供のころ重箱に入った「おせち」はなかったと言います 私もそんなものは記憶にない 奥州では正月料理として ずんだ餅くるみ餅えび餅など5〜6種類の様々な餅をいただくそうです 雑煮に餅が入るのはいつ頃からか 寡聞にして知りません[04] … Continue reading

今日見られる おせち料理と称した重箱に詰めた形は 京都あたりの料理屋さんが年末 お得意先に配ったのが始まりです(届けるとき箱詰めにしますが 折詰では正月らしくないので 喰積になぞらえて重箱に詰めたのでしょう 伝統的なものでもなんでもないから 中華風・洋風といったいろんな料理を詰めます)[05] … Continue reading 一般の家庭でこのようなことは行わなかったし お節は煮染め・のっぺい・コヅユであって 重箱なんかに詰めません[06] … Continue reading

十五日正月、成人式

外来の歳神様を迎えた時から1月1日が正月とされました 年神様はその名が示すように暦の神です[07] … Continue reading 古来の正月行事は どんど焼(左義長・塞の神)・なまはげ・鳥追いなどでした これらはいずれも農事祭で 新年最初の満月の夜から朝(十五日正月)に行われました 農業を司る月の神様の祭りです[08] … Continue reading
十五日正月にはナマコ餅(寒餅)を切った掻餅を焼いたり 小豆粥・七種粥[09]七種粥を人日の節句1月7日に炊くというのは 七に掛けた語呂合わせですを炊きます 元々は春を迎える冬至祭(火祭)であったろうと推測します 粥は木や柱に供える儀式がありました また木の枝に餅を飾る餅花・成らせ餅の行事も広く行われていました[10] … Continue reading

すべて言い伝え伝承であり 文献に残るものではありません そのためか十五日正月(小日正月・女正月とも言われます)の行事は 明治になってから軽んじられる傾向がありました 神社神道より古い慣わしなので[11] … Continue reading明治政府の国家神道制度にそぐわなかったのです
さらに昭和大戦敗戦後に十五日正月を祝日とした時 「成人の日」と名付けました 「こどもの日」や「としよりの日」を作ったので その関連ということかと思います 元服云々は役人らしいデタラメな後付けの理由です[12] … Continue reading

埼玉県蕨町の青年団団長が 成人=選挙権であることに着目し 二十歳になった男女を集め青年祭[13] … Continue readingなるものを開催しました この団長はのちに蕨市長になっています[14]青年団出身の政治家は他にも数多くいます もともと政治活動が主体の組織です これが合法的な事前運動と評判を呼び 全国各地の自治体で成人式が行われるようになったのです[15] … Continue reading
その風潮を追認する形で十五日正月を成人の日としました こうやって正月行事とはまったく無縁の祝日として 成人の日が制定され成人式が定着しました さらに日にちが変更され[16] … Continue reading 古来よりの習わしは失われていきます

かつての祝祭日はことごとく祝日と言い換えられ 本来の意義は忘れられてしまいました 祭事が大切なのです 諸外国も全てそうです 農事祭がキリスト教に関連付けられ 祝われています[17] … Continue reading
占領政策から敗戦後の日本の祝祭日は単なる休日とされ(一種の宗教弾圧です) しかも次々と理屈をつけて増やし 諸外国の倍くらいとなりました[18]よく知らないのですが 諸外国でもナショナルホリデーは … Continue reading

註釈

註釈
01 醤油が使われるようになったのは江戸中期以降です それまでの澄まし汁は 味噌の上澄みを使ったり生垂れを使う また仕立てた汁の上澄みのみを用いたものを言います 雑煮は古来よりの正月料理ですから 醤油が一般的になった江戸末期でも味噌仕立てだったのでしょう
02 鳥肉と根菜類の煮染めが 鳥肉の代わりにコンニャクや麩を用い 汁沢山なこづゆとなりました その汁にトロミをつけたのがノッペです とろみは小麦粉や里芋の粘り 葛を引く地域もあるかもしれない 加賀は贅沢なところなので 鳥肉を主にした治部煮ですね 平に盛るかどうかは知らない
03 菱葩餅(花びら餅)は 枕草子に新年歯固めの儀で鏡餅云々とあるように 鏡を模した丸く平たい餅を二つ折りにしたものです 今のゴーダ・チーズのような円盤型は 鏡餅ではなく備餅と言っていました 備餅(供え餅)は搗餅ではなく煉餅だったと思います 鏡餅は円形で鏡のような餅です 太陽を模したものではないか 望月という言葉もあります 備餅が古来の形で月に供えていたのかもしれない
菱餅は古代には菱の実の餅だったでしょう 菱形の三色は江戸時代以降です 粽(ちまき)は季節がら腐敗防止のため 餅などを笹で包んだもの 越後では今も糯米の三角粽を作ります(柏餅なんぞ食べません) 京都の葛を使った粽は菓子ですが 戦国時代に京の治安が乱れ 朝廷でも米不足となったための代替品でした 古来からの伝統的なものではありません
04 奈良や熊野では 雑煮の餅に黄粉を付けていただく風が残ります 黄粉は大豆から作ります 芋・豆・米その他の穀類文化(縄文)が伝えられているものと思われます
喰積の昆布巻(昆布+塩引や身欠鰊)・数の子・スルメ・黒豆などは乾物・塩漬けの保存食で 縄文時代から食されているものが多い おそらくこれが古来からのお供えです 縁起担ぎから始まったなんて後付けの理由に過ぎません マメに生きるだのヨロコンブなんて無理やりなこじつけです お節の煮染めに使う鳥肉や根菜類もすべて冬季にある食材です
05 重箱は保存用や持ち運び(弁当)のための容器です 本来祝い膳には使いません 似たようなもので松花堂弁当というのがあります 絵の具箱を岡持ちのように見立てたもので 吉兆という新興の料理屋が変わった趣向でと 客に出したのが始まりです
06 明治36年の村井弦斎作「食道楽」に お節を重箱に詰めるという語が見えます お江戸の食積と京だか薩長だかの風が ごちゃ混ぜになったのでしょうか 明治維新により廃仏毀釈にとどまらず 伝統行事も姿を変えてしまいました とくに東京が顕著です 会津が頑なにコヅユの伝統を守るのと対照的です
07 歳徳神という言い方は江戸中期以降のようです 神とはいいながら寺で祀ったりしていました 七福神(これも外来の神)と一緒で 由来がよく分からない習俗ですね
08 1月1日が正月になっても日没が1日の終わりなので 正月の行事は大晦日の大晦(おおつごもり)です クリスマスの行事が12月24日夜なのも同じ理由です 元旦に初日の出を拝むという風習はなかったようです 夜明け前に若水を汲みますから それが変形したのでしょうか
09 七種粥を人日の節句1月7日に炊くというのは 七に掛けた語呂合わせです
10 子供のころ餅を木に付けたこともあるし 餅粉を最中の皮のように焼いたものを 木の枝に挿した記憶もあります
世界的に似た行事は行われていました キリスト教が布教された地域では この風習がクリスマスツリーとなります
11 月の満ち欠けが農事歴の基礎となります インカの古代農法では収穫は満月の翌朝とされたそうです 月読命(海洋・農業神)→天照大御神(米作・太陽神)と変遷し 暦法が伝わって以来 1月1日に歳神様を祀るようになりました 本来の農事祭は民間伝承(女・子供が主)として 月への信仰の形で縄文以来伝わっていたのです
12 十五日正月と元服の儀はなんの関係もありません 元服=烏帽子祝=官途成のことです 正月に祝うなんて決まりも習慣もない それまでの幼名から大夫や左衛門・右衛門・尉といった官名を名乗ります
13 蕨市ではいまでも成年式と呼びますが 青年も成年も同じ読みなので 他の自治体では成人式としたのでしょう 青年団の関わりを隠蔽する意図もあります
14 青年団出身の政治家は他にも数多くいます もともと政治活動が主体の組織です
15 荒れる成人式は 選挙目的の胡散臭い意図を敏感に感じ取っているからです GHQの指令かなんか分かりませんが 正月行事とはなんの関係もない祝日を作り 古来の大切な行事をおろそかにする 時の政府役人への不信の念が形を変えたものでしょう
16 成人の日と名付けた時点で 満月を祝う意味が忘れられ 15日である必要もなくなったのです 日本の伝統を抹消し歴史を否定する GHQの宣撫工作から続く成人の日の正体です
17 十五日正月が女正月と言われるように 農事祭は女子供が主体になります(作物の実りは出産と同じこととご先祖様たちも認識していました) 鳥追で各家を子供たちが回るとお菓子をもらえます クリスマスプレゼントも同じことです
作物も子供も自然(神様)からの授かりものと考える 敬虔な心は世界共通です イースターの祭りも死と再生(刈入れと種蒔き)を表す行事です これを無理やりキリストの復活としましたが イースターといえば卵 卵は出産の象徴ですね
18 よく知らないのですが 諸外国でもナショナルホリデーは 宗教・習俗関連の行事(祭日)と 独立記念日のような国家的イベントを祝う(祝日)ものだと思います
海の日だとか山の日だとか成人の日だとか こじつけた意味不明な祝日はないでしょう 日本は祝祭日が祝日になり ついには国民の休日とかいう 訳のわからんものを作る
ホリデーの語源はholy day(聖なる日)です べつに宗教でなくても 伝統行事を祝うことに意義があるのです マッカーサーの亡霊にまだ惑わされているのか
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シナリオ 演出

ホン作り

ハコ書きというものがあります シナリオ作成時のプロットです 大小の四角い枠を作って書き込むので箱書きといいます
聞いたところによると シナリオスクールでは このハコ書きを重視するみたいです

このごろのTVドラマを見ると 整合性・辻褄合わせに捕らわれている気がします 何というか芯が通ってない感じ
シナリオとか書いたことはないので 偉そうなこといえませんが プロットを作り込みすぎてるんじゃないでしょうか

ストーリーも大事ですが 人物像を描き出し大団円に向かって エピソードが集約されていくのが ドラマ作りかと思います

1954年製作のアメリカ映画「スタア誕生」で 主人公は”エスター・ブロジェット””ヴィッキー・レスター””ミセス.ノーマン・メイン”と名前が変わります ストーリーの展開に伴って本名・芸名・通称名と変わるのですが 最後にノーマン・メイン夫人と自ら名乗るシーンに この映画のひとつのテーマがあります[01] … Continue reading

映画作りは脚本(ホン)が第一で いいホンが書けなければ いい映画は作れません 日本の脚本家は だいたい映画会社に所属するのが普通でした
脚本専業は少なかったと思います 野田高梧さんでも小津監督と一緒に脚本を書くときは ゼームス槇名義になったんではなかったか

ハリウッドは今でもシナリオが重視されると聞きます 小説家の収入も本を売って印税というより 映画化権の方がメインになるようで 優れた書き手による原作が多い

映画化されるには シナリオがプロデューサーに認められないといけません プロデューサーが自分で手がけたり シナリオを書いた人が自分でプロデュースすることもあります
ハリウッドは完全に分業制で スクリーンプレイも共同作業になり 特定のライターが名前で受注するのはあまり聞かない

セリフや所作

英語をしゃべれないので ハリウッドの台詞に関しては全く分かりません 日本のTVドラマをみていると 少し古い時代設定で手を支〈つか〉えて辞儀をしている相手に対して 「お手をお上げください」ではなく「頭を上げて」なんて台詞を言わせています 「これ頭が高い」「面を上げい」みたいなシーンでは どんな台詞になるんだろう[02] … Continue reading

NHKの番組「私の秘密」冒頭で 藤浦洸が手を支えて辞儀をしていたように記憶します 氏の見識でありましょう 頭を下げるのは会釈(帽子を被っていれば ツバに手を当てて上げます) ご婦人なら小腰をかがめるところ(欧州の淑女でも似たような挨拶がありますね)[03] … Continue reading

会釈・敬礼・最敬礼なんていいますが 敬礼は軍隊で始まったんじゃないでしょうか 屋外で制帽のときは挙手の礼 室内無帽では腰を折り曲げて礼をします(頭を下げるんじゃない) 帽子は脇に挟みます[04] … Continue reading この時も両手はズボンの縫い目に当てなくてはなりません 手を前に組んで頭を下げたら商人の会釈になります(敬礼と会釈は別物です)

日本で映画が作られなくなって久しく TVの仕事しかやったことがないライターばかりになりました
これもNHKのドラマだったと思いますが 海軍軍人が「〜であります」と言ったり 肘を横に延った敬礼をしていました(しかも室内で無帽)
さらに古い時代設定になると 「ご公儀」や「千代田のお城」でなく「幕府」「江戸城」といった台詞は もう当たり前になってしまいました[05] … Continue reading

映画製作はストーリーを追うのでなく画作りです 画作りのポイントはディテールです 台詞・演技・衣装・小道具・大道具すべてに配慮されていなければならない これを疎かにすると画面が絵空事になってしまいます 映画は作り物ですから精緻さが命なのです

カット割り・編集

吉右衛門主演の鬼平犯科帳が終了しました 池波正太郎が認めたほど 小説の長谷川平蔵を体現していました ただ長編スペシャルは いろんな話の寄せ集めだったりするので ちょっと構成に難が見えます やはりホンが書けなくなっているのか
吉右衛門の衰えはやむを得ないとして 画作りでもキャメラワーク・照明など とても活動屋の仕事とは思えません 間延びした平板な締りのない画面[06] … Continue reading 焦点の合わない退屈なシーンが延々と続く そして唐突にエンディング・テーマへとつなげる
TVシリーズでは エンディングへのカットつなぎに意を注いでいました ストップモーションに入るタイミングが 編集の妙というか見事でした あの最後のカットにドラマのすべてが集約されるのです 編集は演出というのがよく分かります

註釈

註釈
01 アメリカには戸籍制度がありません 出生時の姓が変わることはないのです しかし結婚すれば夫の姓(ラストネーム)を名乗り 〇〇夫人と呼ばれるのが 社会人としての常識です
映画ではすでに夫(事実婚?)のノーマン・メインは亡くなっています あえてミセス・ノーマン・メインと名乗る じつに健気な貞女ぶりです これがハリウッド映画であり 多くの人に受け入れられ称賛されたのです
02 不祥事を起こした企業の記者会見などで 並んで頭を下げるパフォーマンスの影響を受けたのか あれは何の真似かお白州のつもりか 頭を垂れる(こうべをたれる)とか項垂れる(うなだれる)と一緒くたにしてるのかもしれない
突っ立っているから平伏や土下座ともまた違うし ともかく晒し者として謝ればそれでよしとなり 問題の本質を覆い隠す演出であろうと思います 半沢直樹とどっちが先なんだろう
03 「千と千尋の神隠し」を見ると ちゃんと挨拶しなさい といったセリフやお辞儀をするカット(美しく正しい所作です)が目立ちます おそらく海外向けに 日本伝統の文化を伝える意図があるのでしょう 宮崎駿監督の見識が反映されています
04 騎士が貴人に対して礼をするときは 帽子を取って腰(膝)を折り曲げます 帽子の取り方にも作法があるようです 騎士は武人ですから軍隊の挙手の礼も 帽子を取る作法の簡略化ではないかと思います
05 私はひねくれた学生でしたから 教科書に書いてあることを疑っていました(だから成績がよくなかった) でも優等生は素直に教科書通りに学んでいました
今の時代劇で幕府とか江戸城とかの台詞は ライターやディレクターが 昔の人は教科書に書いてある通りに話していたと 単純に思い込んでいるからです
06 フィルムキャメラとビデオキャメラの特性の違いもあります 奥行きを感じられないのはパンフォーカスだからでしょう 人間の目は単焦点です 水晶体の厚さを変えることで 遠くにも近くにもピントを合わせます ピン送りが心理描写に使われるのは 人間の目の機能に合っているからです
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