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カテゴリー: 日本の伝統・本流

未曾有

未曾有の読み方は(ミ・ゾゥ・ウ)ないしは(ミ・ゾ・ウ mizou)です 最近テレビなどで(ミゾー mizō)と読んでいることがあります
こんな読み方が出てきたのは 元総理大臣であった麻生氏が(ミ・ゾー・ユー)と読んだことを マスコミが揶揄したからです

未だ曾て有らず 希有なことという意味の 3文字熟語ですから 最後の有は(ウ)であって 長音(ー)ではありません 有の字はこの場合(ウ)と読み慣わしますが(ユゥ)でも あながち間違いとはいえません
しかし(ミゾー)は完全な間違いです たぶん ふりがな通り読んだのでしょう

ひらがなには音引き(音を伸ばす記号)がありません 東京のふりがなは(とう・きょう)で 発音は(トー・キョー)になります これと同じと思ったのですね
東京は最初(トー・ケイ)と言ってたみたいで 江戸っ子が上方風の読みを嫌ったからといいます

旧仮名遣いだと〈きゃう〉〈けふ〉〈けう〉いずれも(キョー)と読みます しかし誰も「稀有なこと」を(キョー・ナ・コト)とは言わない 元の字と意味を知っているからです
未曾有は仏教用語だったそうですが 呉音だの漢音だのを云々する必要もありません 仏教用語が呉音 儒学者は漢音というのも 権威付けから始まったんじゃないかと思います[01] … Continue reading

私は麻生氏の肩を持つつもりはありません 居ても居なくてもよい どうでもいい存在だと思っています 役に立たないが さほどの害もない(九州電力との関係は気になりますが) せいぜい読み方を少し間違ったり Gなんとかに出て はしゃぐ程度です それよりも 権威主義のマスコミの方が質が悪い

全然違う話題ですが旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)の読み方で 「玉子ふわふわ」は(タマゴ・ブワブワ)です (タマゴ・フワフワ)と読ませるのなら「玉子ふはふは」と書きます
卵液がぶわっと沸き立ったところを賞味する料理です 漢字では浮々煮と表記していますから 口当たりを言ったものではないでしょう 類似した料理のスフレも 吹く・膨らませるという意味です これも膨らんだ熱々を直ちに食べます

註釈

註釈
01 漢音・呉音というのは正確でなく 遣唐使が持ち帰った漢語を後代に漢音というようになりました 呉音はそれ以前に入ってきていた漢字の読み(音)です 漢音は当時正音と権威づけられていて 官音みたいなものでした
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真実の花

風姿花伝に「時分の花」「当座の花」「真実の花」の三つの段階が書かれています
簡単にいってしまうと 「時分の花」は才能 「当座の花」は技術です 「真実の花」は 何といったらいいのでしょう
到達したことがないので よく分かりません とりあえず円熟としておきます

「時分の花」は 3分咲きから5分咲きの状態をいう言葉です 6才6月6日に芸(舞)を習い始め 12・3才頃になれば 一通りの所作ができるようになります
その時どうかすると 名人上手をも唸らせるほどの舞を見せることがあります しかしこれは持ち前の才が稽古によって花開いたものです

修業を重ね22・3才になれば技術も万端修め 一見して名人上手と遜色ない舞ができます 満開と見紛う7・8分咲きというところです
ただし技術の上で破綻がない そつのない舞であっても そこで慢心すると芸が小さくまとまってしまい 「当座の花」に留まります

「真実の花」はいつ咲くのでしょう 怠りなく精進を重ねた先に 新たに開くものではないでしょうか 花が満開の時とは 花弁が散り始める頃です
円熟の芸は散り際にのみあるとしたら 一生が修業という言葉に頷けます 真実の花は桜吹雪に紛れて見えないのかもしれない[01] … Continue reading

仏師が木の中におわします仏様を彫り出すだけだといい 作曲家は楽譜を見れば頭の中で音楽が鳴り響くといい グランシェフもレシピを見ると舌の上に味が湧き出すといいます

技術を極めた更に先 頂上に至ってからの景色 その境地でしか見えない世界が広がります ノウハウや裏技あるいはコツ 隠し味とか秘伝の技 企業秘密なんていうものじゃない

説明することも伝えることもできないものがある 自らの手と足で求めるしかないのです
さすれば 真実の花を咲かすのは 不断の努力でありましょうか

尾車親方が大相撲の解説で 千代の富士を評して「大きなことをやり遂げる人は小さな努力を積み重ねている」と言ってました 至言ですね

2022年3月30日追記=最近YouTubeで古武術や格闘技を見ているのですが 浅山一伝流の関先生と極真会の纐纈先生のお話しに 感銘を受けました お二人の術理の解説は実に合理的で納得できるのです 共通するのは人間の体の構造や動き また相対したときの心理に応じた理合です 浅山一伝流は戦国時代より伝わる介者剣術が元です 纐纈先生は世界大会で巨漢の外国人を相手に連続優勝されました
戦場も世界大会も長丁場 共にできるだけ体力を消耗せず 無駄のない動きと相手の攻撃をいなす技が特徴です 関先生の所作はまるで舞踊のように美しい 纐纈先生は試合中に道着が乱れない ことさらに神秘めかした秘伝とか 速さや力任せの技ではないのです 戦いの9原則・経済の原則に通ずるかも知れない そしてお二方とも研究熱心で理論派です 頭で理解できても不断の努力の積み重ねがないと到達できない境地です)

註釈

註釈
01 花は散り際が最も美しい 花筏というものがあります(季語とされますが 歳時記を見ても作例が見当たらない 不思議な言葉です) 散った花びらで水面が桜色に染まる風景です 狂おしい凶々しさを秘めた 常世でない幻想的な美しさです 梶井基次郎が書いたように 花の下には屍体が埋まっているのかもしれない
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平和憲法・安全神話は呪文

平和憲法があるから日本は戦争に巻き込まれない
日本の原発は安全だから非常時の対策は必要ない

どちらもお呪い・呪文です 現実が見えない 現実を見たくない 現実をごまかそうとしている
お呪いは(おまじない)と読みます 呪い(のろい)と同じ字ですね お呪いを唱えているだけなら日本は呪われるでしょう

呪術には原因と結果の因果関係があります いわば科学的思考なのです 科学的何々という言い方は 現実が理屈に従うという考え方になります(これがすなわち呪術です 科学的見地に基づいた「世界一厳しい安全基準」 という呪文が自然災害を制御するの類)
お呪いと祈りは異なります 祈りは人知を超えたものに対する畏れです 科学が自然を制するとか 原子力の平和利用だとか 「科学の威力だ鉄腕アトム」は呪術に過ぎません

科学的思考って絶対性というか唯一の真実を求めるものです 排他的であり独善的ともいえます でも科学的に証明する前から事象はあるわけで 所詮あと理屈です
宇宙物理学(というのかな)で 宇宙の成り立ちに関して科学的に説明できない(理屈に合わない)ことが幾つかあります 素人の目から見れば理屈の方が間違っているだけじゃないかと思います しかし矛盾点には高次な意思が働いているとする一派があるのです

その昔のコペルニクスの話みたいですが 科学的なんてその時点の知見で人間が判断したことにすぎないのです 辻褄合わせ・思い上がりといっていい[01] … Continue reading
科学的とは一神論だと思います 最終的には神に委ねるしかない 科学的な解明は神と同じく無謬であるから疑うことを許されない

憲法を金科玉条のように敬い奉るのも やはり一神論に通ずる思考のような気がします 憲法は無謬であって絶対服従しなければならない 現実にそぐわない部分は いろいろな解釈で呪文を作り出します
(とくに自衛隊について「専守防衛」とか「自衛権」とか「必要最低限の武力」とかです こんなお呪い唱えてる国ありません 専守防衛なんて本土決戦と同じこと 制海権・制空権を失ってる状態です 戦いの原則は優勝劣敗です 必要最低限の武力では自衛隊員を犬死させるだけ)

日本独特の宗教観として 神と仏の併存があります 神は本来自然事象のことです 多くは荒ぶる神で人の手の及ばない領域です 仏教は諦観ではないでしょうか 釈尊の教えも自然+利害関係(四苦八苦)をあるがままに受け入れる 受け入れた上で解脱します

仏教が日本に入ってきたとき呪力合戦が行われました 結局仏教の法力が勝って受け入れられました おそらく中国から朝鮮半島を経る際に お釈迦様の教えから変質したのです(半島は「怨憎会苦」大陸は「求不得苦」に囚われています)
仏教とくに大乗仏教が成立したのは東アジアです 大陸・半島ともに単なる通過地であり仏教は根付かなかった それどころか仏教国のチベットなどが迫害を受け続けています

小さなテントウムシダマシが植木鉢の縁をぐるぐる回っていました 翌朝ベランダを見るとまだ回り続けています きっと円周率を計算しているのです
植木鉢は円環なのだからいつまで巡っても答えに行き着きません でも大切なのは計算し続けるという科学的な態度なのです

幸いにテントウムシダマシは飛ぶことができます お天道さまに向かって飛び立ったようで その日の午過ぎには姿を消していました 呪文を唱えることをやめ 祈る賢明さを知っています

註釈

註釈
01 コペルニクスは聖職者でした 当時主流だった天動説は観測結果との整合性がなく(当たり前ですが) 神の造った宇宙はもっと整然として矛盾はないはずだ という立場から発想の転換をして地動説を唱えたのです これならシンプルに説明できます 教会にもこの説は受け入れられました 後の世にガリレオが迫害されたのは宗教改革のトバッチリです
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