コンテンツへスキップ →

カテゴリー: 情報戦・心理戦一般

ダンダラ羽織 長すぎる紐

目立つことと実用性

新選組といって思い浮かぶのが 誠の旗に浅葱と白のダンダラ羽織です 芹沢鴨が高島屋だったか大丸に注文していますから(代金を支払ったかどうかわからない) 初期のころ新選組が 浅葱地に白い山型裾模様の羽織を着て 誠の旗を押し立て京の街を巡邏していたのは事実でしょう[01] … Continue reading
浅葱色と白の取り合わせは大変目立ちます 新選組の存在を誇示するとともに防犯の意味があったと思われます 武装した隊列が派手な制服で市中を警戒するのは大変有効です 京都の他の半分を受け持っていた見廻組にそんな発想はなかった 旗本の次男・三男坊を駆り集めた官製の組織と 浪士が集まった自由な組織の違いです[02] … Continue reading

ところで羽織は本来正装です 活動的ではありません 刀を振り回すには具合が悪い 八丁堀同心も市中見廻りには 羽織の裾を巻き込んでいました 大刀にかかると邪魔ですから とくに羽織紐が邪魔です 武士の羽織紐は町人より高い位置に取り付けます 刀を抜くとき邪魔にならないようにです そこであの長い羽織紐です 結び目を後ろに回してあるので邪魔にならず すぐに脱ぎ捨てることができます 羽織を脱げば下は着込や撃剣の胴と 双篭手・脛当て等で身拵えしています[03] … Continue reading
とはいえ羽織着用の巡邏はやはり隊士に不評で やがて誰も着なくなったそうです 池田屋事件で名を馳せてから新選組は誰も知る存在となりました テロル集団である薩長はますます過激化していきます 京都守護職会津藩の別働隊として治安警察・諜報・特殊作戦の役割を担った新選組は 隠密活動が多くなり 目立つ隊服は着られなくなります

身拵えも刀も飾りじゃない

剣術の稽古に用いる胴着は筒袖です 野良着から来たもので動きやすさを重視しています 通常袴を付けますが これは稽古相手に足元が見えないようにです 相手の太刀をギリギリで避け その動きのまま攻撃に移ります この理合は腰を据えて足捌きで行うもので 上半身や小手先で動くと 相手に読まれやすく体軸がぶれます
切り合いの場に向かうときは 襷掛けで袖をくくり 股立を取ったり裾からげにします 足元は草履で固めます 鉢巻をするのは汗が目に入らないようにです 刀は外帯に差します 外帯は甲冑姿のときに使っていました 介者剣法を伝える戦国以来の古流では外帯を用います[04] … Continue reading 白い鉢巻に白の襷 外帯も白の出で立ちは 仇討ちの映像ですね 昔の映画は考証がしっかりしていました

江戸時代中期以降は刀は武士の装飾品になり 細身の刀や落し差しなどが流行しました[05] … Continue reading 北辰一刀流の如き竹刀に特化した道場剣法 居合抜き・抜刀術といった曲芸・見世物のような刀技 あるいは刀礼だの血振りだのと作法ばかり 柳生新陰流のようにことさら神秘化したりと 刀は文字通り武士の魂と化し 精神論で語られ実用が忘れられたのです
天然理心流がどのようなものか詳しくは知りません 多摩の土豪である西党は徳川の恩顧を受け 西国からの侵攻を食い止める役割がありました 国境警備隊です 伝えられる天然理心流が実戦を想定したものであることは確かです さらに京に上って以来は 同様に実戦剣法である薩摩の薬丸自顕流などと対決して ますます技が磨かれました

(6月27日追記=ドラマ「青天を衝け」を見ましたら 土方歳三役がダンダラ羽織の上から外帯をしてましたね あったかも知れないがやはり袖が邪魔になりそうです それと残念ながら羽織紐の位置が低すぎます)

註釈

註釈
01 浅葱と白は死装束の色です 自分たちは命を捨てているとの意志を表します 現在の葬儀では鯨幕と言われる黒白の幕を用います これは昭和に入ってからの都会地のことで それまでは浅葱色と白色の二色段だら幕でした
02 芹沢鴨のあと実権を握った試衛館派は 会津公より新選組の名を賜り のちには徳川のお抱えとなります 近藤と土方は正式に旗本に取り立てられました 名実ともに正規の機関であって 浪士組ではありません
03 町方同心の姿を描いた 江戸時代の絵図を見れば分かります 羽織紐の結び目が胸の位置にあります 刀の柄に紐がかかるようではいけません それは町人羽織です 太平の世といえど 武家の服装は二本差を前提とします
04 宮本武蔵の立ち姿の肖像画を見ると 肩衣の上から外帯をし刀を差していますね これはどういうことなんだろう 当時は羽織を着ることがなかったのかもしれない 肩衣なら袖がないから邪魔にならないし 刀を抜きやすいのは確かです
05 太平の世になってから 外帯に刀を差すことはなくなりましたが 武家は兵児帯をするものです 着流しに角帯の浪人者なんて 本当にいたのだろうか 角帯に刀を差したら落し差しになってしまいます 廻り同心は当然カンヌキ差しです 大刀の柄頭が正中線にくる位置に差します
コメントは受け付けていません

一七条憲法

紀元前500年ころ 釈迦・ソクラテス・孔子が現れ それぞれに教えを広めました 三人はおおよそ同時代の人です とくに孔子と釈迦は交流はないにしろ 互いのことを知っていた可能性があります
500年の後 イエス・キリストが誕生します 西洋の暦法では この時を紀元0世紀とします
そして西暦500年前後には マホメットと聖徳太子が生まれています この二人は同時期と言っていい[01] … Continue reading

聖徳太子は一七条の憲法を定めて 日本の国体のあり方を示しました 一七条憲法の根幹は 神道と儒学および仏教に基づきます 宗教と倫理・法律は密接な関係があるのです 宗教家でなくとも偉大な指導者といえます
吾国の始まりは 上古の神話に描かれています 神道は国の成り立ちの根本です 国成りて君臣のとるべき道は儒学に範を求めました 対外的な体裁を整える意味があったでしょう 仏教は他の宗教と同様 人が生きること死ぬことへの思惟です[02] … Continue reading

聖徳太子が それまであった古代信仰を系統立てた国記・天皇記(帝紀・旧辞と同様に原本がなく内容は不明です)を表し 日本のあり方が意味づけられました 随・唐の伸展から文化政治の圧力が強まり 日本も国家意識を持たざるを得なくなったのです[03] … Continue reading
国記・天皇記は失われ 後代に日本書紀が編纂されました 聖徳太子および一七条憲法は日本書紀に記されています 古事記と異なり日本書紀は漢文で書かれています 外交を想定し吾国の主権と独立を明らかにする書物ゆえです

世界に先駆けた十七条憲法同様に 近代憲法も為政者に対する規制を定めたものです つまり権力の規定と制限です 権利には義務がともない権力には責任がともないます それを定める憲法は 最高の法規とされます
他の法規の上に立つのは どのような権威によるのでしょうか キリスト教国の憲法は 神の導きが規範となります 法律は人間の作った決まり事 さらに上位の真理に則さねばならないのです[04]プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です イスラム教国でも 世俗権力の上に宗教指導者が君臨します

儒学は中国で起こり日本へ伝わりました 仏教はインドから中国を経て日本にやってきました いずれも彼の地では 民間信仰として僅かに痕跡を留めるのみです ひとり日本で独自に栄え花開きました
しかも吾が国民は 古来の神道を棄てることなく 仏教にしろ儒学にしろ 外来の教えを 自家薬籠中のものにしています その精華が一七条の憲法です 仏教を前面に立てているように見えますが 神仏混淆の日本型仏教です 日本仏教は聖徳太子が成しました

儒学の根本義は天性 人として生まれた時からある本性に基づき 社会生活での人との関わり 人間としての生き方(現世での規範)を説きます 仏教は生きることを輪廻転生と見ます 生と死は繰り返され そのこと自体が煩悩です 生きることの四苦 人間関係の四苦 合わせて八苦から免れる法が悟りです

吾国の原初信仰がどのようなものだったか 想像するよりありません しかし神話にその姿を保ち続けているはずです 日本民族の心の在りようは 聖徳太子が道破されたように和です[05] … Continue reading 儒学であろうと仏教であろうと おおどかに全てを受け容れます
寛容の文化日本は争いを好まず あらゆる価値が共存します そのうえで中心となるのが天照大御神であり 天孫たる天皇陛下です 外来の神 もとよりある地神(くにつかみ) みな順らうて大いなる和の国となります[06] … Continue reading

このような国体である日本が 一神教のキリスト教と相容れないのは道理です キリスト教は唯一の価値しか認めません ただ一つの正義以外は悪となります 正義を振りかざして 争い戦い侵略する宗教です[07] … Continue reading
世界には成文憲法を持たない国がいくつかあります 古くからの歴史があり建国の由来を成文化できないためです すべての法は慣行・慣習に従います この法律以前の倫理道徳は その国の宗教や古来から伝わる掟に基づくのです

明治の帝国憲法も現行憲法も 西洋からの借り物です 根底はキリスト教の価値観です どちらの憲法も日本の歴史国体とは合わず様々な矛盾が生じました とくに問題の多い現行憲法を神の如く崇め奉るのは異様な姿です[08] … Continue reading
日本の国体にふさわしい 建国の理想は一七条の憲法ではないか 吾国の有り様は1400年経とうと変わりません 変わってはならず 変えてはいけないのです 今の世界と国内の情勢に必要な規定は 別に基本法で柔軟に定めれば済みます[09]歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります

太子の作られたそのままを今の世に当てはめるのは いかになんでも無理がありますから変える必要はあります まず国の基礎として仏教を前面に出してはいけない(仏教が勢力を持つに従い改竄した可能性があります) 神仏混淆が根付いていても日本に国教はありません また漢意である儒学も国風とは相容れないものです 聖徳太子時代には家制度がなかったので弊害を免れました[10] … Continue reading
国是は和をもって貴しと為すです その背後にある建国の由来と人々の心のありよう すなわち日本は神話の国であるということが大切[11] … Continue reading 神国ではありません 神社神道・国家神道は明治に作られたもの 太子が制度の範を儒学に求めたように政治とは分かたねばならない

神話と宗教は別です 神話は悠久の時を物語ります 日本は1万年以上続く文化を持つ高貴な伝説の国 やまとごころは 清く明きこころ 勁く直きこころ 国民の生活は日本仏教に基づき儒学の家制度を排すべきです[12] … Continue reading 憲法は誇り高く崇高であるべきかと思います[13] … Continue reading

註釈

註釈
01 釈迦・ソクラテス・孔子・キリストを4大聖人とするのは キリスト教徒の言い分です 孔子とソクラテスは宗教というより哲学者(生死を論じていないので儒教ではなく儒学というのがふさわしい) マホメットのイスラム教も世界的な宗教です 一神教はキリスト教のみとしたいのです
旧約聖書(創世記)が編纂されたのは 釈迦・ソクラテス・孔子と同じ紀元前500年頃のことです モーゼ・ユダヤ教は世界的とはいえませんが キリストは最初ユダヤ教徒であったわけで 旧約聖書は神話で新約聖書は教典という感じですね 聖徳太子は私が付け加えただけです 宗教家でも哲学者でもない やはり政治家でしょうか
02 日本に伝わったのは大乗仏教ですから お釈迦様の説いた教義とは変容しています 個人や教団での修行より「愛憐済民」の心で衆生を救う 政治的なものでした 社会インフラの整備 薬師寺による施療など貧民救済です
仏教が朝廷の庇護のもと広まり 寺の建立等の僧たちの熱心な活動は 辺境の地にまで道路を開き 経済交通の活発化をもたらす契機となりました のちの時代の弘法大師の事績と言い伝えられる 数々の公共事業に通ずるものです
03 当時の朝鮮半島は三国時代でした 聖徳太子は高句麗・百済・新羅の各地からアドバイザーを招いています すでに任那府は機能していなかったため 偏らない正確な国際情勢を読み取り 隋・唐と主体的で対等な外交を推し進めるためです 高句麗と随の関係も当然把握していたでしょう
小野妹子を隋に遣わした際の国書に「日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙なきや」とあるのは 日本の主権と独立を明記したものです 日本の天子が隋の天子に書を遣わす お互いは対等だといっています 聖徳太子の情報収集・状勢判断・外交戦略の成果です 外交は情報戦・心理戦であることを知っていました
朝廷・王朝の朝は政を表しますが 本来の字義である夜明けは日本(ひのもと)から来る 国名を日本というようになったのは この国書からと思われます でも読み方はわからない (ふぃのもと)であったのか(にっぽん)(にふぉん)
04 プラグマティズムの国に見えるアメリカの裁判で 陪審員や証人が聖書に誓うのは 法律以前の正義に基づくという意味です
05 冠位十二階で明らかなように聖徳太子は 儒学を政治制度として取り入れたのみです 儒学には男尊女卑の思想が見られます 男が優れ女は劣るのは 生まれながらの本性だというのです これらは中国人の仕来たりであって 吾国にはなかったものです 日本は母系社会で家父長制など馴染みません 
徳川時代も武家に朱子学を取り入れています 明治政府はさらに儒学を庶民にまで強要しました いまだ日常生活に影響している家制度(家父長制) 長男が後を継ぐとか女系はダメだとかも全て 男女差別や長幼の序を重んずる儒教の残滓です 畏れ多くも皇室に対してまで家制度を強要する風を作りました
06 今も世界では民族間の争いが絶えません 吾国の人は長い年月をかけ 北方から南方からまた大陸から渡って 交流し混血し列島全域に居住していました 狩猟採集の石器時代すでに集落間の交易があり 農耕と漁業主体の縄文時代に至れば それぞれの地域で海山の恵みを頂き 風土と共に生活していたのです 争いはなかったと思われます
弥生時代に入り 水稲米が栽培されるようになると 食料が安定し人口が増えます 水稲は陸稲と異なり大規模な装置産業です 水田に適した土地と水利を巡る部族間の争いが起きます これを鎮め和らぐのは 稲作に欠かせない太陽神の子孫である日御子です 大いなる和をもって統べる皇統の始まりといえましょう
07 イスラム教も一神教ですから ただ一つの真理コーランに従わない者には剣を向けます コーランは内容からいって部族の掟に近いものかもしれない 仏教が戦わないということはなく ミャンマーのロヒンギャ問題は仏教とイスラム教の戦いです
ミャンマー(ビルマ)は仏教国でした そこにイスラム教が進出しイギリスによる植民地支配があり 今日の国情の乱れを招いています 日本でもかつて僧兵の強訴や一向一揆がありました 戦国時代では切支丹伴天連による侵略に対抗した勢力でした
08 現行憲法は英語の原文があります 日本書紀が漢文で書かれた理由と違い アメリカの価値観で作られたからです 日本の伝統・歴史を否定することが目的です ですから改訂・変更でなく廃棄しなければならないのです
09 歌手であった三波春夫さんの著書「聖徳太子憲法は生きている」が大変わかりやすく書いてあります
10 「世の人心は歓欣して流通するを貴び、大法をもうけて、はなはだしきを制すまでにし、質素節倹などの政令はかならず下すべからず。しかし、政府要路の人びとには質朴をおこなわせ、かならず驕奪の風あらしむべからず」 池波正太郎氏が紹介している 西郷隆盛が書いた政治意見書の一部です 一七条憲法の精神そのままです 西郷どんは聖徳太子のことなど意識していなかったと思います でも心は受け継いでいたのです
儒学にしても孔子の教えは 為政者に対して高い徳を求めていました しかし中国人の選民意識は平等という概念がなかったようです 孟子の代には出世栄達し権益を得ることが良とされるようになりました 中国人は拝金教なのです
11 私は「和をもって貴しとなす」を 八百万の神々が対等であった縄文の心に帰れとの教えと解釈します 神道に教義はありません 文字で書かれた時間が歴史 神話は歴史を排し時間から自由です だから悠久を語る神話は今に生きます
12 日本の伝統・歴史に即した憲法ができたら 日本書紀に習い英語バージョンも作ったほうがいい 何しろ日本固有の価値観に基づく憲法ですから 外国には理解し難いところがあるはずです 妙な形に翻訳されては困ります
Japan is a land of eternal time and noble myth,The people who live there have the Yamato mind.The Yamato mind is a pure and clear mind, a strong and candor mind.
13 日本国民は・・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは・・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 現行憲法前文の抜粋です 自らの価値観ではなく他国に従うと言っているのです こんな卑屈な憲法を奉ずる国はとても独立国と言えません
コメントは受け付けていません

たれ スープ ECO

納豆のタレ

スーパーで売ってる スチロール・パック入りの納豆に タレと称する小袋が付くようになったのは いつ頃からでしょう

コロナ禍でテイクアウトが多くなり 今まで出前もやらなかった寿司屋さんが 持ち帰りを販売するようになりました そんな中ある寿司屋さんで買ったパックの中に 醤油が入ってなかったと文句を言ってる投稿がありました 醤油の小袋を入れるのは常識だろうという書き方です してみると醤油を常備している家庭が少ないのかもしれない[01] … Continue reading

納豆のパックには 辛子の小袋を付けたのが始まりです その後タレの小袋も付くようになりました 以前は納豆に生醤油をかけて混ぜるだけでした 薬味といえば刻みネギです 辛子を使った記憶はありません[02] … Continue reading

納豆のタレなるものは醤油ベースのようです 妙に甘ったるくて人工的なダシ味が馴染めず使いません 納豆に鰹ダシ風味という発想がそもそも理解できない[03] … Continue reading 取っといても使いみちはないので結局捨てることになります

ラーメンスープ

カップヌードルの残ったツユを固める粉ができた⁈ 固めて容器と一緒に捨てるのだそうです カップヌードルはその名の通り ヌードルスープとして開発され コンソメスープがメインで麺は具の扱いだったはずです

ラーメンでもスープが命と言ってたはず 街の中華屋さんでチャーハンを頼むと ついてくるのは 白髪ネギを入れたラーメンスープでした 味の素をこれでもか というほど入れてました 今はどうなんでしょう[04] … Continue reading
なんとか系ラーメンの真似か 今のカップ麺はなべて 下卑たドギツイ味が主流です[05] … Continue reading 辛うじて麺は食べられるが とてもスープを飲み干すなんてできない 残す捨てるのが前提の味付けです

ずいぶん昔のこと 歌手のみなみらんぼうさんが 山登りしてコッヘルで作るインスタントラーメンが美味いとラジオ番組で言ってたことがあります その後なんかの投書でらんぼうさんを非難する人がいました
エコロジストを気取っているが 山にラーメンのスープを捨てるのは自然破壊だ といった内容です この人はラーメンスープは捨てるのが当たり前なのです 自分だけでなく全ての人がそうすると思い込んでいる[06] … Continue reading

エコロジー?

あまり見かけなくなりましたが ひところ天ぷらなどに使った後の油を 捨てるための商品がいくつかありました 固めて捨てるだの浸み込ませて捨てるというものです 各家庭で出る大量の油を川に流したら海が汚れる 最もです そんなことをしてはいけません
一度使っただけの油を捨てるなんて バカげたことをするようになったのは 気取った天ぷら屋が 油を一度しか使わないと吹聴するのを TVで盛んにもてはやした影響からです
家庭では 精進揚げに使い 魚介天ぷらに使い フライに使い 竜田揚げに使い 最後は炒め物で使い切るのが普通のことでした 土井勝先生の頃ですね 油を多用する中華料理も油を使い回していました 油漉しは必需品だったのです

スーパーでレジ袋を渡さくなって 海はきれいになったのでしょうか 地域によりますが家庭ではレジ袋をゴミ袋として使っていました 海のプラスチックごみに占めるレジ袋は どの位の割合なのか 日本近海の場合中国漁船が捨てる網やブイが多い気がします 検証することもできないでしょうね
以前はスーパーの袋といえば紙袋でした この袋もゴミ袋として使っていたのですが 生ゴミを入れると濡れて破れてしまいます プラスチック製レジ袋になったのは製造原価と丈夫さからです ゴミ袋としても便利に使えました いまやゴミ袋(レジ袋)は買わなければなりません スーパーでレジ袋を使わなくなっても 同様のものを買ってゴミ袋にしています スーパーで買うと5円ほどです まとめて売ってるのはそれ以上の価格です 余計な出費と不便になっただけ[07] … Continue reading

いったい何の意味があるのでしょう エコでもなんでもない それよりも大量の食品廃棄をなんとかする方が先決です 食べ残しや飲み残しを平気でゴミとして捨てる 全然品質に問題がない食品を 賞味期限切で返品したり捨てるのはエコなんですか[08] … Continue reading

4月30日追記=中国で「反食品浪費法」なる法が施行されるそうです 食べ残しに罰金を課すというのです なんと言ってよいのか 見習うべきだろうか もともと中国は食べ切れないほど料理を出すのが慣習です そして料理を食い散らかし残すのが礼儀なのです
日本のように自然の恵みを感謝して 残さず頂くなんて発想はありません なにしろ酒池肉林が称賛される国です 昔は残飯を下賤のものに与えたようですが 人民共和国の今はゴミとして捨てます それを糺すのに法をもってするのも中華思想といえそうです)

2022年8月18日追記=スーパーのレジといえば 最近セルフレジが増えています 最初の頃スーパーではレジ打ちの人の隣にサッカー係がいました レジに打ち込んだ商品を手早く紙袋に入れます やがてサッカー係はいなくなり 客は自分で袋詰するようになりました 人件費節減のためですね それがついに客にレジ打ちをさせるようになりました(バーコードを読み取らせるのですが) 今までパートの人に給料を払ってやっていた作業を 客にやらせるまでになったのです 対価としてレジ袋を無料にするのなら分かりますけど ヨークマートなんか有人のレジは一つだけです 店の都合だけなのがあからさまです いかにもセブンイレブン系列ですね)

註釈

註釈
01 どんな寿司でも醤油を付けるというのも ちょっと違和感があります アナゴやコハダ以外の握り寿司ならそれでいいのですが 海苔巻きとか稲荷寿司にまで醤油の小袋が付いています それとワサビの小袋もですね(機械がシャリを握って それに魚の切り身を乗せるだけ サビを入れる工程がない) 海苔巻きや稲荷寿司をワサビ醤油で食べるのだろうか
02 納豆に辛子を添えること自体は 昔から行われていたようです 太子食品工業によれば アンモニア臭をごまかすためらしい ですから現在は特に必要ないものですね 私が子供の頃は冷蔵庫こそ普及してなかったが 朝納豆売りから買うもので アンモニア臭なんてありえない
03 越後小千谷は山崎醸造の3年味噌漬けを細かく切って 納豆に混ぜ込むのが好きでした おそろしく塩っぱいので醤油は入れません 夏場に醤油でなく塩を混ぜ入れる納豆もいいもんです 越後小出の大力納豆が作っていた 麹入りの塩納豆は大好きでした 完成された味なのでそのまま食べます 余計なものを入れる必要はない
04 ラーメンにレンゲをつけるのはいつから始まったのでしょう 記憶では札幌ラーメン(味噌ラーメン)が全国に進出した頃のような気がします 私はレンゲは使わないので邪魔でしょうがない ラーメンなんて上品ぶって食うもんじゃない 昔の煮干し醤油味に比べ品のない味付けになったように思います
05 私の世代は化学調味料の味に慣らされたかもしれません 次世代の人は蛋白加水分解物の味が標準です その子である人たちがハッキリした味を好むのは自然な流れでしょう 日本人の味覚が壊れたとまでは言いませんが(アメリカ人の味覚は壊れています)
このごろ鍋のタレと称する奇妙なものがあります 鍋はツユとかタレではなく下地です そのうちおでんのタレなんて言い出すことになりそうです 天丼もタレとか言ってます 天ぷらは天つゆで天丼は丼つゆだったが
06 ラーメンのスープを残すのは 塩分が体に悪いといった健康情報が広まって以来です 油分も健康的でないとかいって肉の脂身を残したり 極端なヘルシー料理評論家みたいなのが 天ぷらは衣を剥がして食べると言ってたことがあります ただの馬鹿ですね
07 この頃はスターバックスやマクドナルドが プラスチック製ストローの使用を取りやめています これらの企業は今まで使用済みのストローを選り分けて わざわざ海に捨てていたのでしょうか 蓋はプラスチックのままでいいのか
スターバックスなんかはもともと立ち飲みなんで 紙コップに蓋をしてストローで飲んでいたのでしょう 私はコーヒーをストローで飲む趣味はない 子供のころカルピスのキャラクターの真似をして ストローを使った記憶はあります
08 昔は街角にコンクリート製のゴミ箱が置いてあり そこに家庭ゴミを捨てました 東京オリンピックが開催されるとき 見た目が悪いということで撤去されたのです 代わりに積水の青いポリペール缶を各家庭が買わされました
それもなくなり 家庭ゴミは袋のまま捨てるようになりました とくに食品が小分けにされ 使い捨てのプラスチックのトレーに入れて販売するようになり ゴミの量は増えています 感覚的には生ゴミだけだったら十分の一の量だと思います
コメントは受け付けていません