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カテゴリー: 日本の伝統・本流

海苔巻きに茶碗酒

太巻きが嫌いです 海苔巻きは 卵焼きや桜でんぶ甘辛く煮た椎茸などが入ったものがいい 太巻きが嫌なのは食べづらいからです
同じ太巻きでも房総の四海巻きは たいへん手のかかる巻物です これはほとんど寿司飯が占めているから そんなに食べづらくない だめなのは やたら具の多い太巻きです 寿司飯はほんの申し訳ていど これではまとまりません
海鮮系を使った太巻きは 寿司屋が土産として始めたのではないか 最近は裏巻きなるものもあります 海苔巻きの体をなしていない

海苔巻きの本来は食べやすさを求めているはずです 鉄火巻の由来は博打をしながら 片手で寿司を食べようという魂胆からと言われます サンドウィッチ伯爵が カードゲームをやりながら食事するために パンに具を挟んだのと同一の発想ですね[01] … Continue reading
零戦だったか隼が出撃するとき パイロットに海苔巻きを2本持たせました 海苔巻きなのは操縦しながら片手で食べられるよう 2本なのは行きに1本食べ 帰りにもう1本食べるため つまり生きて帰れよという 気持ちを込めてのことです

かんぴょう巻きといなり寿司の取り合わせ 助六寿司をつまみながら 茶碗酒もいいものです 淡麗辛口の大吟醸酒は似合わない 本醸造(普通酒)がいいですね[02] … Continue reading 茶碗酒といえばむろん冷やです 手間をかけないのが茶碗酒です
茶碗酒と同類にコップ酒があります 吉田類が行く居酒屋のほとんどが 受け皿にコップを乗せ わざとこぼして酒を注ぎます 吉田類はカウンターにコップを置いたまま口をつけて飲む あれは下品で見苦しいですね
たぶん銚子の袴(保温のためです)にヒントを得たのかと思いますが 昔もコップ酒はこぼれてもいいように 1合枡を受け皿がわりにする事がありました[03] … Continue reading

夏にも燗酒は飲みます 冬の燗酒は人肌燗からぬる燗 夏の燗酒は上燗と熱燗の間がよい 甘酒も麦湯(この頃は麦茶という)も熱いから暑気払いになるのです もう一つ暑気払いには 焼酎を味醂で割った直し(柳蔭)です[04] … Continue reading
これは冷やします 井戸に浸けてですから 15度くらいに留める[05] … Continue reading 試したことはないが 井戸水で冷やした白玉団子の白砂糖掛けは合うかもしれない 羽二重団子の付け焼きで酒を飲むことはあったようです

寿司も日本酒も焼酎も味醂も白玉粉も すべて米から作ります 瑞穂の国ですね 同じ米から これだけ多彩なものを創出するのですから[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 鉄火場で熱くなるのは客です 胴元はじめ博徒は博打をしません サクラ役はいたかもしれない 客にはそれなりの食事が振る舞われました 食事の時間も惜しんで何もかも巻物にする客はいそうです
02 うなぎを食べるとき 焼き上がるまでの間 漬物なんかで酒を飲んで待ちます この時の酒もあまり上等でないものがいい気がします うなぎは栃木市に食べに行くのですが ここで置いてる酒も秋田の普通酒です
03 テキ屋さんの元親分から お酌は八分目に注ぐもんだと教わったことがあります なみなみと注いだら客人の膝を濡らす恐れがあります テキ屋さんは寺社庭場の稼業人で 昔からのしきたりに通じています
なみなみと注ぐのはどこから来たのでしょうか 幇間が酒を注ぐときは 盃を持つ客の手の下に自分の掌を持っていくそうです 幇間の芸なのかもしれない 酌とは媒酌人や切腹の介錯と同じく 取り持つ・配慮する・手助けという意味です
してみると芸妓が酌をすることはなかったんじゃないか 酌婦というと別の意味になりますから 素人の婦女子に酌を強要するなど無礼千万な行いということになります
04 柳蔭はなかなか風情のある名です 味醂は究極の甘みを求めて作られた 高価な酒です あまりに甘すぎて生では飲めなかった 焼酎も江戸時代は高級酒でしたが 度数が高すぎました この二つの酒を取り合わせると 飲みやすくなるため 本直しと言われました ともに高級な酒を使ったカクテルです
教訓親の目鑑 俗ニ云ばくれん」この娘が飲んでいる酒は何でしょう かなり濃い色です 当時の諸白はこんなものなのか 腕まくりしているので直しかもしれません ワイングラスで本直し!! 寿屋(サントリー)赤玉ポートワインのポスターは これをヒントにしたのだろうか
05 井戸で冷やすくらいがちょうどいい 冷蔵庫でキンキンに冷やしたのでは味がわからないと思います そして井戸に浸けている間に焼酎と味醂が馴染みます 焼酎の前割りと同じことです 前割りは あらかじめ水で割った焼酎を素焼きの瓶に入れて 24時間以上おき燗をする飲み方です
焼酎のお湯割りなど以前はなかったそうです 焼酎の燗は大変手間がかかるので 仕事上がりのタクシー運転手さんが 薬缶のお茶で割ったのが始まりと聞きます どうしてもお湯割りにするのなら グラスを湯煎で温めておき まず湯を入れてから焼酎を注ぎます 決して焼酎を先にしてはいけません
江戸時代に富士見酒というものがありました わざわざ酒を船に積み込んで富士の見えるところまで往復します すると波に揺られた酒がうまくなるというのです ポルト酒(ポートワイン)やマディラワインも船底に積んでいたら味が良くなったといいます デカンタージュもそれに近いのかもしれません 焼酎の前割りの時間がなかったら 水と焼酎を入れた瓶を波に揺られる如く ゆっくりと50回ほど上下に返します
06 物好きに羊羹を大吟醸酒のつまみにしてみたことがあります 全然合わなかった 甘めの寿司や白玉団子(?)が酒に合うのは 同じ米から作っているからですね 日本酒と酒菜は調和の味と理解しました 洋酒でチョコレートやレーズンバターをつまみにすることがあります その真似をして甘いものを合わせてみたのですが やはりダメだった
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瑞穂の国

世界のあちこちに数千年前の遺跡が残ります 日本は木の文明なので石造り等の建築物はありません しかし土器などは縄文時代から作られていて 精緻なものが発掘されます[01] … Continue reading
日本独自の文化・文明はじつに1万年以上前から続くのです
ただ弥生時代を境に大きな変わり目があり 縄文文化は底流を流れるものとなりました 理由はおそらく米作(水稲米)の普及です 収量が多く安定した生産が可能なコメにより 食を初めとした生活に変化がもたらされたと思われます

日本が他文明と違うのは 縄文時代からの文化が今でも脈々と受け継がれていることです かつてあった文明の遺跡が残るわけじゃなくて 縄文の人たちは我等のご先祖様なのです
縄文時代の編布と同様の野良着は 昭和初期の農村でも使われていました 縄文早期すでに漆塗りや藍染めもあったのです
底流に沈んだとはいえ 縄文文化は途絶えていません 信州の諏訪大社はもともと狩猟の神を祀ったものらしく 鹿の首を生贄に供えていたそうです イヨマンテの祭りのような祭礼が行われていたのでしょう

多様な食生活の縄文文化は 豊かであった言えます 海・山・里から四季折々の恵みをいただく さらに下草を刈ったりと手入れを行い 芋・栗などの栽培もする マタギの伝統も伝わります 自然と共存する生活でした
コメは栄養豊富で1株あたりの収量が多く 乾燥するだけで貯蔵が可能と 大変優れた穀物です そのため日本の歴史に パラダイムシフトをもたらしました 集約作業が必要な水稲米が主食となり 農耕を中心とした社会構造に変わる とはいえその変化は長い時をかけ ゆるやかに起きました

水利を確保し水田を作るのは 集団でやらざるを得ない大事業です コメの生産は田植えも稲刈りも短い期間の集約作業です そこには統べる者が現れます 栽培穀物は収穫時期が決まっており 集団作業なので数量の把握もできます 管理社会(クニ)の誕生につながりました
稲作の神である太陽神信仰から 原初の神道が始まります そして日御子から天皇が祭祀を行うようになります 今でも天皇陛下が即位されるときは 祖先神に稲穂を供えるのが最も重要な儀式です[02] … Continue reading

水稲米生産にもっとも大切なのが水と太陽です 太陽を制御することは不可能なので 祈るしかありません 水の制御はある程度可能です コメ栽培の発展は灌漑等 土木技術の発展に支えられました
水に恵まれ水捌けがあり 日当たりも良い土地に 水田が作られるようになります 水田は集団で農耕しますから やがて村が形成されていきます(村の最初の姿は 同族同士の集まり「結」「蒔」だったでしょう)
天候の不順により水利権を巡って 村同士の争いが起きることがあります これを調停するのは太陽神の子孫である 朝廷ということになります 大宝律令で水田を国有としたのは 争いを収めるためでしょう[03] … Continue reading

コメは貴重で有用な作物でしたから 糧食だけでなく税や資産とされました 皆がより多くのコメを得ようとします そのためには水田を増やす必要があります 区分田は私有なので盛んに開墾が行われました
しかしながら水利に恵まれた土地は限られます 水利から始まり水田の奪い合いが生じます 村というか豪族荘園同士が武装し コメ(水田)を巡って争ったのです やがて武装農民である武家が中心勢力となっていきます

米作農民が勢力を拡大し 一定の版図を持つ豪族が各地を実効支配するようになり それが嵩じて戦国時代を迎えます[04] … Continue reading 戦国時代が終わり徳川の世になっても やはりコメだけが唯一の資産とされました 武家はどこまでいっても武装農民だったのです
コメにばかり頼る食生活では 日照りの水不足や寒冷気候で不作になると飢饉が訪れます 徳川の世が終わったのも 行政の予算(人件費)がコメを基準としていたのが原因です 鳥羽・伏見の戦いで不足した戦費のために 新田開発を進めようとしたくらいですから

註釈

註釈
01 縄文土器といえば 火焔土器に代表される 大型土器をイメージするのが普通です 同時に実用的な小型土器も数多く発掘されます しかも それらは今日私たちが日常使っているものと 大きさも形もほとんど同一です 急須のような小物も使われていました 当時から茶を喫していたはずないので 何かを煎じるためでしょうか
02 古事記に見られる国生みの神話は ドロドロの所をかき混ぜて水と固地にします どうも水田づくりの土木工事のように思えます 素戔嗚尊の項で描かれる水田は平地に作られているようです この頃(大和朝廷)には灌漑工事も進んでいた ということになります
03 のちの戦国時代は要するに 水田や水利をめぐる争いが発端です 守護大名等が調停していましたが 権威がないので豪族は言うことを聞かないのです 秀吉は関白に家康は征夷大将軍となって 戦国の争いが治まりました しかし信長はコメを基盤とせず 自らが権威となるつもりだったようです
04 戦国時代後期から 石垣を積み堀を巡らせた城が作られるようになります この石垣も水堀の水管理も すべて棚田を作る技術の転用です 棚田が適地に造りつくされると 川の中洲や平地やがて沼地へと拡大します この場合は灌漑作業が必須です 水田造りは装置産業であり土木作業なのです これらの技術がすべて城づくりに生かされています
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犬・猫の昭和時代

昭和の犬の生活

子供のころ 近所にジョンという名の雑種の赤犬がいました ジョンはちゃんと首輪も鑑札もつけた飼い犬です でも昭和の田舎町ですから 紐には繋がれず放し飼いです とてもおとなしい犬で 吠え声を聞いたことがありません(満月の夜に遠吠えするのは何回もありました)
自由に自分のテリトリーを歩き回り 学校帰りの近くの子供たちと一緒に 走り回って遊ぶ毎日です ときどき飼い主の家に行って鎖を借り 散歩に連れていくことがありました でも自分のテリトリーの境界に来るとピタリと立ち止まり そこから先へは一歩でも踏み込みません 明確な一線があるのです

同じテリトリー内に洋犬とノラ犬がいました 3匹の長はジョンでした(年の順なのかな) 洋犬の名は覚えてません(学校の先生の飼い犬です) 黄犬のノラは皆からエスと呼ばれてました 悪ガキがエスをいじめると 近所のおばさんから叱られましたが 必ずジョンが間に割って入り そんなことをしなさんなと 目で訴えるのです
リーダーの役割なのでしょうが健気でした 可哀そうだったのは洋犬です これはいつも紐で繋がれており ジョンやエスと一緒に遊ぶことができません 餌には恵まれても群れに入れず いつもしょんぼりと寂しそうでした ジョンとエスが一緒にいるときお八つをやると ジョンはエスに譲っていたような記憶もあります 犬に窘められるアホなガキは放って置きましょう

私がそこに引っ越したときジョンは かなりの老犬だったみたいで 何年も経たないうちに亡くなりました その時はすでにジョンの娘が成犬になっていました 見分けがつかないほどよく似た娘です よちよち歩きの娘を連れて 近所中にお披露目の挨拶に回っていた姿を覚えています
年老いたジョンは飼い主の畑の中ほどに 自分の体が入るくらいの浅い穴を掘り始め その中に踞るようになったのです 飼い主のお兄ちゃんが抱いて家に連れ帰るのですが 必ず脱走して穴に戻ります 終いにはお兄ちゃんも諦めて 好きなようにさせていました そしてジョンは食べ物も水も受け付けなくなりました
お兄ちゃんから 邪魔をしないよう遠くから見守るだけにしろと言われ そのようにしていました ある朝いつものように遠くから見ても まったく身動きしないので 側に行ったら冷たくなっていました すぐにお兄ちゃんへ報告に行きました お兄ちゃんは泣く泣く家に連れ帰り どこかで荼毘に付したようです 最後はジョンが自分で掘った穴をさらに掘り下げ そこに遺骨を埋葬しました

昭和の猫の生活

猫を飼っている家も何軒かありました みな座敷猫で外に出ることはありません なので どれだけの家で何匹いたのか分かりません
ノラ猫が1匹いました ある時どこかからやって来て住み着いたのです 皆がタマと呼んでいましたが 誰が言い始めたのか エスと同じで由来は不明です
タマは雌猫ですぐに孕みました 近くの家が壁面に造り付けていた物置を産屋にし 以来そこをネグラにするようになりました(どの家にも冬用の薪炭のため小屋がありました) 親子とも三毛だったか白黒のブチです 古いことでよく覚えてない

近所の人たちは 夕食のおかずが魚のとき 食べ残しの骨を玄関の先に置いておきます(当時ノドグロは普通のお惣菜で煮付けで戴きました) タマは辺りの家を一回りすれば 1食になります 仔がいるので ネズミなど小動物も狩っていました
餌が足りないと 家の玄関でミャーミャーと托鉢します その時は煮干しの二三匹も喜捨します タマはお行儀がよく 隙を見て家の中に入り込むことは決してしません

誰もが貧乏な時代でした まだ配給米の頃です お隣に米を借りにいったこともありました 悪ガキどもの食欲は旺盛だったのです 戦時中に飢えていたという報道はフェイクニュースです 非常時なので規制・統制はありましたが 食料が行き渡らないなんてことはなかった 食糧難で四苦八苦したのは敗戦後のことです[01] … Continue reading
人が乏しい中から分け与えても 食糧不足はタマの仔たちの命を つぎつぎに奪い 成猫になったのは1匹もいません そしてある時から タマの姿を見かけなくなりました
どこか近くの街へふらりと現れ 同じような生活を送っているのかな あの礼儀正しさというか 付かず離れずの人間社会との関わり方は 流浪の生活で身につけたのでしょう

分を弁える

人も犬も猫も互いの生活を認め合い それぞれが相手の邪魔をすることも立ち入ることもない 自分たちの領域を守りながら共存していた そんな昭和の生活だった気がします
かつてのアホな悪ガキのノスタルジーと 自分の中でいつの間にか美化される 記憶の所為ばかりとも言い切れません エスは市役所の野良犬狩り[02] … Continue readingに連れて行かれたかも知れない 狂犬病の話がありましたから
夜家の中で「ジョン」と呼ぶと 玄関にまでやってきました 玄関は引き戸で鍵は掛けていませんから 前脚で開けて入るのです 先代亡き後の娘もジョンの名を継いでいたのですが まだ小さい頃は戸を開けられなくて玄関先で佇んでいました
それにしても飼っている家と我家は 直線距離で50メートルくらい離れています 聞こえるんですね 野良猫は「タマ」と呼んでも返事もしません 自分のことをタマだとは思っていないのです

註釈

註釈
01 配給制度は戦時中からありました しかし食糧不足ということはなかった 食糧難は敗戦後です 行政の機能が麻痺し それに乗じた第三国人が闇市・闇ルートを作りました 農家としても配給米よりヤミ米として出す方が高く売れますから 正規の米が不足する事態になったのです
さらに在留朝鮮人は半島から中国式の朝鮮麹(粉麯・粗麯)を密輸入し いわゆるカストリ焼酎を密造して売り捌きました 粗製品で有害物質も入っていたものです 三増酒は合成酒を混ぜた酒ですが 密造酒対策として酒の増産のため作られました ヤミ米が横行し米不足のため酒にまで米が配給されず くず米で酒造りをしていました まともな酒を作れず量も足りない そこで合成酒の技術を応用して生産量を上げたのです 量もそうですが味も調整しているので 当時の純米酒より飲みやすいものでした
闇市による影響は昭和から平成まで続きました 大宮氷川神社の参道は2キロ近くあります 一の鳥居から二の鳥居まで闇市のバラックが立ち並び 強制撤去できたのは平成に入ってからです 闇市跡は地権者が不明であったり入り組みすぎて 土地を収用できず再開発の妨げとなったのです
皆が飢えていた敗戦後 鳩山一郎の音羽御殿に行くと 大広間に常に食事が用意されていました(第3国人とつるんでヤミ米・闇物資を手に入れました 鳩山由紀夫の人脈はこの頃からのものです) 昼時などは朝日をはじめとした大勢の新聞記者が群がっていたそうです 自由に無料で食べられました ある政治家の私設秘書から聞いた実話です
02 野犬(ヤケン)狩りという言葉は正確でありません 狩猟で野犬(ノイヌ)と野良犬(ノライヌ)は明確に区分されます 野犬は人里と離れて群れをなし 山犬のように野性の生活を送ります これは狩猟(駆除)の対象になります 人家の近くで同じテリトリーにいても 飼い主のないのが野良犬です 首輪をつけているかいないかの違いだけです ヤケンという用語があったかどうかは不明です
東松山市のセキュリティ会社 田村装備開発社長の御尊父である 田村憲道氏のお話を拝聴したところ 最近里山から動物が降りて来ての被害が多いのは 犬の放し飼いがなくなったからではないかと 指摘されてました 東松山は丘陵地帯ですから 昔は山の動物も身近だったでしょう(私も山で兎を追いかけたことがあります) それでも人畜に対する被害は少なかったのです 犬猿の仲という言葉は 人間に忠実な番犬と賢い野生の猿の関係を言い表しています 傾聴に値するご意見です
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