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カテゴリー: 日本の伝統・本流

これが外交・宣伝というもの

小沢一郎率いる100人を超える政権与党の民主党国会議員団が 胡錦濤に臣下としてお目見えの挨拶に行ったこと さらには国際的な慣習を横紙破りし 習近平を天皇陛下に拝謁させたこと これらの映像はすべて世界に発信されました(おそらく中国に跪く日本というキャプションを付けて)
そして尖閣諸島の領海侵犯 すべてが一直線につながっています 周到な準備と計画のもと行われた外交政策です 唯一計算違いが海上保安庁の憂国の士によるビデオ映像公開でした 仙谷由人を通じて揉み消そうとしたのは 映像の影響力が大きいことをよく知っているからです

たぶん小沢一郎は何の悪意も持たず 中国に言いつけられてやっただけだと思います 尾崎秀実ほどの信念で国を売ったわけでなく 規範となる理念・精神に欠けるため ただ功利のみで動いているのです(金をもらっていたかどうかまでは分かりません 師匠の金丸は金の延べ棒を金庫に隠していましたが)
元を糾せば 外交というものをまったく理解できない田舎者の田中角栄が 功を焦って日中国交という餌に飛びついたことから始まります 金丸信・小沢一郎もその頃から取り込まれていたのでしょう
一部新聞・社会党・日教組は文化大革命の前から中国の走狗(当人たちは善意)です 在中国大使館の外務省職員がエージェントに仕立てられていたのも記憶に新しいこと

これが外交・宣伝というものです 労働組合が支配する民主党サンジカリズム政権の時とはいえ 日本からすり寄っていって媚を売っているのですから 世界から見れば中国の方に正当性があることになってしまいます この事実を今さら取り消すことはできません
とくに天皇陛下に対して 習近平がふんぞり返って握手している図は 世界に向けた演出です 日本人は意識してませんが 国際的にこれは外交上きわめて重要です

世界の王族が一堂に会する時は天皇陛下が上座になります 我が皇室がもっとも古い伝統を持つからです ハイレセラシエ皇帝が廃されるまではエチオピア(ソロモン王朝)の皇統が世界最古でした(万世一系で継承されるところに意義があります)
外交は100年・200年先を見通してやることです さらに千年・二千年の歴史を背負っているのです 中国はあの写真一枚がどれだけ効果的か ちゃんと計算しています 中国が天皇陛下を政治利用しているのです
2016年5月14日追記=エリザベス女王が習近平・中国外交の無礼さを咎め叱責しました さすがイギリスきちんと世界にメッセージを配信します 通常このような発言はフィリップ殿下が担うと聞きます 習近平よほどの許しがたい非礼を働いたのでしょう やはり王室の権威を利用しようとしたのか 身の程を弁えない横柄な態度だったことは想像に難くない)
2023年5月9日追記=この度のチャールズ国王戴冠式に 天皇陛下が臨席されず 秋篠宮が名代で行ったのは 国際的な王族外交の序列に倣ったことです 我が皇統が世界で最も尊いとされているのです)

官僚・政治家は先の昭和大戦(大東亜戦争+太平洋戦争)開戦と敗戦の責任を取っていません 戦後処理も曖昧なまま朝鮮特需などと浮かれる始末です
責任を取るどころか 満州国に深く関わっていた官僚の岸信介は 小狡く立ち回り総理大臣にまでなりました 敗戦後自決を遂げられた甘粕正彦氏と対蹠をなす浅ましい姿です

きちんとやるべきことを行われたのは 昭和天皇お一人です 終戦の詔勅を発し 御自らマッカーサー司令官と会見し(国際的に見て実に意義ある外交です) 人間天皇宣言され 全国を行幸あそばしました 広大無辺の大御心 畏ききわみです
日本の外交の姿は 尊皇制覇であらねばなりません 国の尊厳は国民の精神に宿ります

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鯨を食べることは日本の食文化か

古来より日本人は鯨を食料としていました 食べ物のことで 他の国にとやかく言われる筋合いはありません ただし鯨を食するのが文化だといっても クジラベーコンや大和煮缶詰 竜田揚げではあまり説得力がありません
代用食や学校給食のイメージしかないので 食文化というのなら せめてクジラ汁を例にとらなければならないでしょう

江戸では12月13日の煤払い後に クジラ汁をすする習慣がありました

 江戸中で 五六匹喰う 十三日
 大名も 切り売りを買う 塩鯨

江戸時代の歳末は煤を払うだけでなく 年2回あった支払いの日です その日暮らしの者は掛け取りに追われ あるいは金策に走って一日が過ぎます
追われる者も追う掛け取り人も 除夜の鐘を聞く頃にやっと一息ついて 夜鳴き蕎麦[01] … Continue readingを啜りながら正月を迎える(大晦日に払わなければそれで済むということはなく 正月七日が過ぎれば残債の回収をしたようです) 
除夜の鐘が鳴るまで逃げ隠れする人はさておいて 商店では年末の支払いに来る人たちにクジラ汁をふるまっていました 半年分の金子だけでなく何がしかの品物を携えてきますからそのお返しです 昭和に入るまでこの風習は残ります

 鯨汁 喰うてしまえば 暇乞い

「日本永代蔵」に皮鯨の吸物のことが書かれています これは正月七日の設定で クジラ汁か雑煮をふるまってもらえるかもと推量する内容です(汁といった場合は飯 吸物は酒のときで 同じものです) 必ずしも年末だけのものではなかったのです
この話の舞台は京都ですから クジラ汁を食べるのは全国的なものであったのです おのずと鯨肉の消費量は多かったと思われます
クジラ汁そのものは もともと夏季の料理でした もしかしたら お盆の掛け取りの時にふるまっていて 歳末にも持ち込まれたのでしょうか
また江戸時代初期の料理書でクジラ汁の項は 妻として「ごぼう」「大根」のほか「茎立ち」「タケノコ」「茗荷」となっています とくに季節は限られていないようです

井原西鶴は市井の様々な生活を活写しています これが広く読まれ好まれたのは 皆が「なるほど、こんなことはありそうだ」と納得する内容だったからでしょう 想像力だけでなく 取材が行き届いているのです
となれば江戸時代庶民の生活を そのまま表していることになります 西鶴作品に取り上げてあれば 鯨料理は立派に日本伝統の食文化といえます
ほかにも蕪骨といわれる軟骨を吸い物にした料理があったようですが ほとんど廃れてしまいました クジラ汁も今はあまり行われなくなった食の風物詩です

註釈

註釈
01 なにか色々理屈をつけてますが 大晦日に蕎麦切りを食べる風習は この掛け取りに象徴される忙しさから来たと思います 夜鳴き蕎麦は蕎麦粉8割小麦粉2割のいわゆる二八蕎麦で あらかじめ茹でた玉をかけ汁で温める 簡易で安価なかけ蕎麦です ザルだのモリだのは高級品でツナギのない生粉打ち(生蕎麦)です
以前「乾麺の十割蕎麦」なる奇妙なものをいただいたことがあります 茹でて食べてみると最悪の食感でした 味もひどいものです かなりの値段だったのでしょうが 昔は十割蕎麦なんて言葉はなかったように思います 生蕎麦と書いてある店はツナギを使わなかったものです
江戸・信州に限らず各地に色々うまい蕎麦があります なかで越後のへぎ蕎麦は ツナギに布海苔を用いる独特のものです 茹でて水に放したあと水切りしないで 一口大にまとめた蕎麦をヘギと呼ばれる箱の簀子に並べます これは蒸籠やザルと違い 蕎麦から滴る水を受けるための工夫です
盛り付け・見た目も食感・味ともに 生粉打ちや二八蕎麦とはかなり異なり 別の食べ物といっていいかもしれません 布海苔ツナギの蕎麦は伸びやすく温かい汁そばには向きません へぎ蕎麦を酒と共にいただくのを蕎麦肴といいます 食中酒などと言われる前から こういった飲み方はありました
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数の数え方

振袖火事 関東大震災 東京大空襲 江戸東京が灰燼に帰した時です 振袖火事の後将軍吉宗の命を受けた大岡越前守が町火消しの制を作りました[01] … Continue reading

江戸の町火消しは最初 いろは四十八組を十番に分けていました 後に語呂が悪いというので 四番組と七番組が欠番になり八番に減少しています 四番は〈死〉に通ずるからというのは分かります 七番がなくなったのはなぜ? なんと〈火地〉に通ずるからというのです これを決めたとき誰一人江戸訛りだと思っていなかったのか それとも洒落っ気ですか 江戸っ子は一筋縄ではいきません その後幾度かの変遷がありました この五番組組頭の話は意気です(勇み肌の江戸気負いってやつですか)
いち・に・さん・し・ご・ろく・しち・はち・く・じゅう は漢字が伝わって来てからの読みでしょう

大和言葉の数え方は ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ です ひとつ ふたつ みっつ の「つ」は1個2個3個の「個」と同じ では〈とお〉になぜ「つ」が付かないのか 10〈と〉は数え方というより単位です 20は〈ふたと→はたち〉30日は〈みとおか→みそか〉となります この音便から十を〈そ〉と読むことがあります[02]いま大晦日は12月31日なのに ミソヒトカと言わないのは もともと日本の暦に31日はなかったからです
同じく100が〈ほ〉1000が〈ち〉 数・単位としてはここまでで 万を〈よろず〉というのは10000の単位ではなく 沢山というほどの意味です 

八百萬〈やほ・よろず→やおろず〉は 八百が数多いことを表し(嘘八百とか八百八町) これに萬がついて ものすごく沢山になります 800,0000ではありません
八に千では ものすごく沢山を超えて無限・永遠という意味になります 千代に八千代にといった使い方です もはや数えきれないので萬は付きません
なぜ八かというと 十は満ち足りていてそれ以上がない 九は満ちたところから一つ引いたもので欠けを意味する 八は未来への伸び代があるので 数の最上位になります 八の字は末広がりだから縁起がいいというのは こじつけですね むしろ形から言えば先細りに見えます 運気は上昇するもので下降したら変でしょう

たとえば満月をことのほか賞でるのは 欠けを忌み嫌うから 満月のことをまた望月とも言います 餅が丸く形作られるところから名付けられました 餅が丸いのは神に捧げるため 欠けがあってはいけないからです[03] … Continue reading
また天照坐皇大御神のご神体(依代)は 八咫鏡(やあたのかがみ→やたのかがみ)です この咫は大きさの単位で親指と人差し指を広げた対角線です 両の手で〈あた〉を作り合わせると円になります[04] … Continue reading 八つの咫の大鏡が八咫鏡です 円満にして豊かであり なおかつ衰えない若さを示すのが 八咫鏡なのです

もともと数の最大は「九」でした アラビア数字を見れば分かるように 10は1と0の組み合わせです 0の発明は偉大ですね漢数字[05] … Continue readingだと単位名を次々に作らねばなりません 億なんて日本人には数の単位として捉えられず「十万億土」とかになってしまいます 九重・九折・九十九も数でないような気がします 大陸渡りの言葉と思われます[06] … Continue reading

註釈

註釈
01 徳川家康に始まる江戸は 城下町として計画的に街づくりがされました 東京に代わってからの薩長明治政府は 都市計画の観点を持っていません 下士が中心で大名として領国経営の経験がないからです
そのため関東大震災・東京大空襲の後に東京を再建する発想はなく 焼け野原に怪しげな連中がバラック・闇市を作るのを放置していました 知事がいても名目的な存在 議会は合議制で誰も責任を取らない
02 いま大晦日は12月31日なのに ミソヒトカと言わないのは もともと日本の暦に31日はなかったからです
03 雑煮の餅が関西が丸く関東では四角だといいます 元々はすべて丸餅であったろうと思います 四角いのは角餅といわず切り餅です のし餅を切り分けたものです 江戸は女性の少ない土地です 餅を丸める手がないので 賃餅はのし餅で収めるようになったからと思われます
04 伊勢神宮の八咫鏡は木の箱に納められていて 式年遷宮のときに箱だけ作り替えられます 鏡は新しい箱に納められるのですが 深夜内宮の中で手探りで入れ替えます 誰も本体を見たことはないのです もしかしたら円形ではなく八角形かもしれません
05 漢数字は一・二・三です これだと改竄しやすいので 金額などは壱・弐・参を用います 律の時代に始まり 明治時代かに法令で決まったようです 画数が多く難しそうなので 漢数字の旧字体だと思っている人が多いようですが そういうことではありません
06 八岐大蛇が飲んだ酒は八塩折酒 八回醸した濃い酒だそうです 中国にも似たような酒があり こちらは九醞酒といいます 醪に更に原料を加える濃醇な酒です 数多いことを日本は八 中国では九で表します
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