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カテゴリー: 日本の伝統・本流

普遍の真理

世界・人類共通普遍の真理なんぞありません 世界を一つの価値観で覆うとするのは 植民地支配であり覇権主義でありグローバリズムです これに対し八紘為宇は 四方の八百万国津神を天津神が屋根のように統べる 争いを無くすことを言います だから日本は和の国です[01]統べるとは括ること 括れば輪になり 輪は和に通じ 八尺瓊勾玉が親和を象徴し 八咫鏡そして日の丸へと連なります
一つの価値観を押し付けるから争いが生じます 正邪・善悪の二者択一ではなく多様性を認める 様々な価値観が相和する平らかな世界のために 一神教勢力によるグローバリゼーションには 日本の伝統に基づく精神の自立が必要です 江戸時代の鎖国政策もキリシタン侵略に対する精神の自立であり 文物の交易は行われていました[02]キリスト教は日本の歴史からすれば新興宗教に過ぎません しかも布教は植民地侵略と結びついていました 取り締まるのは当然のことでしょう

現今の世界情勢(ウクライナ紛争)では インドとトルコが独自のスタンスを取っています ともにキリスト教国ではありません 自国の価値観に立脚する国策なのです[03] … Continue reading
日本政府はどうでしょう 相変わらず周辺諸国の顔色をうかがい どっちつかず腰の定まらない態度で やり過ごそうとしているしか見えません 精神の自立とは程遠い意気地のない姿です[04] … Continue reading
グローバリズムの始まりはキリスト教の布教です 十字軍時代にローマ教皇から認定されたマルタ騎士団[05] … Continue readingが 国連にオブザーバーとして議席を持つことに象徴されているのではないでしょうか 国連加盟国で多神教の国は少数派のように思われます[06] … Continue reading

中国は儒教の国です 天と地の二元論はキリスト教に類似します また万物すべての関係性を分類整理 体系化しようとします[07] … Continue reading
天津神が統べるとは 自然の摂理に委ねるの謂です つまり八百万の神はカオスのままでよいのです カオスとはバラバラでなく すべての存在が関わり合います 自ずから収まるところに落ち着くのです カオスをつなぐ輪がすなわち和です
二元論は対立します 一方で活性を促すともいえます だから中国は偶数が吉数となります カオスの中で個の関係性は三つ巴で輪となり活性化します 日本では奇数が吉数なのです[08] … Continue reading

3月17日追記=アメリカの銀行2件の破綻に続き スイス銀行の危機が取り沙汰されています ウクライナ紛争はロシアとNATOの対立でアメリカは前面に出ていませんが アメリカの国力に不安が生ずるなら相対的にロシア有利となります またスイスは永世中立国であるといえ スイス銀行はヨーロッパ金融界に大きな影響力を持ちます 最悪なタイミングというか予断を許さない情況となりそうです
もっとも懸念されるのは中国の存在感が増すことです スイス銀行危機の発端は筆頭株主サウジアラビア国立銀行の発言によるものです そして中国がイランとサウジアラビアの仲介役をしている ロシアに対してどう動くか注目しなければいけない 漁夫の利を狙うのは明らかです 天然ガスや小麦そして原油といったコモディティは戦略物資でもあり じつに不安定な様相です)

5月6日追記=アメリカの銀行がまた破綻しました 中国は中東・南米といったコモディティ輸出国と人民元決済を進めています ロシアへの経済制裁により人民元の存在感が高まるという皮肉な現象が起きています また日本に対する経済侵略は着々と進んでいます 人民元の表記は圓です 日本円と同じですから国際記号も同じ¥です 日本経済が人民元となっても見た目は変わらない!)

8月3日追記=最近日本にも進出しているECサイトの SHEINやtemuはCNYで表示しています 同じ¥記号でもJPYの20分の1ですから 気をつけねばなりません もちろん騙すためにやっていることです)

註釈

註釈
01 統べるとは括ること 括れば輪になり 輪は和に通じ 八尺瓊勾玉が親和を象徴し 八咫鏡そして日の丸へと連なります
02 キリスト教は日本の歴史からすれば新興宗教に過ぎません しかも布教は植民地侵略と結びついていました 取り締まるのは当然のことでしょう
03 トルコはクリミア半島を巡って オスマン帝国としてロシアと戦っています クリミア戦争です インドは長らくイギリスの植民地でした 独立後は中国と国境紛争が続き ロシア(ソ連)との関係を深めました
04 吾の精神を否定しようと 戈を向けるものがあれば これを止める力を持たねばなりません 武力の備えです 天叢雲の劔でありましょう 叢雲から稲妻の刀身が閃きます ゼウスの武器と同じく
05 騎士団を名乗った修道会は 遠征のとき実際に騎乗したでしょう しかしフルアーマー重騎兵の格好で行ったのか ご苦労なことですが戦場で役に立ちそうにありません それに中東では暑いだろうな
中東戦争でエジプトがソ連から大量の戦車を買ったが 砂漠ではまるで役に立たず 第二次大戦のポンコツ戦車で戦ったイスラエルに完敗しました
06 メキシコで行われる死者の日は 日本のお盆とそっくりです アステカの在来宗教に起源を持つとされます スペイン人の侵略により キリスト教(カソリック)に改宗されたといえ 伝統は守り続けられています
07 そうすると 世界はキリスト教国とイスラム教国とヒンズー教国そして儒教国が互いに争っていると見ることができます 仏教国は世界の潮流に関与していません 一切衆生平等の教えのためでしょう 戦う仏陀っていません 武辺担当は明王や天です
08 八尺瓊勾玉を天照大御神が身に着けていたとすれば 勾玉部分は太陽の光環とかプロミネンスを表すのではなかろうか 太陽は八咫鏡に映します だから鏡は天照大御神の依代なのです 記紀に見られるように神同士は争いません 互いに剣を抜いて切り結ぶことはしないのです
この伝統は江戸時代にまで受け継がれ 武士同士の争いは鯉口三寸切れば切腹といわれました 先に刀を抜いた方が家禄も没収されます 無刀取りは刀を抜かずに相手を制する技なのです 双方が抜き合わせば喧嘩となり両成敗です 勝った者が遠国へ出奔の場合は仇討ちとなります 警察権は藩外に及ばないし 私闘であるため当事者が始末するのです 上意討ちの変形といえます 逃亡した者を討ち取れば褒賞として 家督相続が認められます
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歴史の断絶 語り継ぐ

京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
(坂口安吾 日本文化私観)

歴史の断絶

日本のよって立つところは 過去の日本にしかない すなわち神話であり伝承であり国風です ゆえに祖先が生きてきた歴史を断絶してはならない 昭和大戦後に歴史の断絶があり その前は明治維新で歴史を断絶し おそらく大化の改新も歴史の断絶でした[01] … Continue reading
いずれも外圧を受けて 為政者の都合で 歴史を断絶しようと図りました 前大戦敗戦後はGHQにより 日本の歴史を抹消する宣撫工作が行われました 明治政府による神仏分離令や神社合祀は 日本の歴史を歪める教化政策でした 大化の改新で旧事・帝紀や国記・天皇記が失われ 古事記・日本書紀が作られました
しかしながら我々の生活に日本の伝統は継承されて来ました すなわち民話であり言い伝えであり為来たりであります 外国の制度を取り入れても古俗は失われなかったのです[02] … Continue reading

形あるものは伝統ではない 廃仏毀釈の禍にも日本仏教は守られ 古寺が焼けても宮大工の技と知恵が続く限り 縄文以来の様式は失われないのです

語り継ぐ

You Tubeに上がっていた ビル・エヴァンス・トリオ コンサート前の打ち合わせ?の映像を見ました
3人のメンバーが何やら語り合っています やがてピアノの前に座ったビル・エヴァンスが 喋りながらピアノを奏でると さり気なくベースが入ってきます それまでの会話が ごく自然にセッションに繋がっていくのです
こんどは楽器同士がそのまま会話しているのですね これこそジャズだなと思いました ビル・エヴァンスはピアノの詩人です

そうやって見ると ジャズボーカルも楽器と同等なわけです イリアス・オデュッセイアの吟遊詩人ホメロスは 楽器を奏で叙事詩を吟じます 日本にも琵琶法師がいました アイヌのユーカラは聞き手が手拍子足拍子のセッションです
楽器は語り言葉は奏でられます[03] … Continue reading 語り伝えるとは歌い継ぐことです 稗田阿礼は語部の謂ですが 器楽が伴い節を付けていたでしょう 天宇受売命のような舞も一緒だったかも 物語は語るものであり和歌は歌い詠唱するものでした

太安万侶が口承を記述したとき 果たしてどれだけ忠実だったのでしょう 取りこぼした事はなかったでしょうか 近代で物語を記録したのは 柳田国男先生と金田一京助先生のお二方です ヨーロッパでいえば イタリアのバジーレ ドイツのグリム3兄弟に相当する偉業です[04] … Continue reading
アイヌは文字を持たなかったゆえ 近代までユーカラが保たれました 和歌は万葉集の編纂により 朗詠から文字で書き連ねることとなりました そのためか万葉集で枕詞の意義・意味は失われ 清少納言の時代にはすでに 古今和歌集は学識として書き写し暗記するものと 枕草子に書かれています 大切なのは言い伝え言霊です 文献や文字ではない[05] … Continue reading

註釈

註釈
01 聖徳太子が仏教を取り入れ日本仏教が成立しました また役人の規範として儒学も取り入れています これらすべてを統べるのが古来神道です(延喜式で定められた神社神道や 明治期にできた国家神道とは違う 縄文以来の日本人の習俗)
02 仏教はバラモン教カースト制の不条理に対して起きた宗教です すなわち万物平等が根幹になります 釈迦と同じ頃に孔子が儒教を説いています こちらは男女差別に長幼の序が基本の階級制です 仏教は中国経由で日本に入ってきたため原初の姿とは変容しています
03 謡曲 浪曲 浄瑠璃 神楽 民謡 演歌も節をつけ 器楽を伴うものです 「浮世舞台の花道は表もあれば裏もある 花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも歌ひとつ・・・・・・♬」
04 バジーレは 統一イタリアの潮流に呑み込まれて 故郷のナポリ語が失われるのを恐れ グリム兄弟もまた ドイツ統一により各地の民話が忘れられないよう ともに物語を記録しました
05 宇多田ヒカルの歌は詞と曲が調和しています 詩になっていますし 日本語のセンスが素晴らしい 本人によると曲を先に作り その曲を詞に翻訳する感覚なのだそうです
本好きで読書量は相当のものらしく 言葉を磨いたのは才能だけではない 外国の音楽に日本語が見事に融和しています 散文とか韻文とかも乗りこえた 言靈の新たな姿なのでしょうか
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音による伝達

ラジオだったかでコーランの朗唱を聞いたことがあります モスクのドームは音響効果に優れていて イマームの唱える言葉は神秘的で 美しい音楽となっていました(御詠歌とは比べ物にならない音楽性の高さです)
キリスト教の教会はドームでなく高い尖塔を持ちます 光は天井から降りそそぎ 壁画や彫刻ステンドグラスを荘厳に彩ります パイプオルガンは建物自体が楽器です あたかも天空からの音楽のように鳴り響きます
日本の寺社(宗教)と音楽はあまり結びつかない気がします 読経も祝詞もリズムや抑揚はあるものの 音楽とは言い難い 鉦や太鼓を打ち鳴らしても調子を取るだけです 建物も音響効果は考えていません[01] … Continue reading

この違いはどこから来るのでしょう もしかしたら風土の違いかもしれません 日本の寺社は威容を誇るというより 風景に溶け込むよう建てられているのではないか そもそも神は自然そのものでした 美しい風景がそのまま八百万の神なのです 建物は社(屋代)というように拝み所(神籬)を示す柱でした
一神教の育った風土は人間の営みを拒むかのような厳しい自然環境です 建物が拝殿であることは共通しています 神の御加護を象徴するように 巨大で堅固に信徒を包み込みます 過酷な自然から守るシェルターなのです エデンの園の再現なのかもしれない

神はシナイ山に光として現れるものの 姿は見えず限られた預言者・救世主に啓示を与え導きます 神意が音楽なのでしょう
遠い親戚にクリスチャンの家が何軒かあります 一つの家はプロテスタントです おばあちゃん(私の大叔母)が入信したのがきっかけですが その理由が讃美歌の美しさだったそうです 音楽の力ですね

日本の仏教にも声明がありますし 琵琶法師などもいました これは吟遊詩人みたいなものですね さほど宗教と結びついていません
十字軍が編成された時 ワルター・サン・ドゥヴァールは シンボルマークの旗と楽隊による聖歌を背景に神がかり的な説法で 年端のいかない子供まで十字軍に駆り立てました ヒトラーの演説とヒトラーユーゲントに重なります ハーメルンの笛吹き男ですね[02] … Continue reading
称名念仏を始めたのは法然さんです それまで学問として捉えられていた仏教を庶民に広めました[03] … Continue reading 禅宗も実践を重んずるところは近いが権威主義で敷居が高い 出家者が独占していた仏教を広めた 浄土宗の割り切った教えは 凡夫にわかりやすかった 分かりやすさはポピュリズムにつながり過激化していき 踊念仏や一向一揆にまで行き着くことになります

註釈

註釈
01 浄土真宗の葬儀ではオルガンの伴奏があると聞いたことはあります その場に出くわしたことはないので 何を歌うのかわかりません いずれにしても近年のことでしょうけれど
02 十字軍はイスラム教徒との戦いであるばかりでなく ユダヤ教徒排斥にも結びついていました 当時流行していた騎士物語に影響された面もあります 聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団をはじめとして 皆がドン・キホーテのように自らを騎士に擬えていたのです(セルバンテスは十字軍のカリカチュアとして ドンキホーテを書いたのかも知れない)
03 法然上人の歌 月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む 月影は静寂そのもの この歌に音は全く聴こえない 日本仏教のあり方を示すようです
月の光を阿弥陀如来の慈悲に例えているのは誰しも解ります 知恩院ホームページに 歌を聞いた子供が「影になるところは光は照らしていないのでは」と問うたと書かれていました 影と陰は異なります 英語で陰はshade影はshadowと言えば分かりやすいでしょうか 陰は光の射さぬところ 影は光によって表れる形です
この歌は真如の月であります 真如とは絶対無差別の真理のこと 衆生すべて平等が仏教の根本義です 月影は月光に見ゆる里の姿を表します 明月が闇夜を照らすように 真如の理は遍く衆生に届いている 人は影である里を見ていて心に届く月明を見ない 阿弥陀様の慈悲は 無明を照らしていることに気づかねばなりません
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